東雅夫さんの得意分野は、幻想文学や怪談だが、その視点でジャパンナレッジを眺めてみると、実は「怪談」が多く収録されているという。特に注目すべきは「東洋文庫」で、氏いわく「怪談の宝庫」。文芸評論家でもある氏に、おすすめの東洋文庫をご紹介いただいた。
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家、怪談専門誌『幽』編集顧問。早稲田大学第一文学部卒。1982年『幻想文学』を創刊し、2003年まで編集長を務める。2011年『遠野物語と怪談の時代』で第64回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。著書に『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』『百物語の怪談史』、編纂書に『文豪妖怪名作選』『澁澤龍彦 ドラコニアの夢』、監修書に『怪談えほん』ほか多数。
取材・文/角山祥道 写真/五十嵐美弥
東洋文庫の素晴らしいところは、日本のみならずアジア圏全域の古典を、一般読者にも親しみやすい形で取り揃えている点だと思います。今回は私の専門である「怪談文芸」という視点から、オンライン読書散策をしてみましょう。
浅井了意の仮名草子『伽婢子』は、近世における怪談文芸の幕開けを告げる名著です。怪談話の定番の「牡丹燈籠」の元ネタも、本書に含まれています。了意は元は説教僧で、布教のためのツールとして怖い話を活用していたとおぼしい。聴衆を惹きつけるためには、ストーリーの面白さが必須で、了意はそれを中国や朝鮮の怪奇小説に求めたのですね。「牡丹燈籠」も、原典は中国明代の怪異小説集『剪燈新話(せんとうしんわ)』です。
その『剪燈新話』も、ちゃんと東洋文庫で読めます。たとえば「牡丹燈記」を『伽婢子』のそれと読み較べてみると、了意がどこを改変し、どこをそのまま残して、日本人向けにアレンジしたかが一目瞭然となります。同時に日本と中国の習俗の違いも実感できます。東洋文庫ならではの醍醐味でしょう。『雨月物語』で有名な上田秋成も『剪燈新話』を愛読して、自作に活用していますね。
つまり日本の怪談文芸の一大源流は、中国の怪談本すなわち「志怪」の書であるわけですが、その嚆矢(こうし)とされる干宝の『捜神記』も、東洋文庫に収録されています。成立は4世紀頃という遥かな古代ですが、枯淡にして力強い怪異描写には、現代の読者をも惹きつける魅力があります。「六朝小説中の白眉」(塩谷温(しおのやおん)『中国文学概論』講談社学術文庫)と評される所以でしょう。怪談文芸の大家・岡本綺堂は『捜神記』の邦訳を手がけていますが、綺堂怪談の語りの呼吸には、『捜神記』のそれに通ずるものがあると思います。
先行する怪談集や奇談随筆を自作に活用する伝統は、実は近現代の怪談文芸作品にも受け継がれています。その好例が根岸鎮衛の『耳袋』。同書は江戸町奉行だった著者が、折にふれ書き留めた奇談・珍談・巷説の宝庫です。京極夏彦の『旧談』(原題は『旧耳袋』)も、宮部みゆきの〈霊験お初捕物控〉シリーズも、同書に所載の怪談奇聞にインスパイアされた作品。また、怪談実話の定番である『新耳袋』シリーズの書名は、この『耳袋』に敬意を表して付けられました。
近代怪談文芸の巨匠として知られる泉鏡花や岡本綺堂も、和漢の奇談随筆や怪談本を実によく渉猟していますね。特に鏡花は『甲子夜話』がお気に入りだったようで、「龍胆(りんどう)と撫子(なでしこ)」「甲乙(きのえきのと)」「妖魔の辻占」「ことば・人魚」等々の作品に、同書所載の怪談奇聞を活用していて、相当に読み込んでいたことを窺わせます。この『甲子夜話』は、肥前平戸藩主の松浦静山が著した大著ですが、なんと東洋文庫には、正篇のみならず続篇まで丸ごと収録(全20巻!)。快挙としかいいようがありませんね。
