日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第17回 「バサラ」と「サラ」

2008年06月27日

鳥取県西伯(さいはく)南部(なんぶ)町は、県の西端、島根県境にあり、平成16年(2004)10月1日に、西伯郡の西伯町と会見(あいみ)町が合併して誕生しました。町名は、かつて西伯郡(明治29年に、それまでの汗入(あせり)郡と会見郡が合併して成立)の南部にあった11か村をまとめて〈南部地方〉とよんでいたことに由来します(旧11か村のうち8か村が南部町域にかかります)。南部町観光協会のホーム・ページには「鳥取県の西部にあるけど『南部町』」というキャッチ・フレーズもあります。

南部町の町域は鳥取県有数の河川、日野(ひの)川の支流となる法勝寺(ほっしょうじ)川の流域にあたり、北部の平坦地を除けば、標高二〇〇~七〇〇メートルの山々が連なる山岳丘陵地帯に展開します。この中央山間部に「馬佐良」と記して「バサラ」とよむ地区があります。法勝寺川水系の馬佐良川流域を占め、江戸時代には馬佐良村といい(「馬皿村」とも書いた)、伯耆(ほうき)国会見郡に属し、鳥取藩領でした。

馬佐良村

馬佐良村

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それにしてもバサラとはおもしろい地名です。バサラと聞いてすぐに思い浮かぶのは南北朝の動乱期に活躍した佐々木高氏(京極道誉)などに代表されるバサラ大名。「日国オンライン」で「ばさら」の項目をみると、語釈の第一に「みえをはって派手にふるまうこと。おごりたかぶって贅沢であること。形式・常識から逸脱して、奔放で人目をひくようなふるまいをすること。また、そのさまやそのような行ない」とあり、用例に『太平記』の「佐渡判官入道流刑事」から「佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例のばさらに風流を尽して」をあげています(「佐々木佐渡判官入道々誉」とは、佐々木高氏のこと)。

バサラはサンスクリット語ヴァジラ(vajra)の写音で、漢字では伐折羅・跋闍羅・婆娑羅などと記し、金剛(こんごう)金剛杵(こんごうしょ)と訳します。金剛・金剛杵は元来、インド神話の軍神インドラが所持する堅牢無比な武器の名で、破砕しえないものはないと信じられていました。これが転じ、鎌倉時代中期頃から、豪奢な・派手な・驕慢な・乱暴なというような意味で使われるようになったといいます。

「馬佐良」地区はバサラ大名、あるいは金剛・金剛杵と何か関係があるのでしょうか? 類似地名を探して検討してみました。JK版「日本歴史地名大系」で、「ばさら」あるいは、これに近い地名を探すと、伊豆半島の南部、静岡県下田(しもだ)市と松崎(まつざき)町の境に位置する婆娑羅(ばさら)山や婆娑羅峠、山口県柳井(やない)市柳井地区にある字の上馬皿(かみばざら)・中馬皿・下馬皿、石川県小松市の波佐羅町(はさらまち)(江戸時代には加賀国能美郡波佐羅村)などが見つかります。

このうち、伊豆半島の婆娑羅山は弘法大師が「婆娑羅三摩耶」を修得した所との地名由来説話を伝えます。「三摩耶」はサンスクリット語サマヤ(samaya)の写音で、「サマヤ」は密教では、仏と衆生が本来平等であると解していうこと、といいますから、婆娑羅山・婆娑羅峠は「サンスクリット語ヴァジラ」に通じる地名といえます。しかし、南部町馬佐良以下のバサラ地名は、これとは関連がないようです。

そこで「バサラ」のうちの「サラ」に注目してみます。鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』(1977年、角川小辞典13)によると、「サラ」地名は、

(1)乾いた所。
(2)浅瀬。
(3)新しい。新しく開墾した。
(4)製陶地(皿山)。
(5)崖、崖崩れ。

をいい、「サル」「ザレ」にも通じて、「崖崩れした所、小石の多い所」などに多い地名といいます。

前述JK版「日本歴史地名大系」で「サラ」地名を探すと、石川県吉野谷(よしのだに)村(現白山(はくさん)市)の佐良(さら)村、岐阜県八幡(はちまん)町(現郡上(ぐじょう)市)の深皿(ふかさら)村、岡山県津山(つやま)市の(さら)村などが見つかります。いずれも川沿いの山間、谷間に位置しており、「新しく開墾した」「崖、崖崩れ」などが地名由来という説は納得できます。これは、同様の立地条件にある南部町馬佐良、小松市波佐羅町、柳井市の字である上・中・下の馬皿にもあてはまります。

山間の川沿いにある柳井市馬皿地区

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ところで、江戸時代、馬佐良村の南隣八子(やこ)村(現在は南部町八金(やかね)地区のうち)では鉄山が稼動していました。八子村のほかにも一帯では大木屋(おおきや)村・篠畑(ささばた)村・赤谷(あかんたに)村・鬨k・/rb>(あごうじ)村・金山(かなやま)村・二升(ふたます)村などで鉄山が経営されています(『西伯町誌』)。馬佐良にも鍛冶屋畑(かじやはた)などの地名が残り、かつて製鉄業が営まれていたことを窺わせます。馬佐良川の本水系にあたる日野川の最上流域、奥日野地方は古くから全国有数の(たたら)製鉄による産鉄地であったことは広く知られています。

八子集落の北東、馬佐良地区との境にそびえる金華(きんか)山(金花山とも)には熊野神社が祀られています。全国各地に所在する熊野神社は和歌山県の熊野那智大社を本社と仰ぎますが、鉱山と関わりの深い神社といわれます。八子・馬佐良境の熊野神社も産鉄地の守護神として勧請されたのでしょうか。また現在、馬佐良集落で祀る釿守(ちょうのもり)神社は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二神が祭神。両神ともに工匠守護の祖神とされており、産鉄に際しての土木技術と馬佐良村が深く結びついていたと考えることも可能です。

全国各地に所在する熊野神社は、その勧請について熊野修験が深く関与したことがつとに指摘されています。この熊野修験の活動拠点となったのは、和歌山県吉野(よしの)郡吉野町にある金峯山(きんぶせん)寺。同寺の本尊は熊野信仰の根幹をなす仏神、金剛蔵王大権現で、金剛蔵王は、金剛杵ヴァジラを手に持ち、密教の第二祖とされる仏、金剛菩薩ヴァジラ=サットヴァ(vajra‐sattva)の化身といわれます。

さきほど、「馬佐良」の地名由来について「新しく開墾した」「崖、崖崩れ」の意の「サラ」地名が有力と記しました。しかし南部町馬佐良を含む「バサラ」地名の淵源に、鉱山=熊野修験=蔵王権現=ヴァジラ(バサラ)があった可能性も少しだけ残しておきたいと思います。