どちらもけっこう古くから使われている語のようで、『日本国語大辞典(日国)』の「匹」の項目で引用されている用例を見ると、平安時代中期の『源氏物語』ではウマを、鎌倉時代初期の『宇治拾遺物語』ではイヌを「匹」で数えている。ウマのことをいう「馬匹(ばひつ)」という語もあるので、「匹」はもともとウマを数える語だったのかもしれない。それが、次第に小動物にも及んだものと思われる。
一方の「頭」も古い使用例がある。『日国』では、『延喜式(えんぎしき)』(927年)の例を引用している。『延喜式』は、養老律令(ようろうりつりょう)に対する施行細則を集大成した法典である。このような例だ。
「右六衛府別大鹿。小鹿。豕各一頭」(二〇・大学寮)
ここでは、シカとイノシシ(豕)を「頭」で数えている。
ところで、この動物を数える「頭」は比較的新しい語で、ウシを数える head を日本語に訳したものだという説がある。ジャパンナレッジに収録されている『数え方の辞典』(2004年 小学館)のコラムでも、英語の影響で、「『頭』の歴史は意外にも浅く、夏目漱石 (そうせき) の時代にはまだ一般には使われていませんでした」と述べている。
だがこの説は、辞書の用例と長年かかわってきた者にとっては、疑問がある。
『延喜式』にも見られるように、もともと日本にあった動物を数える「頭」が、英語の head とたまたま一致しただけなのではないかと思えるからである。
『数え方の辞典』に依拠したのかどうかわからないが、ペット保険の会社がインターネットで同様の説明をしているものがあり、この説が一人歩きしないかといささか気になる。
また、夏目漱石の時代には「頭」は一般には使われていないとあるが、漱石の未完の小説『明暗』(1916年)には、
「馬も存外安いもんですな。北海道へ行きますと、一頭五六円で立派なのが手に入(い)ります」(三〇)
という例がある。そして、漱石と同時代の作家にも、使用例はけっこうある。たとえば、泉鏡花の『義血侠血(ぎけつきょうけつ)』(1894年)にも
「乗合は箇抑甚麼(こはそもいかに)と見る間に、渠(かれ)は手早く一頭の馬を解放ちて」(一)
とあるように。
ただ、『明暗』『義血侠血』の「頭」は、間違いなく「とう」と読ませているのだが、「頭」と表記して、「づ(ず)」「かしら」「ひき」と読ませている例が古くから見られる。動物を「とう」で数えることが完全に定着したのは、明治以降なのかもしれない。とはいっても、古くから「頭」と表記して、数えていたことだけは確かなのである。
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