国史大辞典のサンプルページ一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」に掲載されている国史大辞典のサンプルページ一覧です。
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三国協商(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
第一次世界大戦前の一九〇七年(明治四十)から大戦中までイギリス・フランス・ロシアの三国間に存在した政治提携の関係で、大戦の一方の陣営の中枢勢力となった。露仏同盟・英仏協商・英露協商の三同盟協商の成立により、おのずと形成されたドイツ包囲の国際体制で

東海道四谷怪談(歌舞伎事典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
歌舞伎狂言。世話物。五幕。四代目鶴屋南北作。文政八年(一八二五)七月江戸中村座初演。通称『四谷怪談』。初演の配役は、お岩・小仏小平・佐藤与茂七(三代目尾上菊五郎)、民谷伊右衛門(七代目市川団十郎)、直助権兵衛(五代目松本幸四郎)。塩冶(えんや)の浪人

金魚(国史大辞典・世界大百科事典)
原産地は中国大陸で、三~四世紀ごろ中国南部地方で野生のフナの中に紅色金色のものが発見されたのがはじまりである。飼育の始まったのは十世紀の後半からで、やがて十四~十六世紀ごろには陶製の大鉢や壺などを用いた盆養と称する飼育が盛んになった

物忌(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
(一)「物忌」と書いた札を用いる謹慎行為。平安・鎌倉時代の諸記録や物語類で単に物忌とある場合の大部分は、怪異(物怪)・悪夢の際に陰陽師の六壬式占で占申される物忌期をいう。たとえば占文の「期怪日以後三十日内、及来八月節中、丙丁日也」は

明治節(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
昭和二年(一九二七)に制定された祝日。近代日本の指導者であった明治天皇をたたえるということで、その誕生日(明治時代の天長節)の十一月三日をあてたが、これは大正天皇の死去により明治天皇祭(先帝祭)がなくなったことによる措置である

遷宮(国史大辞典・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については

オコゼ(国史大辞典・世界大百科事典)
硬鰭類に属する海魚で、古くは「ヲコジ」「ヲコシ」と呼んだ(『和名類聚抄』『新撰字鏡』など)。形はなはだ醜く、しかもとげに毒があってこれに刺されると長い間痛む。しかし味は美味で、これを山の神が非常に喜ぶという伝承が古くからある

青銅器(国史大辞典・世界大百科事典)
前三千年紀に西アジアで人類が発明した銅と錫の合金製の文明の利器。利器・武器から儀器・宝器・美術工芸品など時代の移り変りとともに広く多用され現在に至る。中国では前千六百年紀の夏時代にさかのぼり、殷・周・漢の三代に著しく発達

近衛文麿(国史大辞典・世界大百科事典)
一八九一 - 一九四五 大正・昭和期の政治家。明治二十四年(一八九一)十月十二日公爵近衛篤麿の長男として東京に生まれた。同年実母衍子(前田慶寧三女)を、そして十四歳で父を失った。三十七年一月父の死とともに襲爵し、近衛家の当主となった

井上毅(国史大辞典・世界大百科事典)
一八四三 - 九五 明治時代前期の官僚・政治家。明治憲法・教育勅語などの起草者。幼名多久馬。梧陰と号す。天保十四年(一八四三)十二月、熊本城下竹部に生まる。父は熊本藩家老米田家の家臣飯田権五兵衛、慶応元年(一八六五)、同じ家中の井上茂三郎の養子となった

井上馨(国史大辞典・世界大百科事典)
一八三五 - 一九一五 明治・大正時代の政治家。幼名勇吉、または友次郎、一時聞多と称した。号は世外。天保六年(一八三五)十一月二十八日、周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田)の萩藩の地侍井上光亨の次男に生まれ、農耕に従事しながら幼少時代を過ごした

芥川龍之介(国史大辞典・世界大百科事典)
一八九二 - 一九二七 大正時代の小説家。別号柳川隆之介・澄江堂主人。俳号我鬼。明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区(中央区)入船町に生まれた。父新原敏三は酪農業を営む進取の人だったが、生後七ヵ月で実母ふくが発狂したため

春雨物語(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代後期の読本。上田秋成作。十巻。作者の晩年にあたる寛政末期から文化初期にかけて書かれ、文化五年(一八〇八)に一度十篇にまとめられた。さらに作者の没する文化六年夏まで推敲が続けられた。作者が序文で、古い物語を手本にして創作するには、まだ初心者で

西山物語(日本古典文学全集・国史大辞典・歌舞伎事典)
江戸時代中期の雅文体小説。読(よみ)本。建部綾足の作。三巻三冊。明和五年(一七六八)刊。明和四年十二月に、京都一乗寺村で起った事件を題材とした実話小説であるが、舞台を西山に移し、題名としている。西山の豪士大森七郎の妹と七郎の従兄八郎の息子とは相思の

英草紙(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代中期の読本。近路行者(都賀庭鐘)作。五巻。寛延二年(一七四九)に刊行された。短編九編を収め題簽(だいせん)・内題ともに『古今奇談英草紙』とあるごとく奇談集である。多くは『古今小説』や『警世通言』など中国白話小説からの翻案であるが、日本の古典

