国史大辞典のサンプルページ一覧
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成尋阿闍梨母集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代中期の家集。二巻。作者の出自・生没などは不明の点が多いが、源俊賢女として永延二年(九八八)ごろ生まれ、藤原実方の男と結婚して男二人を生み、間もなく夫に死別しわが子の成長を唯一の頼みに五十余年の寡婦生活を続けた。八十歳を超えた延久二年(一〇七〇)

とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。

梁塵秘抄(国史大辞典・世界大百科事典)
歌謡集。後白河天皇撰。全二十巻のうち、巻一巻頭の断簡と巻二全体および口伝集巻一巻頭の断簡と口伝集巻十全体が現存する。歌謡集十巻と口伝集十巻から成っていたと推定される。十一世紀初頭ごろ、今様歌とよばれる流行歌謡がうたわれていた。それらは十一世紀後葉から十二世紀前葉に

唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。

賀茂臨時祭(国史大辞典)
京都の上・下賀茂社の祭。宇多天皇が即位前の元慶六年(八八二)狩猟の際、冬祭を行うべき託宣をうけ、寛平元年(八八九)十一月二十一日にはじめて藤原時平を勅使として臨時祭を行い、以後毎年十一月の下の酉の日に行われた。応仁の乱後中絶し、近世に入って文化十一年(一八一四)

賀茂祭(国史大辞典)
京都の賀茂別雷神社(上社)・賀茂御祖神社(下社)の例祭。葵祭。また石清水八幡宮の祭(南祭)に対して北祭ともいった。古代には単に祭といえばこの祭を指した。社伝によれば欽明朝、気候不順、天下凶作のため卜部伊吉若日子をして占わしめたところ、賀茂神の祟とわかったので神託により

神在祭(国史大辞典)
出雲大社・佐太神社などで行われる神事。「じんざいさい」ともいう。元来十月はことに祭りの賑々しく執り行われる月で、「かみ(神)のつき(月)」といったが、のちに「かんな(し)づき(神無月)」と訓むようになると、この月には諸国の神々がその地を離れて出雲国につどい

歌仙(国史大辞典)
古く歌泉(『万葉集』)とも。歌道において特に優れた者。のちには特定の歌人を指すに至った。『古今和歌集』序により、柿本人麻呂・山部赤人を二歌聖、在原業平・小野小町・僧正遍照・喜撰法師・文屋康秀・大伴黒主の六人を六歌仙と称した。のちに成った各種の新六歌仙・続六歌仙などと

歌論書(国史大辞典)
歌に関して批評的文学論的見解を述べた文献。歌の定義・要素・分類・歌病などのほかに、歌に関する種々の研究、たとえば歌集の校訂・注釈・類纂および歌書の文化史的研究などをも含むものが多い。奈良時代、『万葉集』にも批評意識は散見するが、歌論書としては『歌経標式』(藤原浜成)

旋頭歌(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。

短歌(国史大辞典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。

和泉式部日記(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の女流日記。冷泉天皇の第三皇子弾正宮為尊親王の死によって、弾正宮との恋愛がはかなく終り、悲しみに沈んでいる和泉式部のもとへ、長保五年(一〇〇三)四月に故宮の弟帥宮敦道親王から求愛の歌が贈られたことから二人の交情が始まり、帥宮邸へ伴われて行って

落窪物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。作者不詳。源順(したごう)説もある。四巻。成立は『枕草子』以前で、村上朝の後半から天延元年(九七三)までの間とする説をはじめ、永延・永祚年間(九八七―九〇)ごろ、長徳年間(九九五―九九)説など諸説がある。現存では最古の継子いじめ物語

日本往生極楽記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代中期に編纂された異相往生者の伝記。慶滋(よししげ)保胤撰。一巻。『日本往生伝』ともいう。永観元年(九八三)没した千観の伝が記されていることから、本書は永観元年から保胤の出家した寛和二年(九八六)の間に一応成立していたものとみられ、出家後、さら

往生要集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
極楽往生に関する経論の要文を集め念仏が最も大切であることを説いた書。寛和元年(九八五)天台宗源信の著。三巻。全体の組織は一に厭離穢土(えんりえど)、二に欣求(ごんぐ)浄土、三に極楽証拠、四に正修(しょうしゅ)念仏、五に助念方法、六に別時念仏、七に念仏

うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
二十巻からなるわが国最初の長編物語。題名は、主人公藤原仲忠が幼時北山の大杉の空洞(うつほ)に住み、猿に養われて育ったという首巻「俊蔭」の話による。作者は、鎌倉時代以来源順を擬する説が多いが、少なくとも身分・教養・思想など多くの面で彼と共通の基盤に

後撰和歌集(世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の二番目の勅撰和歌集。撰者は讃岐権掾大中臣能宣・河内権少掾清原元輔・学生源順・近江少掾紀時文・御書所預坂上望城で、世に「梨壺の五人」と称される。天暦五年(九五一)十月三十日、村上天皇の命により撰和歌所が宮中の昭陽舎(梨壺)に置かれ、別当には蔵