そんな泉鏡花と若い頃から「おばけずき」仲間だったのが、日本民俗学の父・柳田國男です。柳田が後に「民俗学」となる学問を志向した起点には、近世以前の怪談本や奇談随筆の徹底した渉猟があります。柳田民俗学の原点には怪談があるのですよ。東洋文庫には、柳田自身が「珍本」と称した『山島民譚集』が収められていますが、こちらは「増補」とあるように、旧版全集にも未収録だった草稿8篇が新たに収録されています。本人が、南方熊楠(みなかた・くまぐす)の文体を意識したと認めているように、後年の柳田調とは異質な語り口で、河童や山姫や八百比丘尼(やおびくに)や隠れ里や……妖しい伝承の数々を採録しています。いわば柳田自身による奇談随筆の試みともいうべき奇書で、それをわざわざ増補版として刊行した東洋文庫の見識に拍手を送りたいと思います。
そんな柳田國男が、みずからの先達として敬愛していたのが、江戸後期の旅行家・菅江真澄でした。真澄は三河の人ですが、後半生を信濃から東北、北海道の遍歴に捧げて、詳細な旅行記『菅江真澄遊覧記』を遺しました。私は東日本大震災の前後から「みちのく怪談」ということを提唱してきましたが、東北の霊的世界について考える時にも、同書は必読の文献です。『幽』28号の特集「山妖海怪、奇奇怪怪」の恐山紀行(「日本怪談紀行」)では、真澄の記述にずいぶん助けられました。
中世以前の怪談文学史をたどるうえで欠かせない基本図書も、東洋文庫で読むことができます。日本最大の説話集である『今昔物語集』の、とりわけ「巻第二十七 本朝・霊鬼」の部(『今昔物語集5』所収)は、王朝人を戦慄せしめた鬼や幽霊や狐の怪異を多数収録していて必読。『羅生門』の芥川龍之介や『風のかたみ』の福永武彦や『陰陽師(おんみょうじ)』の夢枕獏(ゆめまくら・ばく)をはじめ、同書の説話にインスパイアされて、名作佳品を遺した近現代の作家も少なくありません。
同じくジャパンナレッジの「新編 日本古典文学全集」にも『今昔物語集』が収録されており、こちらでは原文を目にすることができます。
『伽婢子』の浅井了意らに繋がる仏教唱導系の怪異小説の元祖というべき仏教説話集『日本霊異記』も、読みやすい口語全訳で東洋文庫に収められています。説法のツールである以上、やはり聴衆に「本当にあった出来事」だと思わせる必要があるため、妙にディテールにこだわるあたり、現代の怪談実話本に一脈通じるところがあって面白いのですね。そういう視点から読むエンタメ読者にとっても、現代語訳はありがたいだろうと思います。
同書の原文も、「新編 日本古典文学全集」で読むことができます。
『古事記』とならぶ日本最古の書物である『風土記』も、実は怪談実話の元祖と目される一面を持っています。何故なら、同書の編纂をうながす朝廷の文書には、古老の伝える旧聞奇聞の類を記すべし、という一項があって、そこには当然のことながら、怪談や妖怪談が含まれるからです。『文豪ノ怪談ジュニア・セレクション〈夢〉』(汐文社)には、夢と死に関わる怖い話(「黄泉(よみ)の穴」)を『出雲国風土記』から採録して、原文と読み下し文、それに現代語訳の三つを併載してあるので、日本最古の怪談実話がどんな形で記されているかを体感できると思います。そこで興味を惹かれたら、東洋文庫版『風土記』、もしくは新編日本古典文学全集版『風土記』で、さらに自分好みの話を渉猟していただけると嬉しいかぎりです。
以上10作品。ジャパンナレッジの「東洋文庫」でお好みの「怪談」を探してみてはいかがでしょうか。
2016-07-04
出版社:汐文社
夏目漱石・芥川龍之介・太宰治......。文豪がのこした怪談の傑作を、アンソロジストで文芸評論家の東雅夫が児童向けにわかりやすく編纂したシリーズ。一流の絵師・イラストレーターによる挿絵を豊富に使い、読みやすくなっている。総ルビ、丁寧な註釈つき。
夢 夏目漱石・芥川龍之介ほか 東 雅夫:編/山科理絵:絵 1,600円(税別)
獣 太宰治・宮沢賢治ほか 東 雅夫:編/中川学:絵 1,600円(税別)
恋 川端康成・江戸川乱歩ほか 東 雅夫:編/谷川千佳:絵 1,600円(税別)
呪 小泉八雲・三島由紀夫ほか 東 雅夫:編/羽尻利門:絵 1,600円(税込)
霊 星新一・室生犀星ほか 東 雅夫:編/金井田英津子:絵 1,600円(税別)