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旋頭歌(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。
歌論書(国史大辞典)
歌に関して批評的文学論的見解を述べた文献。歌の定義・要素・分類・歌病などのほかに、歌に関する種々の研究、たとえば歌集の校訂・注釈・類纂および歌書の文化史的研究などをも含むものが多い。奈良時代、『万葉集』にも批評意識は散見するが、歌論書としては『歌経標式』(藤原浜成)
歌仙(国史大辞典)
古く歌泉(『万葉集』)とも。歌道において特に優れた者。のちには特定の歌人を指すに至った。『古今和歌集』序により、柿本人麻呂・山部赤人を二歌聖、在原業平・小野小町・僧正遍照・喜撰法師・文屋康秀・大伴黒主の六人を六歌仙と称した。のちに成った各種の新六歌仙・続六歌仙などと
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。
千載和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
第7番目の勅撰和歌集。藤原俊成撰。平氏都落ち直前の1183年(寿永2)2月に後白河院の下命があり、源平戦乱終息後の1187年(文治3)に形式的奏覧、翌年俊成75歳のおりに完成した。前勅撰集の『詞花集』に対しては歌壇に強い批判があり、その気運のなかから『拾遺古今』『後葉集』などの
梁塵秘抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌謡集。後白河天皇撰。全二十巻のうち、巻一巻頭の断簡と巻二全体および口伝集巻一巻頭の断簡と口伝集巻十全体が現存する。歌謡集十巻と口伝集十巻から成っていたと推定される。十一世紀初頭ごろ、今様歌とよばれる流行歌謡がうたわれていた。それらは十一世紀後葉から十二世紀前葉に
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。
成尋阿闍梨母集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代中期の家集。二巻。作者の出自・生没などは不明の点が多いが、源俊賢女として永延二年(九八八)ごろ生まれ、藤原実方の男と結婚して男二人を生み、間もなく夫に死別しわが子の成長を唯一の頼みに五十余年の寡婦生活を続けた。八十歳を超えた延久二年(一〇七〇)
今鏡(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。1170年(嘉応2)成立説とそれ以後とする説とがあり、作者は藤原為経(寂超)説が有力。『大鏡』を受けて、1025年(万寿2)から1170年までの歴史を、座談形式を用い、紀伝体で叙述したもの。巻1~3は後一条天皇から高倉天皇までの帝紀、巻4~6は藤原氏
詞花和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安朝第6番目の勅撰和歌集。10巻。崇徳院の下命で、藤原顕輔が撰進した。1144年(天養1)下命ののち7年を経て、51年(仁平1)に完成、院の意志でさらに7首を削って409首の第二次精撰本が完成。もっとも小規模な勅撰集である。顕輔の撰集は、前代歌人を重視し、冒険を避けたが
金葉和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安朝第5番目の勅撰和歌集。撰集下命者は白河院、撰者は源俊頼。1124年(天治1)に最初の草稿を奏覧に入れたが、新味がないと返却され、次に翌年4月に改撰して奏上したが、今度は現代歌人に偏りすぎるという理由で受納されず、三度目に三代集歌人を復活させた草稿を呈したところ
大鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安後期の歴史物語。文徳天皇の850年(嘉祥3)から後一条天皇の1025年(万寿2)まで、14代176年間の歴史を描いたもので、1025年を現在時として叙述しているが、これは藤原道長の栄華の絶頂で擱筆しようとした作者の作為で、実際は1025年以後40、50年から90年の間の成立とみられる
俊頼髄脳(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌学書。源俊頼著。もと五巻か。『今鏡』すべらぎの中および本書顕昭本奥書により、俊頼が関白藤原忠実の依頼で、その娘(のちの高陽院泰子)の后がね教育のため、天永二年(一一一一)から永久二年(一一一四)の間に述作したもの。『和歌童蒙抄』以下に『俊頼朝臣無名抄』
讃岐典侍日記(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕五月の空も、わたしの心に似て、雲に閉ざされ、雨が降り続いて、田植えに濡れた農夫の着物の裾も、わたしの衣の袖のように、干すことができずに困っているであろうが、それももっともなことと思われ、ただでさえうっとうしい折しも、何かと気を遣うことのない自宅
江談抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代後期の説話集で、大江匡房の談話を集めたもの。「江談」の偏をとって『水言鈔』とも題される。信西入道(藤原通憲)の父藤原実兼の筆録とされてきたが、内容からみて筆録者は複数であると考えられる。成立は匡房の没年(天永二年(一一一一))を下限と見るべきであろうが
扶桑略記(日本大百科全書・世界大百科事典)
神武天皇から堀河天皇までの漢文編年体の歴史書。平安末期の成立で、著者は阿闍梨皇円(?―1169)。仏教関係に重点が置かれている。堀河天皇の1094年(嘉保1)で終わっているので、この後に成立したことは確かである。13世紀後半に成立したと考えられている『本朝書籍目録』によれば30巻
