日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧
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安徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
第81代天皇(在位1180~1185)。名は言仁(ときひと)。高倉(たかくら)天皇の第1皇子。母は平清盛(きよもり)の女(むすめ)徳子。治承(じしょう)2年11月12日誕生。翌々年高倉天皇譲位の後を受けて即位したが、源平争乱の渦中で平氏と運命をともに

二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
平安後期の天皇(在位1158~65)。名は守仁(もりひと)。康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の

堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
平安後期の天皇(在位1086~1107)。名は善仁(たるひと)。承暦(じょうりゃく)3年7月9日生まれ。白河(しらかわ)天皇の第2皇子、母は源顕房(あきふさ)の娘賢子(けんし)(藤原師実(もろざね)の養女となる)。1085年(応徳2)に、後三条

白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
平安後期の天皇(在位1072~86)。名は貞仁(さだひと)。天喜(てんき)元年6月20日生まれ。後三条(ごさんじょう)天皇の第1皇子。母は藤原能信(よしのぶ)の娘茂子(藤原公成(きんなり)の養女となる)。父から譲位され即位、第1皇子の夭逝(ようせつ)

花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第65代天皇(在位984~986)。冷泉(れいぜい)天皇第1皇子。母は太政(だいじょう)大臣正二位藤原伊尹(これただ)の女(むすめ)懐子(かいし)。諱(いみな)は帥貞(もろさだ)。円融(えんゆう)天皇の禅を受けて即位。藤原頼忠(よりただ)が関白と

冷泉天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪

村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位

醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第60代天皇(在位897~930)。宇多(うだ)天皇第一皇子。母は内大臣正三位藤原高藤(たかふじ)の女胤子(むすめいんし)。諱(いみな)は敦仁(あつぎみ)。893年(寛平5)4月立太子、897年宇多天皇から禅を受け即位。このときの伝国詔命に藤原時平

宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間(八七七―八五)侍従となり王侍従と称された。同八年四月十三日

文徳天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり

仁明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八三三―五〇在位。弘仁元年(八一〇)、嵯峨天皇の第一皇子として誕生。母は橘清友の女嘉智子。諱は正良(まさら)。弘仁十四年四月、叔父にあたる淳和天皇の皇太子に立った。時に十四歳。天長十年(八三三)二月二十八日

淳和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第53代天皇(在位823~833)。桓武(かんむ)天皇第3皇子。母は式家百川(ももかわ)の娘藤原旅子(たびこ)。諱(いみな)は大伴(おおとも)。薬子(くすこ)の変(810)で皇太子高岳(たかおか)親王が廃されたので、嵯峨(さが)天皇の皇太弟となり

嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第52代とされる天皇(在位809~823)。名は神野(かみの)(賀美能)。桓武(かんむ)天皇の皇子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。延暦(えんりゃく)5年9月7日誕生。806年(大同1)同母兄平城(へいぜい)天皇の皇太弟にたてられ、809年天皇の譲り

平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位

桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
日本古代の天皇(在位781~806)。父は天智(てんじ)天皇の孫光仁(こうにん)天皇、母は百済(くだら)系渡来氏族の出の高野新笠(たかののにいがさ)。諱(いみな)は山部(やまべ)。その資質を見抜いた藤原百川(ももかわ)の策謀により、773年(宝亀4)

光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第49代とされる天皇(在位770~781)。諱(いみな)は白壁(しらかべ)、諡号(しごう)は天宗高紹天皇(あまむねたかつぎのすめらみこと)。天智(てんじ)天皇の孫で、施基(しき)皇子の第6子、母は紀諸人(きのもろひと)の女橡姫(むすめとちひめ)。

称徳天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第48代とされる天皇(在位764~770)。第46代とされる孝謙(こうけん)天皇(在位749~758)が再即位して称徳という。女帝。高野(たかの)天皇とも称せられる。名は阿倍(あべ)。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は光明(こうみょう)皇后

淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第47代天皇(在位758~764)。天武(てんむ)天皇の孫。舎人(とねり)親王王子。母は当麻山背(たいまのやましろ)。諱(いみな)は大炊王(おおいおう)。孝謙(こうけん)天皇の皇太子は初め道祖(ふなど)王であったが、天皇のもとで権力を振るった

聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代とされる天皇(在位724~749)。名は首(おびと)、法号勝満(しょうまん)。文武(もんむ)天皇の第1皇子、母は藤原不比等(ふじわらのふひと)の女(むすめ)宮子(みやこ)。文武が崩じたとき幼少で即位できず、祖母元明(げんめい)

文武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第42代天皇(在位697~707)。名は珂瑠(かる)。天武(てんむ)天皇の孫。草壁(くさかべ)皇子の第2子。母は天智(てんじ)天皇の娘阿閇(あへ)皇女(のち元明(げんめい)天皇)。697年2月立太子、同年8月即位、藤原不比等(ふひと)の娘宮子

天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第40代天皇(在位673~686)。舒明(じょめい)天皇の皇子。母はその皇后にあたる皇極(こうぎょく)天皇で、天智(てんじ)天皇の同母弟。諱(いみな)を大海人(おおあま)皇子といい、草壁(くさかべ)、大津(おおつ)、高市(たけち)、舎人(とねり)の

弘文天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第39代に数えられる天皇(在位671~672)。大友皇子、伊賀皇子ともいう。天智(てんじ)天皇の嫡皇子。母は伊賀采女宅子娘(うねめやかこのいらつめ)。皇后は天武(てんむ)天皇の皇女十市(といち)皇女で、葛野(かどの)王を生む

斉明天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
女帝。第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝(たから)。和風諡号(しごう)は天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)天皇

舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第34代とされる天皇(在位629~641)。名は田村(たむら)。和風諡号(しごう)は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)天皇。押坂彦人大兄(おさかのひことのおおえ)皇子(敏達(びだつ)天皇の皇子)の皇子。母は糠手姫(あらてひめ)皇女。即位に

崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀の皇室系譜では第32代の天皇。欽明(きんめい)天皇の皇子で、母は小姉君(こあねのきみ)(蘇我稲目(そがのいなめ)の娘)。泊瀬部(はつせべ)天皇(『日本書紀』)、長谷部若雀(はつせべわかさざき)天皇(『古事記』)、倉橋(くらはし)天皇(『法王帝説』

用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第31代とされる天皇(在位585~587)。和風諡号(しごう)は橘豊日(たちばなとよひ)天皇。欽明(きんめい)天皇の第四皇子。母は蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)で、その第1子。厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)の父である。敏達(びだつ)天皇のあと

敏達天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)

欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第29代と伝える天皇。継体(けいたい)天皇と手白香(たしらか)皇后(仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ))の嫡子。名は伝わらず、和風諡号(しごう)は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という

宣化天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
生没年不詳。記紀によれば第28代の天皇。6世紀前半に在位。武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇ともいう。継体(けいたい)天皇の第2子。母は目子媛(めのこひめ)。兄安閑(あんかん)天皇の後を受けて即位、大和(やまと)の檜隈廬入野宮

継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第26代と伝える天皇。没年は527年、534年の説もある。応神(おうじん)(誉田(こんだ))天皇の5世孫とされ、名は男大迹(おおど)(『古事記』では袁本杼命(おおどのみこと))、またの名を彦太尊(ひこふとのみこと)という。6世紀初頭に越前