新版 歌舞伎事典のサンプルページ一覧

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歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
三味線(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
日本の絃楽器。〈さみせん〉ともいい、三絃(弦)ともいう。【伝来】祖型は中国の三絃で、およそ永禄の頃(16世紀後半)に南方から渡来したと考えられている。その後次第に改良が加えられ、慶長初年ごろ歌舞伎、人形浄瑠璃と結びついて発達した。【発達】まず比較的
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
河原者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
江戸時代に、歌舞伎役者や大道芸人・旅芸人などを社会的に卑しめて呼んだ称。河原乞食ともいった。元来、河原者とは、中世に河原に居住した人たちに対して名づけた称である。河川沿岸地帯は、原則として非課税の土地だったので、天災・戦乱・苛斂誅求などによって荘園を
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
網模様燈籠菊桐(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
歌舞伎狂言。世話物。五幕。通称《小猿七之助》。河竹黙阿弥作。安政四(1857)年七月江戸・市村座初演。主なる配役は、小猿七之助=四世市川小団次、奥女中滝川のち御守殿お熊=四世尾上菊五郎、与四郎=五世坂東彦三郎、七五郎・与四郎親西念=坂東亀蔵ほか
助六由縁江戸桜(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。世話物。一幕。通称《助六》。歌舞伎十八番の一つで三時間近く(現行一時間半から二時間)を要する花やかな大曲。正徳三(1713)年、江戸・山村座上演の《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》で二世市川団十郎が助六に扮したのが初演とされる。
隈取(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎独自の化粧法。江戸荒事劇にはじまり、時代物一般に用いられる。各種地色へ紅・青黛などの油性顔料で片ぼかしに筋を描き、血気・怪異・姦佞(かんねい)など、役柄を誇張して表現する。荒事の英雄とこれに対する敵役や鬼畜・神仏の化身など、非写実的・ロマン的
出世景清(日本古典文学全集・歌舞伎事典・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。時代物。近松門左衛門作。大坂・竹本座初演。貞享二(1685)年正月、京から大坂道頓堀に下り競演を挑んだ宇治加賀掾座の二の替り《凱陣八島》(三月下旬まで上演)に対抗して、義太夫が初めて近松に創作を依頼してできた曲で、貞享二年二の替りと推定
源平布引滝(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。時代物。五段。正本の作者署名は並木千柳、三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。寛延二(1749)年一一月大坂・竹本座初演。三段目切は二世政太夫、実盛(さねもり)の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の
天衣紛上野初花(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。世話物。七幕。河竹黙阿弥作。明治一四(1881)年三月東京・新富座初演。別名題《三幅対上野風景》。通称《河内山(こうちやま)と直侍(なおざむらい)》。配役は河内山宗俊=九世市川団十郎、片岡直次郎=五世尾上菊五郎、金子市之丞・比企東左衛門
東洲斎写楽(日本架空伝承人名事典・新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
江戸時代の浮世絵師。生没年不詳。寛政六(1794)年五月から翌七年一月までの正味一〇ヵ月間(途中閏月がはさまる)を活躍時期として、役者絵、相撲絵の版画一四〇余図という多くを発表。当時大いに人気を得たらしいが、その後は浮世絵界との交渉をまったく絶って
一谷嫩軍記(歌舞伎事典・日本大百科事典・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。時代物。五段。宝暦一(1751)年一二月大坂・豊竹座初演。並木宗輔、浅田一鳥、浪岡鯨児、並木正三らの合作。宗輔が三段目までを書き、没後に浅田らが完成したと伝えられる。《平家物語》の世界から、一の谷合戦における岡部六弥太と平忠度、熊谷次郎直
義経千本桜(歌舞伎事典・日本大百科事典・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳作。延享四(1747)年一一月大坂・竹本座初演。五段。内題の角書に「大物(だいもつ)船矢倉/吉野花矢倉」とある。《菅原伝授手習鑑》《仮名手本忠臣蔵》と並ぶ人形浄瑠璃全盛期の名作であるとともに、九郎判官源義経
