「古典文学」カテゴリの記事一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「古典文学」のカテゴリ別サンプルページです。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
源氏物語 日本書紀 今昔物語 歳時記 万葉集 平家物語 徒然草 太平記 古事記 金々先生栄花夢 黄表紙 宇治拾遺物語 伊勢物語 群書類従 枕草子 風土記 短歌 平中物語 大和物語 竹取物語 古今和歌集 日本霊異記 井原西鶴集 日本霊異記 漢詩・唐詩・叙事詩 紀行文 軍記物・戦記・兵法 和歌・歌人 日記 物語・伝記・散文・読本・滑稽本・噺本・自伝 往生伝 歌謡 説話 歴史書・政治書・法令・法典 歌論書 随筆 文学評論書・画論 私家集 注釈書 連歌 歌 川柳・狂句 世界の古典 洒落本 仮名草子・浮世草子 衛生書・医学書

明月記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
藤原定家(ていか)の日記で「照光記」ともいう。現存は、1180年(治承4)の18歳から1235年(嘉禎1)74歳までの56年間の日次(ひなみ)日記。途中欠脱もあるが、原本の多くが冷泉(れいぜい)家時雨(しぐれ)亭文庫に現存する。冷泉家に残る譲状

紫式部日記(日本古典文学全集)
〔一〕秋の色合いが、あたり一帯に立ちそめるにつれて、ここ土御門のお邸のたたずまいは、言いようもなく風情がある。池の岸辺の木々の梢や、遣水の汀の草むらなど、とりどり一面に色づいて、空一帯の様子も夕映え美

孔子家語(日本大百科全書)
孔子の言行、逸話を集録した書。略して『家語』ともいう。『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)の六芸(りくげい)略論語類には、撰者(せんじゃ)不明の『孔子家語』27巻が記載されている。原書はつとに亡失したようで、10巻44編からなる現行本は、三国魏

先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に編纂(へんさん)されたと推定される歴史書。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子(そがのうまこ)らの撰録(せんろく)するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(しゅうい)』などからの引用があるので、本書は807年

日本三代実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
50巻。六国史(りっこくし)の一つ。『文徳(もんとく)実録』に続く勅撰(ちょくせん)の歴史書。清和(せいわ)(在位858~876)、陽成(ようぜい)(在位876~884)、光孝(こうこう)(在位884~887)三天皇の時代30年を収めた編年体の実録。

昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談(東洋文庫)
最後の将軍徳川慶喜は,毀誉褒貶にかこまれてその実体が捉えがたい。本書は私家版として25部だけひそかに刷られ,以後公刊されることのなかった稀覯本。読書人垂涎の書である。1966年10月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)徳川慶喜公伝自序第一半弓と

渋沢栄一伝記資料(国史大辞典)
財団法人竜門社の編纂・刊行による渋沢栄一の伝記資料。竜門社では、栄一の死後、嫡孫で相続人だった渋沢敬三の意見により伝記の執筆と伝記資料の蒐集編纂とを分けて行う方針をとり、伝記の執筆を幸田露伴に、伝記資料の蒐集編纂を幸田成友に依頼した。こうしてまず

中世和歌集(日本古典文学全集)
御裳濯河歌合西行法師判者俊成卿一番左持山家客人岩戸を開けた天照大神のその昔に、いったい誰がこのように(御裳濯河のほとりに美しく咲いている)桜を植えたのであろうか。右野径亭主神路山には月が清らかに澄んで

歴史物語(日本大百科全書・国史大辞典)
日本文学史上の一ジャンル。歴史に取材した物語の総称。作品としては、『栄花(えいが)物語』『大鏡(おおかがみ)』『今鏡』『水鏡』『増(ます)鏡』などがあり、これに『秋津島(あきつしま)物語』(作者不詳)、『月の行方(ゆくえ)』(荒木田麗女)

日本紀略(日本大百科全書・国史大辞典)
神代から後一条(ごいちじょう)天皇(在位1016~36)までの編年体の史書。34巻。著者不詳。成立は平安末期。『日本紀類』『編年紀略』ともいう。前半は六国史(りっこくし)を抄録したもの。後半は、書法、体裁がまったく前半と異なり、公私の日記などを史料と

吾妻鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉幕府が編纂(へんさん)した幕府自身の歴史書。東鑑とも書く。巻数未詳(現存部分は、欠巻1巻を含め52巻)。将軍ごとの編年体の形をとり、1180年(治承4)以仁王(もちひとおう)、源頼政(よりまさ)の挙兵から、1266年(文永3)前将軍宗尊

信長公記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
織田信長(おだのぶなが)の伝記。『信長記(しんちょうき)』ともいう。作者は太田牛一(おおたぎゅういち)。1568年(永禄11)の信長上洛(じょうらく)から82年(天正10)本能寺の変で倒れるまでの15年間の事跡を、1年1巻として記す十五巻本と

本朝通鑑(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成(ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑(しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山(らざん)が3代将軍徳川家光(いえみつ)の命により編修、神武(じんむ)

読史余論(日本大百科全書・世界大百科事典)
新井白石(あらいはくせき)の著した史論書で、1712年(正徳2)における将軍徳川家宣(いえのぶ)への進講案。摂関(せっかん)政治から徳川家康の政権獲得に至る(実際は豊臣(とよとみ)秀吉の事業)までの政治史で、文徳(もんとく)天皇の世から建武中興

