日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧
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をかし(全文全訳古語辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔形容詞シク活用〕 [類義語]をこがまし⇒をかしげ理知的に好奇心や興味を感じる情趣や、視覚・聴覚などで興味深くとらえた美、を表す。平安時代、「あはれ」と対比される語。❶笑いたいほどである。こっけいである。おかしい。例「中将をかしきを念じて」
道外方(歌舞伎事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
役柄の一つ。歌舞伎の道化(どうけ)の役柄およびその役柄を専門に演じる俳優をいう。〈三枚目〉は後世の通称。日本の芸能の伝統的な展開の一方法である〈もどき〉によって、初期の歌舞伎では道外方が重要な役目を果たしていた。西欧のフールと同じ道化、阿呆、泣男
近松門左衛門(歌舞伎事典・日本大百科全書)
浄瑠璃作者。歌舞伎作者。本名杉森信盛。幼名次郎吉、長じて通称平馬。他に平安堂・巣林子(そうりんし)、不移山人などの号がある。近松は父の杉森信義が越前吉江藩の幼主に仕えて福井に在住していたとき次男として生まれたらしいが、父が浪人したため一五‐一九歳の頃
仮名手本忠臣蔵(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
第一 鶴岡の饗応(兜改め) 〔一〕御馳走があっても食べてみないとそのうまさが味わえないということは、国が平和に治っている時は立派な武士の忠義も武勇も隠れているのに例えられ、それは星が昼には見えないで夜はきらめいて現れるようなものである。その例をここに
ユズ(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
解説・用例〔名〕(1)ミカン科の常緑小高木。中国の揚子江上流原産とされ、各地で栽培される。高さ約四メートル。枝に長いとげがある。葉は翼のある柄をもち長卵形で縁に鋸歯(きょし)がある。初夏、葉腋に純白色の小さな五弁花を一個ずつ開く。果実は扁球形で
王羲之(日本大百科全書・世界文学大事典・世界人名大辞典)
中国、東晋 (とうしん)時代の能書家。中国、日本において書聖として尊重される。東晋の建国に功労のあった王導 (おうどう)の従弟 (いとこ)王曠 (おうこう)の子。字 (あざな)は逸少 (いっしょう)。琅邪 (ろうや)臨沂 (りんぎ)
パッラディオ(世界人名大辞典・日本大百科全書)
イタリアの建築家.パドヴァに生まれる.ヴィチェンツァで人文主義者トリッシノに出会い,ウィトルウィウスをはじめ古代ローマ建築の研究を始める.田園の別荘住宅に古代建築の要素を持ち込んだ.円柱,アーチ,ペディメントを自在に重ね構成されるスタイルは
スレイマン1世(世界大百科事典・世界人名大辞典・日本大百科全書)
オスマン帝国第10代のスルタン。立法者(カーヌーニー)とも呼ばれる。在位1520-66年。彼の時代に帝国は最盛期を謳歌し,その領土はアジア,アフリカ,ヨーロッパ3大陸にまたがり,東地中海一帯を覆う大帝国となった。在位中,13回の親征を行ったが
竹中半兵衛(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一五四四 - 七九 戦国時代の武将。もとの名は重虎、通称は半兵衛。重元の子。天文十三年(一五四四)生まれる。竹中氏は美濃国(岐阜県)の豪族であり、当初は美濃国守護斎藤竜興の武将として仕えていたが、永禄十年(一五六七)八月、織田信長が斎藤竜興を攻め
柴田勝家(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
? - 一五八三 安土桃山時代の武将。尾張国愛知郡に生まれる。織田信行(信長の弟)に属して信長と敵対したが、のち許されて信長の家臣となる。元亀元年(一五七〇)六角承禎・義治父子と戦って近江長光寺に籠城した際、飲料水を貯えた水甕を叩き割って決死の覚悟を
佐々木小次郎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
?‐1612(慶長17) 安土桃山時代から江戸初期の剣豪。幼名は九三郎といわれ、巌流とも称した。出身は越前国とも、周防国ともいわれる。幼い頃から富田流剣法の中興の祖である富田勢源に剣法を学び、長じて諸国を武者修行の末、「物干し竿」といわれる長太刀で
西鶴諸国ばなし(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
西鶴諸国ばなし(扉)絵入 西鶴諸国はなし 一(扉)巻一 あらまし大下馬 巻一 目録公事は破らずに勝つ見せぬ所は女大工大晦日はあはぬ算用傘の御託宣不思議のあし音雲中の腕押し狐四天王絵入 西鶴諸国はなし 二(扉)巻二 あらまし大下馬 巻二 目録姿の飛び乗
トチノキ(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
7枚の小葉からなる大型の掌状複葉と白い大きな円錐花序をつけるトチノキ科の落葉高木で,庭園樹,街路樹として植えられる。ときに高さ35m,直径4mにも達し,幹の樹皮は黒紫褐色で外層がはがれると波状の紋様が現れる。枝は太く張って広い樹冠をなし
国内総生産(世界大百科事典・日本大百科全書)
国内総生産および国民総生産の概念は,国民経済計算の体系における連結生産勘定の借方項目として記録され,この勘定を作成する国と海外との要素所得の受取りおよび支払と密接な関連をもっている。国内総生産勘定を作成する国の〈居住者〉である生産者によって生産された
ルター(世界大百科事典・日本大百科全書・世界文学大事典)
