現在、新潮社校閲部の石川芳立さんは、主に『ドナルド・キーン著作集(全15巻/別巻1)』の校閲に取り組んでいます。その作業の一例から、石川さんのジャパンナレッジの使い方を紹介します。
1962年生まれ。大学を卒業後、時事通信社の校閲部を経て、30歳で新潮社の校閲部へ。社会人になって以来、一貫して校閲畑を歩んでいる。雑誌『芸術新潮』、『週刊新潮』、書籍の担当を経て、現在は校閲部次長。主な担当書籍は、『ドナルド・キーン著作集(全16巻)』、横山秀夫『看守眼』、大江健三郎/尾崎真理子『大江健三郎 作家自身を語る』、村山由佳『嘘 Love Lies』、インターネットの掲示板から生まれた中野独人『電車男』など。
取材・文/角山祥道 写真/五十嵐美弥
『ドナルド・キーン著作集 第十二巻 明治天皇〔上〕』をチェックしていた時のことです。内容が天皇に関するものですから、キーン先生が執筆時に参照した資料を可能な限り再び集めて(段ボール10箱分になりました)、調べ直していったのですが、次の訳文(キーン先生は、長文は英語で書きます)に引っかかりを覚えました。
《式典当日の未明、東宮は南殿の装束をつけた》
幕末の天保15年春、明治天皇の父である孝明天皇が、まだ皇太子だった数え13歳で「元服」した際の記述です。この式典の当日、夜も明けきらない時間帯に、皇太子が「南殿」の装束をつけたのだという。「南殿の装束とは何か?」と思ったのです。 そこで、まずこの記述の原典に当たると、こうありました。
《当日は未明より南殿の御装束を取付ける》(『孝明天皇紀』)
「東宮は南殿の装束をつけた」だと、皇太子が衣装を着た、という意味になります。ところが原典には「取付ける」とあり、さらに《是は掃部寮がする》と続きます。
そこでジャパンナレッジを用いて、まず「南殿」を調べました。
《「ししんでん(紫宸殿)〔一〕」の別称》(「日本国語大辞典」)
続けて「紫宸殿」を引くと、《内裏正殿》の呼称で、ここで即位などの公式行事が行なわれていたことが確認できました。今度は、「装束」を引きます。古典が好きな人からは「知らなかったの?」と言われそうですが、三番目にこんな意味を見つけました。
《家屋、庭、また道具などを装飾すること。また、その装飾品。しつらえ。そうぞく》(同前)
「掃部寮(かもんりょう)」も引いてみます。
《令制官司の一つ。宮内省に属して、宮中の掃除や設営のことをつかさどる。儀式のときは式場の設備をした》(同前)
「装束」には家屋や庭の装飾の意味もあり、「掃部寮」は儀式の際の式場の設営などを行なう部署だそうです。そこが「装束」を「取付ける」のだから、皇太子が衣装を身につけたのではなく、掃部寮が元服式の式場に幕を張るなどのセッティングをしたのではないか? そう考え、担当編集者に疑問を提示しました。こういう時には、ジャパンナレッジの該当ページをプリントアウトし、資料として添付します。結果としてこの箇所は、著者のキーン先生と訳者の同意のもと、次のように修正されました。
《式典当日は、未明から紫宸殿の飾り付けが行われた》
このように、縦横自在かつピンポイントで検索できるのは、ジャパンナレッジの最大の利点だと思います。紙の辞書や百科事典だと、一度引いた言葉を改めて調べるのは難儀ですが、ジャパンナレッジでしたら、ログアウト後も複数のタブを開いたままにしておける裏ワザもあるので、再確認も容易です。また、紙の辞書では、立項されていない項目にたどり着くのは大変です。ジャパンナレッジで全文検索すれば、何らかの手がかりが得られます。
『ドナルド・キーン著作集』ではこのほかに、「国史大辞典」「日本歴史地名大系」「新編 日本古典文学全集」「能・狂言事典」などのお世話になりました。特に「日本人名大辞典」は、旧暦時代の人物の生没年月日が旧暦・新暦併記になっており、とても助かりました。
余談ですが、こうした校閲作業を通して、あらためてキーン先生の学識の深さ、日本語読解力に驚かされています。先生は、ほとんどの作品は時間の都合から英語で書かれますが、見事な日本語の文章も書かれます。難しい漢字が好きで、手書きの古文書も解読なさり、古語や文語の細かなニュアンスも正確に読み取られます。ジャパンナレッジで確認していきながら、その正確さがわかった時には驚嘆しました。
キーン先生のような“知の巨人”の本に関われることは、校閲者として鍛えられ、厳しくも楽しいものです。かつて校閲部長に、「校閲は著者のためにある」と言われましたが、どういう意味なのか? それを常に考えながらも、裏方として、これからも著作物をより確実なものにするためのお手伝いができればと思っています。
2018-04-09
出版社:新潮社
18歳で『源氏物語』に出会って以来、80年近くにわたり日本文学を研究し世界に紹介してきたコロンビア大学名誉教授、ドナルド・キーン氏。日本への永住を決意した東日本大震災の年、2011年12月から刊行を開始した氏の文業の集大成となる著作集。
「校閲担当者のおすすめは、キーン先生が日本に惹かれた理由や、軍隊での体験、学者としての遍歴などを率直に書かれた第十巻『自叙伝 決定版』と、第十二~十四巻『明治天皇』です。今年は明治150年だそうですが、明治日本がどのように国家体制を形成していくかが見えてきます」(石川さん)
第一巻「日本の文学」
吉田健一、篠田一士、大庭みな子、平野勇夫/訳 3,888円(税込)
第二巻「百代の過客」 金関寿夫/訳 3,240円(税込)
第三巻「続 百代の過客」 金関寿夫/訳 3,888円(税込)
第四巻「思い出の作家たち」 4,104円(税込)
第五巻「日本人の戦争」 松宮史朗、角地幸男/訳 4,104円(税込)
第六巻「能・文楽・歌舞伎」 3,240円(税込)
第七巻「足利義政と銀閣寺」 角地幸男/訳、他 3,240円(税込)
第八巻「碧い眼の太郎冠者」 足立康/訳、他 4,104円(税込)
第九巻「世界のなかの日本文化」 司馬遼太郎、安部公房/著 3,888円(税込)
第十巻「自叙伝 決定版」 3,456円(税込)
第十一巻「日本人の西洋発見」 3,672円(税込)
第十二巻「明治天皇〔上〕」 角地幸男/訳 3,240円(税込)
第十三巻「明治天皇〔中〕」 角地幸男/訳 3,240円(税込)
第十四巻「明治天皇〔下〕」 角地幸男/訳 3,240円(税込)
第十五巻「正岡子規・石川啄木」 今夏刊行予定
別巻「補遺・書誌・年譜 他」 刊行日未定