芳沢あやめ(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎役者。【初世】1673‐1729 前名吉沢あやめ。元禄初年には若女方で出演の記録が見え、以後京・大坂の舞台で次第に認められ、元禄一一(1698)年《傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)》の傾城三浦の好演で、この年若女方上上吉に進む。上方の
やつし(歌舞伎事典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
動詞〈やつす〉の連用形の名詞化。〈やつす〉の原義は、見すぼらしい様にする、姿を変えることで、そこから、省略する、めかす、身を落とすなどの義を派生した。この〈やつす〉行為もしくは状態に与えられた最古のイメージは、たとえば、「青草を結束ひて、笠蓑として
中村仲蔵(歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎役者。江戸系と大坂系の二派がある。江戸の初世・三世、大坂の初世・四世が名高い。◎江戸系‐【初世】1736‐1790 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名六世中山小十郎、八世志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。浪人斎藤某の子とも
道外方(歌舞伎事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
役柄の一つ。歌舞伎の道化(どうけ)の役柄およびその役柄を専門に演じる俳優をいう。〈三枚目〉は後世の通称。日本の芸能の伝統的な展開の一方法である〈もどき〉によって、初期の歌舞伎では道外方が重要な役目を果たしていた。西欧のフールと同じ道化、阿呆、泣男
近松門左衛門(歌舞伎事典・日本大百科全書)
浄瑠璃作者。歌舞伎作者。本名杉森信盛。幼名次郎吉、長じて通称平馬。他に平安堂・巣林子(そうりんし)、不移山人などの号がある。近松は父の杉森信義が越前吉江藩の幼主に仕えて福井に在住していたとき次男として生まれたらしいが、父が浪人したため一五‐一九歳の頃
市川団十郎(歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎俳優。一二世まである。姓は堀越。屋号は代々成田屋。定紋は三升(みます)。早世した三世・六世を除いて代々名優で、江戸歌舞伎界屈指の名跡である。【初世】1660‐1704 祖先は甲州の武士で、永正年中に北条氏康の家臣となり、のち下総国埴生
役者評判記(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎役者に対する芸評の書。広義には歌舞伎若衆の容色を品評する〈野郎評判記〉をも含めることもあるが、普通はこれと区別して、立役・敵役・若女方などすべての役柄の役者の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は明暦二(1656)年に始まると伝えられるが
東海道四谷怪談(歌舞伎事典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
歌舞伎狂言。世話物。五幕。四世鶴屋南北作。初演の絵本番付には《あづまかいどうよつやかいだん》。通称《四谷怪談》。《いろは仮名四谷怪談》をはじめ、多くの別名題がある。文政八(1825)年七月江戸・中村座初演で
西山物語(日本古典文学全集・国史大辞典・歌舞伎事典)
戯曲。三幕六場。小山内薫作。昭和三(1928)年四月東京・歌舞伎座初演。源太=二世市川左団次、団次=二世市川猿之助(後の猿翁)。実録に基づく明和・安永年間(1764‐1781)の建部綾足の小説と、後の上田秋成の作品の両方を素材とした戯曲で、発表は大正
出雲のお国(新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女と称していたが、出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じて
かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞音曲の演奏家や歌舞伎役者をさすとともに、放蕩無頼・異端・異装の封建体制からはみ出してしまった、溢れ者をさす語である。中世の一つの美意識である〈ばさら〉が、集団としての反抗精神をもっていたのに対し、〈かぶき〉は個人の美的な反抗にすぎなかった。かぶき者の最初の典型
猿若(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で、扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき、手拭ようの布で頬被りの下人風で現れ、〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち、床几運びをすることもあり、そこには、猿若の芸能と風流踊との関連が示されている
女歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊で評判をとるとすぐに、歌舞伎を称する女芸人の座が多く生まれ、諸国へも下った。中で、遊女屋が経営する歌舞伎の座
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
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