国史大辞典のサンプルページ一覧

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ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世末から近世初頭にかけて行われた、ややこ(幼女)による踊りの芸能。『御湯殿上日記』天正九年(一五八一)九月九日条に、宮中に参内して踊ったと記録されたのが、文献上の初見である。歌舞伎舞踊という名称が現われる以前の同じ芸能の総称だった。その意味で歌舞伎舞踊の直接的な
かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
近世初期、異様な風体をして市井を横行した無頼の徒をいう。「かぶき」という語は、「傾(かぶ)く」という動詞から出た言葉で、「傾奇」とも書かれるごとく、常軌を逸した行為・精神・風俗を意味していた。徒者(いたずらもの)と呼ばれたものも同類で、ことに関ヶ原の
猿若(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
(一)初期歌舞伎における役柄の一つ。主役の女性が歌舞伎者に扮して茶屋に通う様を演じる時、猿若は供の役でこれに従った。頬かむり、粗末な単衣、脚絆、腰に瓢箪を下げるという「六尺(ろくしゃく)姿」に、唐団扇を手にして登場、床几などを運んだり、滑稽・卑俗な物
女歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
初期歌舞伎の一称呼。広義には、慶長八年(一六〇三)以降寛永六年(一六二九)まで、女性が主役であった時期の歌舞伎の総体を指し、その規定が正しいと考えられるが、従来は何となく阿国歌舞伎を含めず、いわゆる遊女歌舞伎(傾城歌舞伎ともいう)に限ってその別称とす
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
美少年(売色を兼ねた稚児・若衆)を中心役者として流行した一時期の歌舞伎の称。寛永六年(一六二九)に遊女を主演者にしていた女歌舞伎が禁止されたため、これに代わって一躍表面に出て盛行を極め、一時代を形成した。若衆による踊の芸能は、女歌舞伎時代から併行して
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
初期歌舞伎の一時期の称。承応元年(一六五二)に若衆歌舞伎が禁止されたが、(一)中心になる役者が前髪を剃って野郎頭になること、(二)容色本位の踊りではなく「物真似狂言づくし」を演ずることを条件として、翌二年に再開を許された。この時以後、明暦・万治年間(
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の科白(せりふ)劇および舞踊において、舞台の情景や役柄の身分の規定、幕あき・幕ぎれの雰囲気の高揚、シグサやセリフの修飾のほか、擬音的効果も受けもつ音楽。長唄(唄・三味線)および鳴物によって演奏される。歌舞伎では伴奏音楽として義太夫・長唄・常磐津
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
愚管抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
小倉百人一首(国史大辞典・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった
正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が門下に示した示誡を孤雲懐奘が聞くに随って記録し、これをその門下が編集したもの。六巻。道元が宋から帰朝してのち、初開の道場である京都深草の興聖寺において、嘉禎年間(一二三五―三八)その門下の僧衆に示した示誡の集録である。明和七年
今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
倉時代の説話集。一巻。『本朝書籍目録』に「信実朝臣抄」とし、藤原信実の編著と伝えられる。延応元年(一二三九)以後遠からぬ時期の成立か。平忠度・徳大寺実定などと女房たちとの情話をはじめ、和歌・連歌に関する芸能談を中心に、僧侶の滑稽談に及ぶ短篇五十三を収める
八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり
東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの
撰集抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって
井戸茶碗(国史大辞典・日本国語大辞典)
朝鮮茶碗の一種。李朝前期に焼かれた陶器。古来朝鮮茶碗のうち最も有名なもので、茶人の間で、大名物・名物と称して特に珍重されている。その特色、見所としては、形はのびのびとした椀形で、素地は砂まじりの荒い土である。全面には枇杷色と呼んでいる淡い褐色の釉薬が厚くかかり
寛永文化(国史大辞典)
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文のころまでを含めて考えられる。江戸幕府の封建的体制の強化される時にあたって、京都の宮廷と上層町衆を中心として
貝塚(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
貝類の繁殖に適した海岸・湖岸近くに居住した人々が、食料として貝を多量に捕食し、食したあとの貝殻を、他の不用品とともに一定の場所に投棄したため、貝殻が層をなして堆積して今日まで残存したものを一般に貝塚と呼んでいる。縄文時代の貝塚を発掘すると貝層中から埋葬人骨
三内丸山遺跡(国史大辞典・世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
謡物(国史大辞典・日本大百科全書)
歌謡のうち、語りを主とする語り物に対し、特に旋律の豊かな韻文的なものをさす。歌うという根源的な行為によって成立するものとして和歌以降の詩歌の源泉をなすとともに、時代・環境を問わず存在し、内容上も田舎歌・都会歌、労作歌・遊宴歌、宗教歌・世俗歌、民謡・芸謡と多彩で
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
水鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。三巻三冊。鎌倉時代初期の成立か。作者は中山忠親かといわれるが、ほかに源雅頼をあてる説もある。ただし、雅頼説は注目を集めたものの反論も出ている。内容は、神武天皇より仁明天皇までの歴史を語るが、妄誕の記事がはなはだ多く、信頼できない話題が随所にあり
近代秀歌(歌論書)(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書・日本古典文学全集)
藤原定家著。承元三年(一二〇九)源実朝に送ったと思われる歌論書。最も原形に近い島原松平文庫本(一)およびその系統の流布本(二)と自筆本がある。まず紀貫之以後の和歌史を概観して、新古今歌風が反貫之・六歌仙歌風の復興であること、および今後の目標は「寛平以往(前)」
方丈記(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の随筆。著者鴨長明。一巻。広本と略本三種とがあり、広本の奥に、建暦二年(一二一二)三月末桑門の蓮胤(長明の法号)が外山(京都市伏見区日野の法界寺の南)の庵で執筆したとある。広本には、大福光寺本(重要文化財)などの古本系と嵯峨本などの流布本系の諸本があり
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