国史大辞典のサンプルページ一覧

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墾田永年私財法(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
古代の法令。墾田永世私財法・永世私財法・永世私有令などとも呼ばれる。天平十五年(七四三)五月二十七日に「勅」として出された。この勅は、(一)墾田を私財として永年収公しないことを宣言した部分、(二)品位階により墾田地の面積に制限を付し、郡司については
長屋王の変(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
奈良時代の藤原氏による皇親大官排斥事件。聖武天皇は神亀元年(七二四)二月即位し、長屋王を正二位左大臣に任じ、勅して夫人藤原宮子に大夫人の尊称をたてまつった。三月長屋王は宮子の尊称について意見を奏した。すなわち、『公式令』に皇太夫人(天皇の母で夫人の
日本紀私記(国史大辞典)
奈良時代から平安時代中期(後期は院政期)にかけて、宮廷で行われた『日本書紀』の講読の覚え書。別称『日本書紀私記』。『本朝書籍目録』には、養老五年(七二一)私記(一巻)・弘仁四年(八一三)私記(三巻、多人長撰)・承和六年(八三九)私記(菅野高平撰)
清水次郎長(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
一八二〇 - 九三 幕末・明治初期の侠客。本名山本長五郎、通称清水次郎長という。父は駿河国清水湊(静岡県清水市)船持船頭雲不見(くもみず)三右衛門で、その三男。文政三年(一八二〇)正月一日に生まれ、元日生まれは賢才か極悪かといわれたため、母の弟である
安倍晴明(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
九二一 - 一〇〇 五平安時代中期の有名な陰陽家。土御門家の祖。『尊卑分脈』『安倍系図』などによれば大膳大夫益材の子。讃岐国の人という後世の伝説もある。記録では天徳四年(九六〇)に天文得業生として節刀の形状を勘申したのを初見とし、以後、天文博士
芳沢あやめ(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎俳優。屋号橘屋。(一)初代一六七三 - 一七二九延宝元年(一六七三)紀州に生まれる。本姓斎藤。幼名綾之助。通称権七。五歳で父に死なれ、大坂道頓堀で色子となり、丹波の郷士橘五郎左衛門の世話をうけ、橘屋権七の名で舞台に立った。若衆方や立役を経て女方
出羽国(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
東山道の一国。現在の山形県全域と、秋田県の鹿角市と鹿角郡とを除いた部分。古代には、はじめ「いでは」と訓まれた。氏姓時代の国造は定められなかった。東は那須火山帯と重なる奥羽山脈を堺に陸奥国(岩手県・宮城県)に、北も陸奥国津軽(青森県)に、南の東半も
和宮降嫁(国史大辞典・日本大百科全書)
十四代将軍徳川家茂と孝明天皇異母妹(仁孝天皇第八皇女)和宮親子内親王との結婚をめぐり万延元年(一八六〇)から文久元年(一八六一)にかけて生じた政治問題。条約勅許問題や安政の大獄以来、江戸幕府と朝廷との関係が悪化したので、幕閣は公武関係融和をめざして
以心崇伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五六九 - 一六三三 江戸時代前期の臨済宗の僧侶。金地院崇伝・伝長老ともいわれる。足利義輝の臣一色秀勝の子で、足利氏が滅亡したのち、南禅寺に赴いて玄圃霊三に師事した。醍醐の三宝院に学んだこともあるが、のちに南禅寺金地院の靖叔徳林についてその法をついだ
明石郡(日本歴史地名大系・国史大辞典)
播磨国(兵庫県)南東部にあった郡。現在の明石市および神戸市の一部にあたる地域。明治の郡区編制では加古・美嚢・八部の三郡に接し、南は明石海峡に面していた。郡東部は六甲山系に連なり、西部は印南野台地をなし、中部を明石川が南流し小平野が開けている
朝幕関係(国史大辞典)
〔鎌倉時代―建武政権〕治承四年(一一八〇)八月、伊豆に挙兵した源頼朝は、以仁王の令旨によって、東国における荘園・公領の沙汰を認められたと主張している。その令旨は、壬申の乱における天武天皇に倣って、高倉上皇・安徳天皇・平清盛によって構成される現王朝を
安土桃山時代(世界大百科事典・国史大辞典)
安土桃山時代とは、安土時代と桃山時代、すなわち織田信長と豊臣秀吉とが、それぞれ政権を掌握した時代を総称する時代名称であって、また織豊時代などとも呼ばれる。安土時代の名称は、信長が天正四年(一五七六)から近江に安土城を築いて、ここを本拠としたことに
飛脚(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
速く走る者、手紙を運ぶ者のことをいう。古代の駅制では飛駅使(ひやくし)がこれにあたる。飛脚の語は平安時代末期ごろ現われ、中世以降頻出する。〔古代〕律令国家は太政官と国司との連絡に駅馬(えきば)、国府と郡司の連絡に伝馬(てんま)を使用した。急を要する
室町時代(国史大辞典・世界大百科事典)
政治権力の所在による時代区分の一つ。足利時代とも称される。広義には鎌倉時代と安土桃山時代の中間に位置する足利将軍の存続期を指すが、狭義にはその時代の前期を南北朝時代、後期を戦国時代としてその両時代に挾まれた一時期を対象とし、時にはその片方を含めて
論語(世界大百科事典・国史大辞典)
孔子の言行・問答、門人の言葉などを集めた語録で、儒教の重要な文献。「四書」の第一。十巻、二十篇。編纂の事情ははっきりしないが、門人たちの間でたくわえられた記録が伝承され、孔子のものとは考えにくい後世の付加文もまじえて編成されたもので、おそらく漢初