徳川実紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
初代家康(いえやす)以来10代家治(いえはる)に至る徳川将軍の実録。本編には編年体で歴代将軍の政治的業績を収録し、付録にはその嘉言(かげん)・善行を集め記す。本名は『御実紀』で、『徳川実紀』は俗称。「東照宮(家康)御実紀」のほかは歴代ごとに諡

あて宮(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕さて、あて宮が東宮に入内なさることは、十月五日と決定した。求婚なさっていた人々は、これを聞いてうろたえなさることこのうえない。そのなかにも、源宰相と御兄の侍従は、すっかり落胆して、ただもう死にそうだと心を惑わしいらだって

とりべ野(栄花物語)(日本古典文学全集)
〔一〕こうして八月ごろになると、皇后宮(定子)は、ただなんとなく心細いお気持になられて、明け暮れ御涙に濡れて、おいたわしいご様子でお過しになる。荻の葉を鳴らす風も萩の下枝に置く露もいちだんと御心にとまるような御有様でお過しあそばすにつけても

古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読

近世説美少年録(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
大将であった菊池武政の嫡子肥後守武朝の残党の、菊池肥後太郎武俊と呼ばれる者が、亡くなった武朝に縁のある者を集めて、肥後国阿蘇郡の阿蘇山の古城に立て籠り、近郷や隣郡を襲撃して、もっぱら猛威を振るう実情を、九州の守護大伴親春・太宰少弐らが上京させた急使が

応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話に

詠歌大概(歌論集)(日本古典文学全集)
歌の内容は、なにより新鮮な詩情をとらえようとすべきであり〔人がまだとらえたことのない、新しい着想を求めて詠むべきである〕、表現にあたっては古歌の歌詞を用いるべきである〔歌詞として用いる語句は、三代集における優れた歌人の用いたもの以外に出てはならない。『新古今集』に入集している

建武以来追加(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
室町幕府の追加法を編纂した法令集。室町幕府は鎌倉幕府に次いで『御成敗式目』を基本法とし、必要に応じて追加を発布した。『建武以来追加』は、建武年間(一三三四―三八)以来の室町幕府の追加集の意であり、『建武式目』に対する追加を意味するものではない。最古の

漢文学(日本大百科全書)
日本人の創作した漢詩および文学的な漢文。漢文学は日本人が中国の言語文字を用いて、日本人の思想感情を表現したものであることはいうまでもないが、中国の文学を崇拝、摂取して、自国の文学の発展に努力してきた。そのため中国文学の変遷に留意し、新しい傾向を追って

御堂関白記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
藤原道長の日記。名称は、はじめは「入道殿御暦」「入道殿御日記」「御堂御日記」「御堂御暦」「御堂御暦記」「御暦日記」「法成寺入道左大臣記」「入道大臣記」などと呼ばれたが、「御堂御記」という固定化した名称が用いられるようになり、江戸時代の諸写本においては

多武峰少将物語(日本大百科全書・日本国語大辞典)
平安中期、10世紀後半の仮名文学。伝本の多くは「多武峯少将」とする。「物語」を書名に添えるのは江戸時代に入ってからである。『高光(たかみつ)日記』ともよばれるが、『河海(かかい)抄』(『源氏物語』の注釈書。14世紀)などに引く『高光日記』と同一か

古本説話集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代後期の説話集。編者不明。二巻。上巻四十六話は本朝世俗説話で、すべて和歌をふくんでいる。下巻二十四話のうち三話は天竺の、ほかの二十一話は日本の仏教説話である。成立は大治年間(一一二六―三一)の末ごろと推定されているが、異説もある。上巻には

松風(源氏物語)(日本古典文学全集)
〔一〕源氏の大臣は東の院を新築して、花散里と申した御方を移り住まわせなさる。西の対から寝殿の渡殿などにかけて、政所や家司などの詰所をしかるべくお設けになる。東の対は明石の御方のお住いにと予定していらっしゃる

東海道中膝栗毛(日本古典文学全集)
目次古典への招待凡例東海道中膝栗毛(扉)道中膝栗毛発端全(扉)膝栗毛発端序累解道中膝栗毛発端膝栗毛発端叙浮世道中膝栗毛完(扉)道中膝栗毛序道中膝栗毛凡例巻中書目浮世道中膝栗毛初篇東海道中膝栗毛二編乾・坤(扉)

新続古今和歌集(国史大辞典・日本国語大辞典)
室町時代に成立した勅撰和歌集。二十一代集の最後。永享五年(一四三三)八月将軍足利義教の発意により撰集の議が表面化し、二十五日後花園天皇の綸旨が撰者飛鳥井雅世に下り、和歌所開闔(かいこう、事務長)には権大僧都堯孝があてられた。九月歌人たちは勅撰集のため

醒睡笑(世界大百科事典・日本大百科全書)
笑話本,噺本。8巻。安楽庵策伝が,京都所司代板倉重宗の依頼によって1615年(元和1)ごろに筆を起こし,23年に完成,28年(寛永5)3月17日に重宗に献呈したもの。写本で伝わるもの(広本)と整版本(略本,狭本)があるが,内閣文庫本(広本)には