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国史大辞典のサンプルページ一覧

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大祓(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
百官以下万民の罪穢を祓い除き、清浄にするための神道儀礼。毎年六月・十二月晦日に行うほか、大嘗祭、斎宮・斎院の卜定・群行、また疫病流行、妖星出現、災害異変などのときに行なった。その起源は、伊弉諾尊が黄泉国よりかえり、筑紫の日向の小戸橘之檍原
愛護若(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨(あじゃり)のいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺し
松平慶永(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末期の越前国 (えちぜんのくに)福井藩主、幕府の政事総裁。元服のときにつけた雅号春嶽 (しゅんがく)が通称となる。田安 (たやす)家徳川斉匡 (とくがわなりまさ)の八男で、1838年(天保9)11歳のとき、越前家を継ぎ、第16代藩主となった
尊王攘夷運動(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸幕府の外交政策と専制体制を批判、反対した幕末の政治運動。[遠山茂樹]▲本来の性格身分制度の最頂点に位する天皇の伝統的権威の尊重を説く尊王思想、および自国を道徳文化の優れた中華 (ちゅうか)として尊び、外国とくに東洋文化と異質の文化をもつ欧米諸国
川路聖謨(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸末期の政治家。幕府の徒士 (かち)内藤吉兵衛 (きちべえ)の子として豊後 (ぶんご)国(大分県)日田に生まれ、小普請 (こぶしん)組川路三左衛門光房 (さんざえもんみつふさ)の養子となる。通称弥吉 (やきち)、のち三左衛門。18歳のと
大政奉還(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
「大政」とは天下の政 (まつりごと)の意で、第15代将軍徳川慶喜 (よしのぶ)が1867年(慶応3)10月14日、徳川氏265年間の政権を朝廷に奉還し、翌15日、朝廷がそれを勅許した幕末期の一大政治事件をいう。薩長 (さっちょう)を中心とした倒
祇園(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
京都市中央部、東山 (ひがしやま)区の八坂 (やさか)神社を中心とする地区。祇園という地名は八坂神社の旧称祇園社(祇園感神院 (かんしんいん))にちなむ。八坂神社西門前から鴨 (かも)川以東の四条通南北両側一帯で、京都の代表的な花街である。戦
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
酒呑童子(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
大江山伝説に登場する鬼神。「酒顛童子」とも書く。源頼光と渡辺綱、坂田金時らその四天王が、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治する話は、近江伊吹山の伊吹童子退治の話と内容的に深く関係するが、一四世紀後半成立の『大江山絵詞』にみえることから、これ以前に原型
桜田門外の変(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
万延元年(一八六〇)三月三日水戸・薩摩の十八士が江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺した事件。直弼は安政五年(一八五八)六月勅許を得ずに日米修好通商条約の調印を断行し、違勅問責のために押懸登城した水戸老侯徳川斉昭らの三家の諸侯を処罰したばかりでなく
安政の大獄(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
安政五戊午年(一八五八)から翌年にかけて、大老井伊直弼が将軍継嗣・条約調印の二問題に反対した尊攘派に下した弾圧。戊午の大獄ともいう。十三代将軍徳川家定は凡庸なうえに継嗣がなかったので、早く継嗣を定めて将軍を補佐させ、幕府の基礎を強固にしようとする論が
高島秋帆(世界大百科事典・国史大辞典)
幕末の長崎会所調役頭取で砲術家。名は茂敦,通称は四郎太夫,秋帆は号。長崎防備のため,はじめ荻野流砲術を学び,のち出島のオランダ人から西洋砲術を学んで,これを高島流砲術と名づけた。西洋近代砲術を最初に紹介したものといえる。アヘン戦争が起こった1840年
石川丈山(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸初期の漢詩人。名は凹 (おう)。丈山は字 (あざな)。六六山人、四明山人、凹凸窠 (おうとつか)などと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律を犯してとがめを受けたため武士を捨て、藤原惺窩 (せいか)に入門
墾田永年私財法(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
古代の法令。墾田永世私財法・永世私財法・永世私有令などとも呼ばれる。天平十五年(七四三)五月二十七日に「勅」として出された。この勅は、(一)墾田を私財として永年収公しないことを宣言した部分、(二)品位階により墾田地の面積に制限を付し、郡司については
長屋王の変(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
奈良時代の藤原氏による皇親大官排斥事件。聖武天皇は神亀元年(七二四)二月即位し、長屋王を正二位左大臣に任じ、勅して夫人藤原宮子に大夫人の尊称をたてまつった。三月長屋王は宮子の尊称について意見を奏した。すなわち、『公式令』に皇太夫人(天皇の母で夫人の
