日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第10回 頭髪にまつわる地名の話

2007年12月07日

聞いただけでドキッとてしまう地名がある。ハゲ(波介・半家・羽毛などの字があてられる)やケナシ(同じく毛無・毛梨ほか)もそんな地名である。ハゲはハケ・ハキ・ハギ・ハガ・ホキ・ホギ・ホケ・ボケ・ボッケなどと同じ系列の地名で、岩肌が剥がれ落ちる崩落崖地に多いとされる。ただし、ハキは河川の合流地(この場合、多く「吐」の字があてられる)とする説もある。ちなみに「日国オンライン」で調べてみると、「はけ」は『はけ…〔名〕北海道・東北、関東から西の方にかけて、丘陵山地の片岸をいう地形名。地名になったものも多い。』とみえ、「ほき」では『ほき…【崖】〔名〕山腹の険しい所。がけ。』とある。
山形県酒田市(サカタシ)の赤剥(アカハゲ)地区は、鳥海山(チョウカイサン)の南麓、日向川(ニッコウガワ)が形成した開析谷の谷底平野を占める。東隣は泥沢(ドロザワ)地区といい、いかにも崩落地帯を髣髴とさせる地名が続く。能登半島の中央部、石川県輪島市(ワジマシ)の門前町白禿(モンゼンマチ・シラハゲ)地区は、高塚山(タカツカヤマ、標高240メートル)の西麓、南川(ミナミガワ)上流の傾斜地にあり、ここも一帯に多くの崩壊地形がみられる。
一方、毛無は山名に多い。毛無山は毛=木の生えない岩山のこととされるが、逆に木が生い茂っている「木成し」に由来するという相反する説もある。また「毛」には二毛作・毛見というように作物の意味がある。茨城県藤代町(フジシロマチ)の毛有(ケアリ)地区は、江戸時代前期に開発された地で、当初は毛無新田(ケナシシンデン)といった。それまでは作物の生えていない「毛無原」を開発して毛無新田と名付けたのだが、不毛の地を意味する地名では縁起が悪いため後に改名したものであろう。
国土地理院が発行した『日本の山岳標高一覧‐1003山‐』には岡山・鳥取県境の毛無山(ケナシガセン、1218メートル)、山梨・静岡県境の毛無山(ケナシサン、1964メートル)、北海道後志(シリベシ)の毛無山(ケナシヤマ、816メートル)の3山が載る。ほかにも長野県長野市(旧戸隠村)の怪無山(1549メートル)、同県野沢温泉村(ノザワオンセンムラ)の毛無山(1650メートル)、新潟県妙高市(ミョウコウシ)と上越市(ジョウエツシ)の境に位置する大毛無山(1429メートル)、広島・島根県境の毛無山(1144メートル)などの「毛無」系の山々が知られる。ところで、これら「毛無」系の山麓にはスキー場が開かれていることが多い。長野市の怪無山北西麓には国営戸隠スキー場が、野沢温泉村の毛無山北西麓には野沢温泉スキー場があり、広島・島根県境の毛無山の南方、比婆山(ヒバサン)東斜面には広島県の「県民の森スキー場」がある。妙高市と上越市境の大毛無山東麓にも「ARAI MOUNTAIN&SPA」スキー場があったが、近年閉鎖してしまった。ただ、これらスキー場をもつ山々は、開発のため本来の「木成し」山から、文字通りの「毛無」山に変貌した。

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ケナシ・ハゲには羨ましいのが黒髪である。クロカミも山名に多く、佐賀県有田町(アリタチョウ)北東部に黒髪山(クロカミヤマ)があり、栃木県日光(ニッコウ)の男体山(ナンタイサン)や群馬県の相馬山(ソウマサン)も一名を黒髪山といって、いずれも山岳修験の霊地である。里からすぐに望見され、稲作農耕にとって重要な水源地にあたるこれらの山々は古くから信仰の対象であった。クロカミはクラオカミの訛ったもので、雨水神として有名な龗(くらおかみ)の守る山とする説が有力。修験道の主要な活動の一つに請雨の呪法もあった。熊本県熊本市のほぼ中央部に位置する立田山(タツダヤマ、152メートル)は、自然豊かな丘陵地として市民に親しまれている。同山の西麓から南麓に位置する黒髪地区がある。明治22年(1889)にそれまでの宇留毛村(ウルゲムラ)・下立田村(シモタツダムラ)・坪井村(ツボイムラ)の3村が合併して飽田郡(アキタグン)黒髪村が誕生したことが始まりで、村名は立田山の古名=黒髪山に由来するという。もちろん古名の黒髪山は闇龗に通じる名称であろう。熊本市の「立田山憩の森」のホームページによると、『立田山(龍田山)は、その昔は濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていましたが、平安時代の歌人清原元輔が国司として肥後へ赴任したとき、この山の姿に奈良の龍田の里をしのんで、名前を改めたといわれます。江戸時代は禁制の山として伐採が許されず、うっそうとした森』だったという。しかし、戦中・戦後の伐採や開拓で緑が失われ始め、植林活動などで一時期復活したものの、高度成長期の宅地開発で深刻な危機に陥った。昭和49年度に熊本県と熊本市は立田山の公有地化と保全を決定、平成7年度に整備が完了、現在は生活環境保全林「立田山憩の森」、森林総合研究所九州支所「立田山実験林」(林業試験場熊本支場が前身)などがあり、多くの市民・県民が訪れる。
今も昔も髪の手入れは大変である。

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