左義長(国史大辞典・世界大百科事典)
小正月に行われる火祭り行事。三毬杖・三毬打・三鞠打・三木張などとも書き、爆竹にこの訓をあてた例もある。打毬(だきゅう)は正月のめでたい遊戯とされ、これに使う毬杖(ぎっちょう)を祝儀物として贈る風習があった。その破損した毬杖を陰陽師が集めて焼く

滑稽本(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代後期、風刺・滑稽を主とした小説の形態であり、寛政の改革を界として、それ以前の前期滑稽本と、それ以後の後期滑稽本とに分けるのが普通である。厳密には、前期は風刺性・教訓性が強いので、談義本(だんぎぼん)とか教訓本という別称があり、後期は

洒落本(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代中期以降の小説形態の一種。京坂で行われた浮世草子のあとをついで、遊里に取材した文芸で、享保の中ごろに始まり、文政末年ごろまで出版された。典型的なものは、遊客・遊女などの姿態言動を会話を主とする文章で写実的に描き、簡単な小説的構成をとるもので

狂歌(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
和歌の形式のなかに反古典的な機知や俗情をよみ込む文芸で、よく人の知る文芸や成語のもじりParody、あるいは縁語・懸詞の複雑な組合せなどの技巧が好んで用いられる。狂歌という名称は平安時代からすでにあって、かなり作られていたが

川柳(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
近世後期、江戸を中心に流行し、近代に継承された雑俳様式。俳句とちがって、人事人情を主題とする無季・無切字の十七音句。明治時代中期の革新運動によって、意識的に「狂句」名が嫌われ、「川柳」に統一されてきたが、様式の本体を明示し、かつ、初代(柄井)川柳以後の

仮名草子(国史大辞典・世界大百科事典)
仮名草子は中世の小説と本格的な近世小説である浮世草子との過渡的な存在である。当時仮名和書とか草紙とか呼ばれた種類の作品を指すが、内容的には案内記や教訓書のような文学性の稀薄なものも含まれている。仮名和書とは漢籍に対して俗耳に入りやすい

閑吟集(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
室町時代小歌集。編者は、富士を遠望する草庵に十余年の隠棲生活を送る僧体の人物(仮名序)としか知られず、永正十五年(一五一八)八月の成立とする(真名序)。真名・仮名の序と『毛詩』を模した三百十一首の小歌を収める。各首は四季・恋と、内容的なまとまりを

催馬楽(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
宮廷歌謡の一つ。日本古来の歌謡を唐楽の拍子・旋律に合わせて編曲したもの。歌曲が呂と律に分かれるのは、そのためである。しかし、唐楽といっても、「胡飲酒」「越天楽」など中国伝来のものばかりでなく、日本で制作された「夏引楽」「榎葉井」などをも含む。歌詞の

神楽歌(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書)
神楽の際うたわれる神歌や民謡。『古今和歌集』二〇に「神あそびの歌」十三首があり、『拾遺和歌集』二〇にも「神楽歌」十一首を載せるが、ふつう神楽歌といえば、上を含めた宮廷御神楽の「神楽次第」の歌をさす。その歌本は、天暦年間(九四七―五七)ごろに生存した

尾形光琳(国史大辞典・世界大百科事典)
一六五八 - 一七一六 江戸時代中期の代表的な画家。祖父宗柏の代から東福門院の御服所を勤めていた呉服商雁金(かりがね)屋の当主宗謙の次男として、万治元年(一六五八)に京都で生まれる。名は惟富・伊亮・方祝、通称は市之丞、号を光琳(はじめ浩臨)

京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
京都市上京区にあり、明治天皇の東京奠都(明治二年(一八六九))まで皇居であったところ。京都皇宮ともいう。元弘元年(一三三一)九月、北朝の光厳天皇が土御門東洞院殿に入って践祚した時に始まり、後小松天皇が明徳三年(一三九二)南朝の後亀山天皇から神器を受け

富岡製糸場(国史大辞典・世界大百科事典)
明治初年に上野国富岡に設立された官営模範製糸場で、のち民間へ払い下げられた。政府は横浜の有力生糸輸出商社エッシュ=リリアンタル商会からの器械製糸場設立の申請を退けつつ、明治三年(一八七〇)二月にみずから模範製糸場を設立する方針を定め

三社祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
東京都台東区浅草公園に鎮座する浅草神社の祭り。浅草神社は土師真中知(はじのまち)命・檜前浜成(ひのくまのはまなり)命・檜前武成(たけなり)命の三神を祭るところから三社権現と称されてきたが、明治元年(一八六八)、三社明神社

里神楽(国史大辞典・世界大百科事典)
宮廷以外の諸社・民間で奏される神楽。里は平安京の内裏の外の市街地をいう。平安時代には、石清水・賀茂・祇園・北野・大原野・吉田・春日・住吉などの諸社に、宮廷の楽人を差し向けて奏する場合に里神楽と称した。このとき宮廷では試楽があり

出雲神楽(国史大辞典)
出雲地方の神楽。佐太神社(島根県八束郡鹿島町)の神楽をその中心とする。佐太神社の「御座替祭」(九月二十五日、もと八月二十四日・二十五日)に、古くは島根・秋鹿・楯縫・意宇(西半分)の三郡半の神職が祭事に奉仕し、その後に天下国家の御祈祷として