後拾遺和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
第四代の勅撰和歌集。藤原通俊撰。二十巻。白河天皇の側近通俊は承保二年(一〇七五)九月、撰集の命を受けたが、右中弁蔵人頭の劇職にあって果たさず、参議に昇任した応徳元年(一〇八四)より着手、同三年春、一応の草稿を整え、源経信・康資王母らの協力を得て同年九月十六日に奏上し
狭衣物語(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安後期の物語。4巻。作者は後朱雀院の皇女禖子(ばいし)内親王に仕えた宣旨(女房の名)と伝えられる。宣旨は1055年(天喜3)5月の《六条斎院歌合》(題物語)に《玉藻に遊ぶ》という物語を提出しているが,今は散逸している。宣旨には源頼国女が擬せられているが確かでない。
本朝文粋(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代の漢詩文。藤原明衡編。十四巻。康平年間(一〇五八―六五)に成るか。弘仁期から長元期に至るまでの二百年間の詩文四百二十七篇を収める。書名は宋の姚鉉の『唐文粋』に倣い、わが国の文章の精粋を集めたことによる。平安時代中期から邦人の秀句の朗詠が行われ『和漢朗詠集』が
陸奥話記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代十一世紀後半の天喜・康平年間(一〇五三―六四)に陸奥国北部で俘囚安倍氏が起した反乱、いわゆる前九年の役の顛末を漢文体で記した書。一巻。『陸奥物語』『奥州合戦記』などともよばれたらしい。著者・成立年代ともに未詳であるが、本文末尾に
夜の寝覚(夜半の寝覚)(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安後期の物語。『夜半の寝覚』とも、単に『寝覚』ともよばれる。現在の伝本は五巻または三巻であるが、その中間部分と終末部分とに大きい欠巻部分がある。原形態は、現存本の2倍から3倍の量があったと推定されるが、厳密には不明である。作者については、藤原定家が『浜松中納言物語』
更級日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
浜松中納言物語(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安後期成立の物語。現存5巻であるが、首部に1、2巻の欠巻がある。藤原定家筆、御物本『更級日記』奥書に「常陸守菅原孝標(すがはらのたかすゑ)の娘の日記也。(中略)夜半の寝覚、御津の浜松、みづから悔ゆる、朝倉などは、この日記の人の作られたるとぞ」と、『御津の浜松』
栄花物語(栄華物語)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代後期の歴史物語。四十巻(異本系三十巻)。『栄華物語』とも書く。『大鏡』とともに『世継』『世継物語』などとも呼ばれたため、時に両書は混同されたこともある。前三十巻の正編と、後十巻の続編の二部に大別され、まず正編が書かれた後
六家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期から鎌倉初期にかけての代表的な歌人六人の私家集の総称。藤原俊成の「長秋詠藻」、藤原良経の「秋篠月清集」、慈円の「拾玉集」、西行の「山家集」、藤原定家の「拾遺愚草」、藤原家隆の「壬二集」の六つをいう。抄出本に牡丹花肖柏の「六家抄」がある。「りっかしゅう」とも
長秋詠藻(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌人藤原俊成の家集。上・中・下三巻。書名の「長秋」は、俊成が皇太后宮大夫であったことから、皇后宮の唐名「長秋宮」にちなんだもの。伝本は四類に分けられる。第一類本は、治承二年(一一七八)三月に成立し、同年夏守覚法親王に進覧された俊成自撰の原形本の形を伝える本。
山家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期の私家集。三巻。西行の詠歌を収める。四季・恋・雑に部類され、歌数は流布本で約一六〇〇首、別に異本山家集、西行法師家集と呼ばれるものがあり、約六〇〇首。「山家心中集」はその抄出本。六家集の一つ。西行の家集には他に「聞書集」「聞書残集」などがある。
古今和歌六帖(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安中期の私撰集。六巻。編者、成立年代とも未詳。貞元元年〜永延元年(九七六〜九八七)頃成立。「万葉集」「古今集」「後撰集」など、古来の歌四五〇〇首ばかりを、歳時、天象、地儀、人事、動植物など二五項五一七題に分類したもの。作歌の手引、古歌考証の資料として利用された。
新撰和歌(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代初期の私撰和歌集。『新撰和歌集』ともいう。撰者は紀貫之。巻一春秋・百二十首、巻二夏冬・四十首、巻三賀哀・二十首、別旅・二十首、巻四恋雑・百六十首の計四巻三百六十首から成る。巻頭に「新撰和歌序」「玄蕃守従五位上紀朝臣貫之上」として真名序を付す。
新撰万葉集(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌合の歌をすべて万葉仮名で抄録し、それに訳詩を加えた私撰詩歌集。菅原道真の撰になるもので、『菅家万葉集』ともよばれた。従来増補本のみであったが、昭和二十四年(一九四九)原撰本が出現した。原撰本は『日本紀略』『新撰朗詠集』『奥儀抄』などにもみるごとく、菅原道真の撰であり
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