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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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五輪書(世界大百科事典・日本大百科全書)
江戸初期の兵法書。二天一流の流祖宮本武蔵の著。仏教の〈五大〉,地水火風空にかたどって5巻に分かれ,地の巻は兵法の大意,水の巻は兵法の利,火の巻は合戦の理,風の巻は他流の評論,空の巻は兵法の奥義について述べている。1643年(寛永20)から45年
醒睡笑(世界大百科事典・日本大百科全書)
笑話本,噺本。8巻。安楽庵策伝が,京都所司代板倉重宗の依頼によって1615年(元和1)ごろに筆を起こし,23年に完成,28年(寛永5)3月17日に重宗に献呈したもの。写本で伝わるもの(広本)と整版本(略本,狭本)があるが,内閣文庫本(広本)には
十字軍(世界大百科事典・日本大百科全書・文庫クセジュ)
クレルモン会議(1095)で教皇ウルバヌス2世により宣言された第1回十字軍以来,チュニスで敗退した最終回(1270)まで何回かにわたって西欧キリスト教徒の軍団が行った中近東各地への軍事遠征。広義にはイベリア半島,イタリア,地中海の島々などをイスラムの
始皇帝(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・日本大百科全書)
中国,秦31代の王(在位,前247-前222),中国最初の皇帝(在位,前222-前210)。姓は嬴(えい),名は政。荘襄王の子。一説では実父は陽翟の大賈である呂不韋とする。荘襄王が人質となって趙に寄寓していたおりに呂不韋は自分の姫妾を荘襄王に献上した
孔子(国史大辞典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
前五五二-四七九中国、春秋時代の学者。儒教の祖。諱は丘、字は仲尼。魯の襄公二十一年(前五五二、または同二十二年ともいう)十月庚子(二十一日)、魯国昌平郷陬邑(すうゆう)に生まれた。父は孔(こつ)、字を叔梁といい、勇士として知られ、母は顔氏の女で徴在と
釈迦(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・国史大辞典)
仏教の開祖。釈迦はサンスクリット語のシャーキャムニŚākyamuniの音訳,釈迦牟尼(むに)(〈釈迦族の聖者〉)の略。釈尊(しやくそん)は釈迦牟尼世尊(せそん)(尊称)の略。釈迦は歴史的実在の人物であり,その人種的帰属(モンゴル系かアーリヤ系か)や
アイヌ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である。アイヌ語でアイヌとは人間を意味し、自らの居住する領域を陸と海を含めてモシリとよんでいた。アイヌの占有的に生活する領域はアイヌモシリ、すなわち人間の大地、人間の世界を意味する
ロシア人(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
ロシア連邦の中核をなす民族。人口は旧ソ連領内に約1億4515万5000人(1989)で、その99.9%がロシア語を母語とする。本来の居住地はウラル山脈以西のヨーロッパ・ロシアであるが、16世紀以降のシベリア入植によって現在はシベリアの人口の90%以上
ロシア 【露西亜】(世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
正式名称=ロシア連邦RossiiskayaFederatsiya,Rus-sianFederation 面積=1709万8242km2 人口(2010)=1億4294万人 首都=モスクワMoskva(日本との時差=-6時間) 主要言語=ロシア語 通貨=ルーブルRubl' ユーラシア大陸北部の大国。ソ連邦を構成する共和国の一つ
スターリン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本名ジュガシビリДжугашвили/Dzhugashvili。ソ連の政治家。12月21日ジョージア(グルジア)のゴリという町の靴屋の子に生まれる。チフリス(現、ジョージア・トビリシ市)の神学校在学中にマルクス主義の洗礼を受け、職業革命家の道に入った
高浜虚子(日本大百科全書・世界大百科事典)
俳人、小説家。明治7年2月22日(臍(ほぞ)の緒書(おがき)では20日)松山市長町新丁(現湊(みなと)町4丁目)に生まれる。本名清。父池内庄四郎政忠(しょうしろうまさただ)(のちに信夫(のぶお))は藩の剣術監、母は柳(りゅう)。1882年(明治15)
川端康成(日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。明治32年6月14日、大阪に生まれる。医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(しゅくのしょう)(現茨木(いばらき)市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年のとき姉
静御前(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。源義経(よしつね)の妾(しょう)。磯禅師(いそのぜんじ)の女(むすめ)で、もと京都の白拍子(しらびょうし)であった。義経が京都堀川第(ほりかわだい)で兄頼朝(よりとも)の刺客土佐房昌俊(とさぼうしょうしゅん)に襲われたとき、機転によって
畠山重忠(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉初期の武将。重能(しげよし)の子。母は三浦義明(よしあき)の女(むすめ)。系図によれば桓武(かんむ)平氏の流れで、畠山を称したのは武蔵(むさし)国畠山庄(しょう)(埼玉県深谷(ふかや)市川本地区付近)の庄司(しょうじ)であった重能からである
平宗盛(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安末期の武将。父は平清盛(きよもり)、母は平時子。久安(きゅうあん)3年誕生。同腹弟妹に知盛(とももり)・重衡(しげひら)・建礼(けんれい)門院徳子(とくこ)がいる。従(じゅ)一位内大臣。1179年(治承3)清盛の嫡男重盛(しげもり)が病没後