徳川斉昭(国史大辞典・世界大百科事典)
一八〇〇 - 六〇 江戸時代末期の常陸国水戸藩主。第七代治紀(武公)の三男。母は烏丸資補の女。幼名敬三郎。はじめ紀教(のりたか)のちに斉昭。兄の第八代藩主斉脩(なりのぶ、哀公)の嗣子となる。字は子信、号は景山・潜竜閣。夫人は有栖川宮織仁親王女吉子
野球(世界大百科事典・国史大辞典)
明治四年(一八七一)、東京神田にある南校にやって来たアメリカ人教師ホレース=ウィルソンが同校の生徒にベースボールを教えたのが、日本における野球の起源である。また同六年、芝御成門にあった開拓使仮学校に雇われたアメリカ人アルバート・G・ベーツは学生を
華厳宗(国史大辞典・世界大百科事典)
南都六宗・日本八宗の一つで、『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を所依とする宗派。賢首宗ともいう。本山は奈良市雑司町東大寺。『華厳経』は釈尊成道の第二日目に覚りの教理を開陳したものといわれ、インドにおいては竜樹が『十地論』を作って華厳教理を流布し、中国に
法相宗(国史大辞典・世界大百科事典)
南都六宗、日本八宗の一つ。諸法の決択(けっちゃく)をすることから法相宗という。『大方広仏華厳経』『解深密経』『如来出現功徳荘厳経』『阿毘達磨経』『楞伽経』『厚厳経』の六経と、『瑜伽師地論』『顕揚聖教論』『大乗荘厳経論』『集量論』『摂大乗論』
三論宗(国史大辞典・世界大百科事典)
仏教の一宗派、南都六宗・中国十三宗の一つ。インドの竜樹の『中論』『十二門論』とその弟子の提婆の『百論』の三部の論書を所依として立宗しているので三論宗という。インドでは中観宗という。宗義は仏教の根本的な哲学である般若皆空・諸行無常で代表される空の哲学を
南北朝時代(世界大百科事典・国史大辞典)
建武三年(延元元、一三三六)八月、足利尊氏は持明院統の光厳上皇・光明天皇を擁立した。京都に成立したこの朝廷(北朝)に対して、同年十二月に京都を脱出した大覚寺統の後醍醐天皇は、吉野に入って朝廷(南朝)を開いた。以後五十七年間の歴史は、南北両朝の擁立を
鎌倉時代(国史大辞典・世界大百科事典)
〔時代概念〕幕府が相模国鎌倉に置かれた時代。終期が元弘三年(一三三三)の鎌倉幕府滅亡である点に異論はないが、始期については諸説があり、文治元年(一一八五)の守護・地頭設置に求める説が有力である。明治初期までは、皇代中心の編年的歴史叙述が優勢であったが
平安時代(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
八世紀末から十二世紀末まで、ほぼ四百年間の長い時期を平安時代と呼ぶのは、延暦十三年(七九四)の桓武天皇の詔によって、新都が「平安京」と命名されたことに基づく。したがって時代の開始はおのずからこの年となるべきであるが、奈良時代との接続を考慮して延暦三年
中村仲蔵(歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎俳優。江戸と大坂との二系統がある。〔江戸系〕(一)初代一七三六 - 九〇江戸時代中期の実悪・所作事の名優。幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名六代目中山小十郎・八代目志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。元文元年(一七三六)生まれる
説経節(東洋文庫・世界大百科事典・国史大辞典)
説教とも書き、説経節・説経浄瑠璃ともいう。中世末期・近世初期に盛んであった語り物で、語り手を説経説き・説経者、あるいは説経ともいう。その代表作は『苅萱』、『さんせう太夫』、『しんとく丸』、『小栗(おぐり)』(『小栗判官』)をはじめ、『愛護の若』
僧尼令(国史大辞典・世界大百科事典)
『養老令』の篇目。同令の第七篇で、二十七条よりなる。『大宝令』の僧尼令もほぼ同内容。仏教教団の僧尼を統制する法典。日本令の母法である唐令には僧尼令はなく、道教の道士・道士女および仏教の僧尼を統制するための道僧格があった。日本僧尼令は唐道僧格から
鎌倉仏教(国史大辞典)
鎌倉仏教は新仏教の成立と南都仏教の復興に分けて論ぜられる。新仏教は法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗であるが、その成立の原因については仏教思想の変遷を主軸とする研究と、社会・経済の変遷に即して見る研究と
大乗仏教(国史大辞典・世界大百科事典)
インドで西暦紀元後に興起した新しい形態の仏教。サンスクリットでマハーヤーナMahāyānaという。Mahāとは「大きい」の意、yānaとは「乗物」を意味する。それ以前からあった保守的な仏教(いわゆる小乗仏教)では修行僧が独善的になる傾きがあったのに
邪馬台国(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・Encyclopedia of Japan)
二、三世紀の日本列島内にあった小国の一つで、対馬国(のちの対馬島上県・下県郡、現在の長崎県上県・下県郡)以下二十八の小国を統属していた倭国連合の盟主国。二世紀末から三世紀前半まで女王卑弥呼が都としていた国。この国への道程は『魏志』倭人伝によれば諸
倭奴国王印(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代の天明四年(一七八四)、筑前国那珂郡志賀島(しかのしま)南岸の叶の崎(かなのさき、福岡市東区)から出土した「漢委奴国王」の印文をもった純金の印。その形は方形で、方平均二・三四七センチ、高〇・八八七センチの小さい印台の上に、蛇形ともみえる鈕が
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