「古典文学」カテゴリの記事一覧
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群書治要(日本大百科全書・世界大百科事典)
中国、唐朝の太宗の勅命で魏徴(ぎちょう)ら学識ある高官たちが編纂(へんさん)した50巻の書。631年に成る。経書をはじめ正史や諸子の書六十数種から、為政者の参考となる箇条を抜き出してまとめたもの。中国では早く散逸したが、日本に伝わったものが皇室や武家
先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に編纂(へんさん)されたと推定される歴史書。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子(そがのうまこ)らの撰録(せんろく)するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(しゅうい)』などからの引用があるので、本書は807年
日本文徳天皇実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
『文徳実録』ともいう。勅撰(ちょくせん)の歴史書。10巻。六国史(りっこくし)の一つ。850年(嘉祥3)より858年(天安2)まで文徳天皇(在位850~858)一代の歴史の編年体の実録。藤原基経(もとつね)らが、871年(貞観13)に、清和(せいわ)
日本三代実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
50巻。六国史(りっこくし)の一つ。『文徳(もんとく)実録』に続く勅撰(ちょくせん)の歴史書。清和(せいわ)(在位858~876)、陽成(ようぜい)(在位876~884)、光孝(こうこう)(在位884~887)三天皇の時代30年を収めた編年体の実録。
昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談(東洋文庫)
最後の将軍徳川慶喜は,毀誉褒貶にかこまれてその実体が捉えがたい。本書は私家版として25部だけひそかに刷られ,以後公刊されることのなかった稀覯本。読書人垂涎の書である。1966年10月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)徳川慶喜公伝自序第一半弓と
徳川慶喜公伝 1(東洋文庫)
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。第1巻は,慶喜の誕生と幼児期について記す第1章から,安政の大獄にともなう隠居
渋沢栄一伝記資料(国史大辞典)
財団法人竜門社の編纂・刊行による渋沢栄一の伝記資料。竜門社では、栄一の死後、嫡孫で相続人だった渋沢敬三の意見により伝記の執筆と伝記資料の蒐集編纂とを分けて行う方針をとり、伝記の執筆を幸田露伴に、伝記資料の蒐集編纂を幸田成友に依頼した。こうしてまず
萬葉集巻第一 雑歌(日本古典文学全集)
萬葉集巻第一雑歌泊瀬朝倉宮御宇天皇代大泊瀬稚武天皇天皇御製歌籠毛与美籠母乳布久思毛与美夫君志持此岳尓菜採須児家告閑名告紗根虚見津山跡乃国者押奈戸手吾許曾居師吉名倍手吾己曾座我許背歯告目家呼毛名雄母泊瀬
萬葉集巻第二 相聞(日本古典文学全集)
萬葉集巻第二相聞難波高津宮御宇天皇代大鷦鷯天皇、諡曰仁徳天皇磐姫皇后思天皇御作歌四首君之行気長成奴山多都祢迎加将行待尓可将待右一首歌、山上憶良臣類聚歌林載焉。難波高津宮の天皇の御代大鷦鷯天皇、諡を仁徳
萬葉集巻第二 挽歌(日本古典文学全集)
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首勿念跡君者雖言相時何時跡知而加吾不恋有牟柿本朝臣人麻呂の妻、依羅娘子が人麻呂と別れるときの歌一首▼思うなとあなたがおっしゃっても今度いつ逢えると分っていたら
中世和歌集(日本古典文学全集)
御裳濯河歌合西行法師判者俊成卿一番左持山家客人岩戸を開けた天照大神のその昔に、いったい誰がこのように(御裳濯河のほとりに美しく咲いている)桜を植えたのであろうか。右野径亭主神路山には月が清らかに澄んで
歴史物語(日本大百科全書・国史大辞典)
日本文学史上の一ジャンル。歴史に取材した物語の総称。作品としては、『栄花(えいが)物語』『大鏡(おおかがみ)』『今鏡』『水鏡』『増(ます)鏡』などがあり、これに『秋津島(あきつしま)物語』(作者不詳)、『月の行方(ゆくえ)』(荒木田麗女)
日本紀略(日本大百科全書・国史大辞典)
神代から後一条(ごいちじょう)天皇(在位1016~36)までの編年体の史書。34巻。著者不詳。成立は平安末期。『日本紀類』『編年紀略』ともいう。前半は六国史(りっこくし)を抄録したもの。後半は、書法、体裁がまったく前半と異なり、公私の日記などを史料と
吾妻鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉幕府が編纂(へんさん)した幕府自身の歴史書。東鑑とも書く。巻数未詳(現存部分は、欠巻1巻を含め52巻)。将軍ごとの編年体の形をとり、1180年(治承4)以仁王(もちひとおう)、源頼政(よりまさ)の挙兵から、1266年(文永3)前将軍宗尊
信長公記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
織田信長(おだのぶなが)の伝記。『信長記(しんちょうき)』ともいう。作者は太田牛一(おおたぎゅういち)。1568年(永禄11)の信長上洛(じょうらく)から82年(天正10)本能寺の変で倒れるまでの15年間の事跡を、1年1巻として記す十五巻本と
