日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第12回 不入斗村(いりやまずむら)

2008年02月08日

不入斗と書いて、イリヤマズとよむ。難読地名だ。ちなみにJK版「日本歴史地名大系」の見出し検索で《不入斗》と入力すると、

千葉県市原(いちはら)市の「不入斗村」
同県富津(ふつつ)市の「不入斗村」
同県富山(とみやま)町(現南房総市)の「不入斗村」
東京都大田(おおた)区の「不入斗村」
神奈川県横須賀(よこすか)市の「不入斗村」
静岡県袋井(ふくろい)市の「不入斗村」

の6件がヒットする(地名大系では近世村落が項目の柱)。うち、袋井市を除く5件の「不入斗村」のよみは「イリヤマズムラ」、袋井市のそれは「イリヤマゼムラ」であった。

こうしてみると、「不入斗」という地名は、イリヤマズ、あるいはイリヤマゼとよみ、確かによみは難しいが、それほど珍しい地名ではないことがわかる。しかし、どうして不入斗と書いてイリヤマズ(イリヤマゼ)とよむのだろう。

山中襄太の『地名語源辞典』(1968年、校倉書房)は《いりやませ,いりやまず【不入斗】》の項目を立て、

『静岡県袋井駅と原川の間。イリヤマセとも読み,入山瀬,入山津とも書く。イリヨマズ(不入計)の訛。計を斗に誤る。富士浅間社があり,その神領は公職領の外で,その符に「入れ計らなかった」から「不入計」と書いたもの。ほかにも不入斗(イリヤマセ,相模),入山瀬(イリヤマセ,遠江,駿河,相模),不入斗(イリヤマズ,武蔵,上総,安房),不入読(イリヨマズ,武蔵)。足利義詮の教書に「武蔵国大井郡不入読村地頭云々」とある。』

と記す。山中は袋井市の不入斗を例にひき、元来は「不入計」と記して「イリヨマズ」とよみ、神領(免租地)を表したが、「計」の字と「斗」の字が誤用され「不入斗」と表すようになったとする。確かに「計」の字の崩し字は「斗」の字と間違えやすい。また「入山瀬」「入山津」などの表記もあるとする。前述の見出し検索で《入山》と入力し、入山瀬・入山津系の地名を探してみると、

千葉県長生(ちようせい)村の入山須(いりやまず)村(現在の地名は入山津)
神奈川県平塚(ひらつか)市の上入山瀬(かみいりやませ)村、下入山瀬(しもいりやませ)
静岡県富士(ふじ)市の入山瀬(いりやませ)
静岡県大東(だいとう)町(現掛川市)の入山瀬(いりやませ)

などがある。山中の説によると、これらの村々も「不入斗」と同系統の地名ということになるが、不入斗・不入計と入山瀬・入山須が由来を一にする地名とは、にわかに信じがたい。

一方、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』(1977年、角川小辞典13)は、《イリヤマズ》の項目で『(1)入山瀬(イリヤマセ)の転で、渓口をいう。(2)神田で租税免除の土地。南関東~東海に多い。〔不入斗(イリヤマズ)・入山津、(不入読〈イリヨマズ〉)〕』と記し、免租地由来説のほかに谷口集落説をあげる。確かに、入山瀬・入山須などの地名は、その用字からみると、免租地由来より、谷口集落を示すとするほうが説得力がある。

そこで、地図を使って不入斗系・入山瀬系双方の村々の立地を調べてみた。市原市・袋井市の不入斗村や富士市・掛川市の入山瀬村は谷口集落であることがハッキリわかるが、大田区・横須賀市の不入斗村や長生村の入山須村は明らかに谷口集落とはいえず、南房総市・富津市の不入斗村や平塚市の入山瀬村は判断が難しい。

長生村の入山須村(現在の地名は入山津)

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ところで、風俗考証にも造詣が深かった江戸後期の戯作者柳亭種彦は、その随筆『柳亭記』で「不入計」について触れ、

『武州荏原郡不入計村{他国にも此村名ありて或は計を斗に作ると云々。}いりやまず村とよめり。按に恵空編節用大全、以行姓氏の部に入不読と記て、いりやまずとかなをつけたり。算ふるを読といふは古言なり、計も又算ふる意なり。さればいりやまずはいれよまずの音便、かぞへいるゝ程にもなき小村といふ義なり。伊庭氏曰和名抄に余戸とある則是なり。戸は家なり、一村に算へいれべき程にもあらず余りし家あるところをいひしなり。』(『日本随筆大成〈新装版〉』吉川弘文館)

と記している。種彦先生の「かぞへいるゝ程にもなき小村といふ義」説、不入斗村=小村説についても検証してみた。「天保郷帳」は江戸後期の全国の村名と、その石高(村高)を書きあげたものだが、同郷帳によると、この頃の蝦夷地・琉球および壱岐・対馬を除く六十余州の総石高は3千24万余石、総村数は6千3百余村で、平均村高は約475石。この平均村高で不入斗・入山瀬系の村々の村高を検証したいのだが、たとえば平均村高の高い讃岐国(772石余)や備中国(751石余)と、低い佐渡国(83石余)や飛騨国(136石余)では相当の隔たりがある(薩摩国・大隅国の平均村高も高いが、薩摩藩の村は、当時の一般的な村とは様相が異なっているので提示しなかった)。そこで以下に、不入斗・入山瀬系の村々の村高と、各村が所属する郡の平均村高を一覧表にした。

江戸時代の村名現在の市区町村名天保期の村高江戸時代の所属国江戸時代の所属郡郡の平均村高種彦説に合致する村
不入斗村市原市760石余上総国市原郡305石余
不入斗村富津市448石余上総国天羽郡318石余
不入斗村南房総市723石余安房国平 郡359石余
不入斗村大田区576石余武蔵国荏原郡358石余
不入斗村横須賀市223石余相模国三浦郡314石余
不入斗村袋井市155石余遠江国山名郡369石余
入山須村長生村228石余上総国長柄郡414石余
上入山瀬村平塚市105石余相模国大住郡559石余
下入山瀬村平塚市138石余相模国大住郡559石余
入山瀬村富士市436石余駿河国富士郡348石余
入山瀬村掛川市463石余遠江国城東郡639石余

 

この表を見る限りでは、不入斗・入山瀬系の村々は、必ずしも小村とはいえない。

今までの考察をまとめてみると、不入斗・入山瀬の地名起源は、免租地由来説がもっとも有力といえるだろう。あるいは、免租地由来の不入斗・入山瀬に谷口集落の不入斗・入山瀬、小村の不入斗・入山瀬が入り交じっているのかも知れない。しかし、仮にさまざまな地名起源があるとしても、「不入斗」と記して「イリヤマズ」と読む地名が、これほど多くあるということには驚かされる。