日本紀私記(国史大辞典)
奈良時代から平安時代中期(後期は院政期)にかけて、宮廷で行われた『日本書紀』の講読の覚え書。別称『日本書紀私記』。『本朝書籍目録』には、養老五年(七二一)私記(一巻)・弘仁四年(八一三)私記(三巻、多人長撰)・承和六年(八三九)私記(菅野高平撰)
清水次郎長(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・国史大辞典)
江戸後期・維新期の侠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ、のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。一八三五年(天保六)に養父が死去し、家業を相続した。四一年に博徒
安倍晴明(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の陰陽家。系図類によれば、八世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き、益材の子とされる。九六〇年(天徳四)に天文得業生として歴史に姿をあらわし、以後、天文博士・主計権助などを歴任して、大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位
芳沢あやめ(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎役者。【初世】1673‐1729 前名吉沢あやめ。元禄初年には若女方で出演の記録が見え、以後京・大坂の舞台で次第に認められ、元禄一一(1698)年《傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)》の傾城三浦の好演で、この年若女方上上吉に進む。上方の
坂田藤十郎(歌舞伎事典・日本大百科全書・国史大辞典)
歌舞伎役者。【初世】1647‐1709 延宝四(1676)年には立役で京の都万太夫座四天王の一人とされ、二年後大坂で演じた《夕霧名残の正月》の伊左衛門はその名声を高めた。以来夕霧狂言の伊左衛門は生涯の当り芸として繰り返された。主として京都で活躍し
出羽国(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
出羽の名は「続日本紀」和銅元年(七〇八)九月二八日条に「越後国言、新建出羽郡、許之」とみえるのが初見で、越後国の申請を受けて新たに越後国の北部に出羽郡を置いたと記す。同二年七月一日条には「令諸国運送兵器於出羽柵、為征蝦狄也」とあり、軍事基地として
和宮降嫁(国史大辞典・日本大百科全書)
十四代将軍徳川家茂と孝明天皇異母妹(仁孝天皇第八皇女)和宮親子内親王との結婚をめぐり万延元年(一八六〇)から文久元年(一八六一)にかけて生じた政治問題。条約勅許問題や安政の大獄以来、江戸幕府と朝廷との関係が悪化したので、幕閣は公武関係融和をめざして
以心崇伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五六九 - 一六三三 江戸時代前期の臨済宗の僧侶。金地院崇伝・伝長老ともいわれる。足利義輝の臣一色秀勝の子で、足利氏が滅亡したのち、南禅寺に赴いて玄圃霊三に師事した。醍醐の三宝院に学んだこともあるが、のちに南禅寺金地院の靖叔徳林についてその法をついだ
明石郡(日本歴史地名大系・国史大辞典)
明石郡あかしぐん播磨国の郡名。古代から存在し、昭和二六年(一九五一)消滅した。「和名抄」東急本国郡部の読みは「安加志」で「延喜式」の諸所にみえる振仮名もアカシである。古代から近代まで播磨国の南東部に位置し、郡域は東に摂津国八部(やたべ)郡、南は
朝幕関係(国史大辞典)
〔鎌倉時代―建武政権〕治承四年(一一八〇)八月、伊豆に挙兵した源頼朝は、以仁王の令旨によって、東国における荘園・公領の沙汰を認められたと主張している。その令旨は、壬申の乱における天武天皇に倣って、高倉上皇・安徳天皇・平清盛によって構成される現王朝を
安土桃山時代(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を擁して入京した1568年(永禄11)から,関ヶ原の戦によって徳川家康の覇権が確立した1600年(慶長5)までの約30年間を指し,織田・豊臣時代(織豊政権)ともいう。時代区分のうえでは江戸時代と合わせて近世
飛脚(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
速く走る者、手紙を運ぶ者のことをいう。古代の駅制では飛駅使(ひやくし)がこれにあたる。飛脚の語は平安時代末期ごろ現われ、中世以降頻出する。〔古代〕律令国家は太政官と国司との連絡に駅馬(えきば)、国府と郡司の連絡に伝馬(てんま)を使用した。急を要する
室町時代(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
政治権力の所在による時代区分の一つ。足利時代とも称される。広義には鎌倉時代と安土桃山時代の中間に位置する足利将軍の存続期を指すが、狭義にはその時代の前期を南北朝時代、後期を戦国時代としてその両時代に挾まれた一時期を対象とし、時にはその片方を含めて
論語(世界大百科事典・国史大辞典)
中国の古典。儒教の代表的な経典,四書の第一。孔子の言論を主として,門人その他の人々との問答などを集めた語録で,20編。儒教の開祖孔子(前551-前479)の思想をみる第一の資料で,また儒教思想の真髄を伝えるものとして後世に大きな影響を与えてきた
徳川斉昭(国史大辞典・世界大百科事典)
一八〇〇 - 六〇 江戸時代末期の常陸国水戸藩主。第七代治紀(武公)の三男。母は烏丸資補の女。幼名敬三郎。はじめ紀教(のりたか)のちに斉昭。兄の第八代藩主斉脩(なりのぶ、哀公)の嗣子となる。字は子信、号は景山・潜竜閣。夫人は有栖川宮織仁親王女吉子
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