本朝通鑑(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成(ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑(しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山(らざん)が3代将軍徳川家光(いえみつ)の命により編修、神武(じんむ)
読史余論(日本大百科全書・世界大百科事典)
新井白石(あらいはくせき)の著した史論書で、1712年(正徳2)における将軍徳川家宣(いえのぶ)への進講案。摂関(せっかん)政治から徳川家康の政権獲得に至る(実際は豊臣(とよとみ)秀吉の事業)までの政治史で、文徳(もんとく)天皇の世から建武中興
続史愚抄(世界大百科事典・国史大辞典)
亀山天皇受禅(1259)から後桃園天皇(在位1770-79)に至る編年体の歴史書。1777-98年(安永6-寛政10)の成立。柳原紀光(もとみつ)の編纂。《日本三代実録》以後の国史編述を目的とするものであったが,宇多天皇(在位887-97)から後深草天皇(在位1246-59)に至る
日本外史(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸後期の歴史書。22巻。頼山陽(らいさんよう)著。1827年(文政10)に完成し、松平定信(さだのぶ)に献呈された。1836~37年(天保7~8)ごろ刊行。源平二氏から徳川氏に至る武家の興亡が家別・人物中心に漢文で記述されている。20余年の歳月を
徳川実紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
初代家康(いえやす)以来10代家治(いえはる)に至る徳川将軍の実録。本編には編年体で歴代将軍の政治的業績を収録し、付録にはその嘉言(かげん)・善行を集め記す。本名は『御実紀』で、『徳川実紀』は俗称。「東照宮(家康)御実紀」のほかは歴代ごとに諡
後鑑(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸幕府が編纂(へんさん)した足利(あしかが)将軍家に関する歴史書。鎌倉幕府の『吾妻鏡(あづまかがみ)』に倣って奥儒者成島良譲(なるしまりょうじょう)(筑山(ちくざん))が編集にあたった。1853年(嘉永6)成立。原本は旧内務省地理課に伝来したが
藤原の君(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕昔、藤原の君と申しあげる一世の源氏がおいでになった。幼少の時から評判のお方で、容貌や心がまえ、才覚などすべてにほかの人よりも優れ、学問の道にも熱心に励んで、音楽の方面にも習熟しておられた。当時、この君を知る人は、「やはり賢明なお方だ
あて宮(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕さて、あて宮が東宮に入内なさることは、十月五日と決定した。求婚なさっていた人々は、これを聞いてうろたえなさることこのうえない。そのなかにも、源宰相と御兄の侍従は、すっかり落胆して、ただもう死にそうだと心を惑わしいらだって
とりべ野(栄花物語)(日本古典文学全集)
〔一〕こうして八月ごろになると、皇后宮(定子)は、ただなんとなく心細いお気持になられて、明け暮れ御涙に濡れて、おいたわしいご様子でお過しになる。荻の葉を鳴らす風も萩の下枝に置く露もいちだんと御心にとまるような御有様でお過しあそばすにつけても
古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
近世説美少年録(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
大将であった菊池武政の嫡子肥後守武朝の残党の、菊池肥後太郎武俊と呼ばれる者が、亡くなった武朝に縁のある者を集めて、肥後国阿蘇郡の阿蘇山の古城に立て籠り、近郷や隣郡を襲撃して、もっぱら猛威を振るう実情を、九州の守護大伴親春・太宰少弐らが上京させた急使が
応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話に
北条五代記(国史大辞典・世界大百科事典)
小田原北条氏にかかわる記事を集録した文献。十巻。著者は北条氏の家臣であった三浦茂正(法名浄心)。その序文に『慶長見聞集』の著者三浦茂正の旧友であった某が、同書の中から小田原北条氏に関する記事を選び出して十冊にまとめ、『北条五代記』と名付けたと記して
詠歌大概(歌論集)(日本古典文学全集)
歌の内容は、なにより新鮮な詩情をとらえようとすべきであり〔人がまだとらえたことのない、新しい着想を求めて詠むべきである〕、表現にあたっては古歌の歌詞を用いるべきである〔歌詞として用いる語句は、三代集における優れた歌人の用いたもの以外に出てはならない。『新古今集』に入集している
建武以来追加(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
室町幕府の追加法を編纂した法令集。室町幕府は鎌倉幕府に次いで『御成敗式目』を基本法とし、必要に応じて追加を発布した。『建武以来追加』は、建武年間(一三三四―三八)以来の室町幕府の追加集の意であり、『建武式目』に対する追加を意味するものではない。最古の