三浦義村(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉前期の武将。義澄(よしずみ)の子。母は伊東祐親(いとうすけちか)の女(むすめ)という。駿河守(するがのかみ)。評定(ひょうじょう)衆。1199年(正治1)梶原景時(かじわらかげとき)排斥を策謀したのをはじめ、1213年(建保1)和田の乱では
文覚(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
生没年未詳。平安末~鎌倉初期の僧。俗名遠藤盛遠(えんどうもりとお)。摂津の渡辺党の遠藤茂遠(もちとお)の子。初め上西門院(じょうさいもんいん)に仕えたが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻袈裟(けさ)に恋慕し、誤って彼女を殺したのが動機で出家し
沖縄(県)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
旧琉球王の支配地で、沖縄・宮古・八重山の三郡島からなり、六十余島が散在している。主島は沖縄本島。沖縄は島民の固有語で、琉球は中国名である。「おきなわ」の語の文献上の初見は、宝亀十年(七七九)鑑真の弟子思託の手記に基づいて、淡海三船が撰述した
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
古本説話集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代後期の説話集。編者不明。二巻。上巻四十六話は本朝世俗説話で、すべて和歌をふくんでいる。下巻二十四話のうち三話は天竺の、ほかの二十一話は日本の仏教説話である。成立は大治年間(一一二六―三一)の末ごろと推定されているが、異説もある。上巻には
御堂関白記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
藤原道長の日記。名称は、はじめは「入道殿御暦」「入道殿御日記」「御堂御日記」「御堂御暦」「御堂御暦記」「御暦日記」「法成寺入道左大臣記」「入道大臣記」などと呼ばれたが、「御堂御記」という固定化した名称が用いられるようになり、江戸時代の諸写本においては
国際連合(日本大百科全書・世界大百科事典)
国際連合(以下国連と略称)は、国際連盟TheLeagueofNationsの後を受けて、第二次世界大戦直後に設立され、国際平和と安全の維持をおもな目的とする、普遍的な平和機構である。一般的には、この名称は、国連憲章Charter of the United Nationsに基づいて設立された
チェルノブイリ原発事故(世界大百科事典・岩波 生物学辞典)
1986年4月26日,旧ソ連ウクライナ共和国の北辺に位置するチェルノブイリChernobyl’原発で発生した原子力発電開発史上最悪の事故。1986年8月にソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告に基づくと,事故により原子炉職員と消防士
建武以来追加(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
室町幕府の追加法を編纂した法令集。室町幕府は鎌倉幕府に次いで『御成敗式目』を基本法とし、必要に応じて追加を発布した。『建武以来追加』は、建武年間(一三三四―三八)以来の室町幕府の追加集の意であり、『建武式目』に対する追加を意味するものではない。最古の
元寇(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代のなかば、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の2回にわたり行われた蒙古(もうこ)(元)の日本侵略。文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき)、蒙古襲来ともいい、当時は蒙古合戦、異国合戦と称し、元寇の語は近世以後定着した。
承久の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
承久三年(一二二一)後鳥羽上皇とその近臣たちが鎌倉幕府を討滅せんとして挙兵、逆に大敗、鎮圧された事件。大義名分論、順逆論の立場からは「承久の変」ともいい、第二次世界大戦中はほとんど「変」に統一されたが、中世以来、乱・合戦などと称する方がむしろ一般的で
平治の乱(世界大百科事典・日本国語大辞典)
1159年(平治1)に起こった内乱。保元の乱に勝った後白河天皇は1158年(保元3)に退位して院政をはじめるが,その間に院近臣や武士のあいだに権力争いがはげしくなっていた。院権臣の信西(藤原通憲)と藤原信頼とは互いに権勢を競って対抗し,とくに信西が信
保元の乱(世界大百科事典・日本国語大辞典)
1156年(保元1)に起こった京都の争乱。〈ほげんのらん〉ともいう。皇室・摂関家内の勢力争いに源平2氏の武力が介入して勃発した。白河院政開始(1086)後,朝廷には〈治天の君(ちてんのきみ)〉=院と天皇と二つの権力が競合併存することとなり,それにとも
満州国(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本が満州事変によってつくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)から1945年まで、中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。[君島和彦]▲前史満州とは現在の中国東北3省(遼寧(りょうねい)、吉林(きつりん)、黒竜江
壇ノ浦の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1185年(文治1)下関(しものせき)市東方の壇之浦で行われた源平最後の海戦。この年2月屋島(やしま)の戦いに敗れた平氏の総帥宗盛(むねもり)らは、長門彦島(ながとひこしま)(下関市)に拠(よ)る平知盛(とももり)の軍と合体、九州の源範頼(のりより)
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