ドイツの宗教改革者。農民の出で鉱夫であったハンス・ルターHans Lutherの子として中部ドイツのアイスレーベンに生まれる。のちマンスフェルトに移住し,事業に成功を収めた父の期待を受けて,同地,さらにマクデブルク,アイゼナハの学校を経て
マゼラン(世界大百科事典・日本大百科全書)
最初の世界周航者。マゼランMagellanは英語名で,ポルトガル語ではマガリャンイス。ポルトガルのオポルト付近に生まれたが,その出自などについては不明な点が多い。1505年F.アルメイダの艦隊に参加してインドに向かい,09年にはD.L.セケイラの艦隊
ミケランジェロ(世界大百科事典・日本大百科全書・世界人名大辞典)
イタリアの彫刻家,画家,建築家,詩人。青年時代には彫刻,絵画における盛期ルネサンス様式の完成者として,壮・晩年期には彫刻,絵画,建築におけるマニエリスム様式の形成者として,また生涯を通じて,新プラトン主義の影響を強く受けた宗教上の思索者,詩人として
島津忠良(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一四九二 - 一五六八 戦国時代の薩摩国の武将。父は島津(伊作)善久。母は新納是久の娘常盤。幼名は菊三郎。通称は三郎左衛門尉。明応元年(一四九二)生まれる。父善久の没後、母常盤の再嫁した相州家島津運久の家督を継承し、相模守を名乗り、本領伊作とともに
朝倉孝景(国史大辞典・日本大百科全書)
(一)一四二八 - 八一 室町時代の武将。越前国守護代。正長元年(一四二八)四月十九日、家景の嫡子として生まれる。幼名小太郎。孫右衛門尉、のち弾正左衛門尉と称し、教景のち繁景、そののち孝景を名乗る。敏景とするものは『朝倉始末記』系統のものである
島津義弘(日本大百科全書・Encyclopedia of Japan)
戦国時代~江戸初期の武将。天文(てんぶん)4年7月23日生まれ。父は島津貴久(たかひさ)。義久(よしひさ)の弟。1554年(天文23)蒲生(かもう)氏との合戦に初陣し軍功、大隅(おおすみ)岩剣(いわつるぎ)城の城番となり、続いて日向(ひゅうが)飫肥
森蘭丸(日本大百科全書・Encyclopedia of Japan)
安土(あづち)桃山時代の武士。実名は成利(なりとし)。一説に長定(ながさだ)。美濃(みの)国(岐阜県)可児(かに)郡金山(かねやま)城主森可成(よしなり)の三男。15歳で織田信長に仕え小姓(こしょう)となり、奏者(そうじゃ)や奉行(ぶぎょう)を勤めた
宋書(国史大辞典・日本大百科全書)
中国南朝劉宋の正史。著名な文人官僚沈約撰。百巻、約百四十万字。巻末自序に編纂経緯を伝え、それによれば宋の徐爰らの『国史』などに多く拠り、斉の永明五年(四八七)春勅命を受けて撰集に従い、翌年二月、紀十巻・列伝六十巻を完成奏上、のち志三十巻を続成した
正岡子規(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六七 - 一九〇二 明治時代の俳人、歌人。本名常規(つねのり)。自作墓誌銘には「又ノ名ハ処之助(ところのすけ)又ノ名ハ升(のぼる)又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋(だっさいしょおく)主人又ノ名ハ竹ノ里人」(原文ルビなし)と記し
おはぎ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
餅菓子の一種。萩餅(はぎのもち)の女房詞(ことば)。ぼた餅ともいう。糯米(もちごめ)と粳米(うるちまい)を等量に混ぜて炊き、粗くすり搗(つ)いて丸め、きな粉や餡(あん)、すりごまなどをまぶしたもの。春つくるのがぼた餅、秋つくるのがおはぎ
道路運送車両法(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上を運行する自動車、原動機付自転車、軽車両に関し、所有権についての公証を行い、安全性の確保および公害の防止ならびに整備についての技術の向上を図り、あわせて自動車の整備事業の健全な発達を通じて公共の福祉を増進することを目的とする法律
フラボノイド(日本大百科全書・岩波 生物学辞典)
クロロフィル、カロチノイドと並ぶ一群の植物色素の総称。ベンゼン環2個が炭素3個で結ばれ、かつ中央のC3が酸素を含むヘテロ環をつくった構造をしている。ヘテロ環の酸化還元状態の違いによってフラボン類、イソフラボン類、フラボノール類
佐久間象山(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八一一 - 六四 江戸時代後期の思想家。松代藩士。実名は初め国忠、のちに啓(ひらき)、またの名を大星という。幼名は啓之助、通称は修理(しゅり)、字は初め子迪(してき)、のちに子明、象山はその号である。文化八年(一八一一)
ドイツ帝国(世界大百科事典・日本大百科全書)
ドイツで帝制をとった国家は史上2度あり,第1は神聖ローマ帝国(962-1806),第2がビスマルクのドイツ統一により実現したドイツ帝国(1871-1918)で〈第二帝国〉ともいう。ヒトラーのナチス国家(1933-45)もこれに次ぐものとし
日英同盟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日露戦争前から第一次世界大戦後のワシントン会議直後まで日英間に結ばれていた同盟条約。〔由来〕明治三十一年(一八九八)三月十七日イギリス植民相チェンバレンは、ロンドン駐在の日本公使加藤高明を招き、ロシアの進出に直面する極東の国際情勢について
三国同盟(世界大百科事典・日本大百科全書)
1882年から1915年まで存続したドイツ,オーストリア・ハンガリー,イタリア間の秘密軍事防御同盟。英仏露三国協商と対立し,第1次世界大戦の一方の陣営を形成した。ドイツ帝国成立後のビスマルク外交の目標は,フランスを孤立させ,その対独復讐戦争を