将門記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本古典文学全集)
平安時代、承平・天慶の乱における平将門の行動について記した漢文体の書。作者・成立年時未詳。一巻。「まさかどき」ともいい、「将門合戦状」「将門合戦章」などともよばれたらしい。本文の末に「天慶三年(九四〇)六月中記文」とあることから、将門死没の年である天

土佐日記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
和文日記。古くは『土左日記』と書かれる。紀貫之(きのつらゆき)著。一巻。貫之の土佐守在任は延長八年(九三〇)正月二十九日発令、承平四年(九三四)四月二十九日に後任者が任命され、暮までその事務引継ぎがあり、翌年春に帰京したので、成立は承平五年ごろと考え

倭名類聚抄(和名類聚抄)(世界大百科事典・国史大辞典)
意義分類体の辞書。源順(みなもとのしたごう)撰。承平年間(九三一―三八)成立。『倭名類聚鈔』とも書き、『和名抄』『和名』『順和名(したごうがわみょう)』『順』などともいう。醍醐天皇皇女の勤子内親王のために撰進した書で、部類を分かち、項目を立て、内外の

菅家文草(世界大百科事典・国史大辞典)
菅原道真の漢詩文集。十二巻。昌泰三年(九〇〇)八月十六日菅家三代集二十八巻(祖父清公の『菅家集』六巻、父是善の『菅相公集』十巻および道真の自撰別集十二巻)を醍醐天皇に奏進した。鴻臚贈答詩一巻、讃州客中詩二巻、昌泰進献文草、元慶以往藁草その他手許の詩文

続日本後紀(世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
六国史の四番目にあたる勅撰の国史。二十巻。『日本後紀』のあとをうけ、天長十年(八三三)二月から嘉祥三年(八五〇)三月に至る仁明天皇一代十七年二月の間の記事を収めている。貞観十一年(八六九)八月完成。編纂の過程は『続日本後紀』序文および『文徳実録』に

日本後紀(世界大百科事典・国史大辞典)
『続日本紀』に次ぐ勅撰の編年体歴史書。成立は承和七年(八四〇)。もと四十巻で、延暦十一年(七九二)から天長十年(八三三)までの四十一年余りを収録していたが、現存するのは桓武紀四巻(巻五・八・十二・十三)、平城紀二巻(巻十四・十七)、嵯峨紀四巻(巻二十

性霊集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
空海の漢詩文集。詳名『遍照発揮性霊集』。当時、呉音が禁ぜられていたので、「へんじょうはっきせいれいしゅう」と読む。「遍照」は空海の灌頂号の略称。編者は空海の弟子、高雄山の真済。全十巻。ただし八・九・十巻は散逸し、これを惜しんだ仁和寺の済暹(さいせん)

経国集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の漢詩文集。827年(天長4)、滋野貞主、良岑安世、菅原清公らによって編纂撰進された。書名は魏の文帝の「典論」にある、「(文章は)経国之大業而不朽」による。もともと20巻だったが、現存するのは巻1「賦」、巻10、11、13、14(以上、詩)、巻20

文華秀麗集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の勅撰漢詩文集。818年(弘仁9)仲雄王、菅原清公、勇山文継、滋野貞主らによって編纂撰進された。詩を分類するのに、遊覧、宴集、餞別、贈答、詠史、述懐、艶情、楽府、梵門、哀傷、雑詠の11の部立てを立てるという斬新な方法を用いている。

新撰姓氏録(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安京・五畿内居住の古代氏族の系譜書。『姓氏録』ともいう。万多親王・藤原園人らの撰。三十巻目録一巻。完本は伝わらず抄録本が現存。弘仁六年(八一五)七月成立。本書編纂の端緒は、延暦十八年(七九九)十二月、諸氏族に本系帳の進上を命じたことにある。さらにそ

凌雲集(世界大百科事典・国史大辞典・全文全訳古語辞典)
平安時代初期の漢詩集。一巻。『凌雲新集』が正式な書名。小野岑守が菅原清公・勇山文継と相談して嵯峨天皇に撰上した最初の勅撰詩集で弘仁五年(八一四)に成る。「凌雲」は雲を凌いで高く聳える詩文を意味する。撰者の序には、文学の永遠性と撰集の動機、嵯峨天皇への

古語拾遺(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
斎(忌)部氏より奏進された愁訴状で、奈良時代以降、中臣氏と対立していた忌部氏に伝えられた古伝承の記録。斎部広成の選述。一巻。大同二年(八〇七)二月十三日に成立。ただし本書の写本によっては巻末に記されている大同二年二月十三日の年紀を大同元年もしくは大同

百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代、称徳天皇の発願により製作された百万基の木製の小塔。天平宝字八年(七六四)恵美押勝(えみのおしかつ)の乱後称徳天皇が『無垢浄光大陀羅尼経』の所説により百万基の三重小塔を作り、各陀羅尼を納め、宝亀元年(七七〇)四月大安・元興・興福・薬師・東大・