日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第75回 3国の境にそびえる三国山・三国岳(1)

2014年07月18日

三国山、三国岳(三国嶽・三国ヶ嶽などの表記も含む)とよばれる山は全国に数多くあります。その多くは旧六十余州の3か国の境界にそびえる山です。たとえば、現在の神奈川県足柄上あしがらかみ山北やまきた町と静岡県駿東すんとう小山おやま町、山梨県南都留みなみつる山中湖やまなかこ村の境に位置する三国山(標高1325メートル)は、旧相模国、旧駿河国、旧甲斐国の国境にあたり、木立のために頂上の展望はよくないのですが、稜線から望む富士は、その絶景で知られます。北に伸びる稜線を15分ほど下ったところに、県道の通る三国峠があり、この「三国峠」という峠名も、旧3か国の国境によくみられる地名です。

神奈川、静岡、山梨の3県境にそびえる三国山

ちなみに、ジャパンナレッジの「詳細(個別)検索」で「日本歴史地名大系」を選択し、「三国山」「三国岳」「三国峠」の3語を入力して、全文検索(or検索)をかけますと228件がヒットします。「日本歴史地名大系」の基本項目は現在の大字・町名に相当する(近世の)町村項目ですから、228件の多くは重複ヒットです。しかし、その全国分布を確認しますと、青森県、秋田県、山形県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都、山口県、四国4県、鹿児島県、沖縄県を除いた全国32道府県に及びます。ただし、宮崎県でヒット(「延岡街道」の項目)したのは、街道の道筋について、隣県大分県内での様子を記述したものですから、実際には31道府県に分布する、ということになります。

青森県、秋田県、山形県の東北地方西部は、出羽国・陸奥国の2国からなり、3国境がない、あるいは少ない、茨城県、栃木県、千葉県、東京都の関東東部は水面が3国境であることが間々みられる、山口県、四国4県、(宮崎県)、鹿児島県の九州南部、および沖縄県も3国境がない、あるいは少ない、といったふうに「三国山」「三国岳」「三国峠」のキーワードがヒットしないおおよその推測が成り立ちます。

一方で、旧六十余州に含まれない北海道、また、陸奥国一国で成り立ち、3国境のないはずの岩手県でなぜヒットしたのでしょうか。

北海道では北見きたみ市と河東かとう上士幌かみしほろ町、上川かみかわ郡上川町の境界にそびえる三国山(1541メートル)、および約30キロメートル東方にある東三国山(1230メートル。常呂ところ置戸おけと町、足寄あしょろ郡足寄町、足寄郡陸別りくべつ町の境界に位置)に関連してヒットしています。三国山の南西方を縦断する国道273号は、北海道で最も高い峠(三国峠橋。標高1139メートル)を通過する国道といわれ(実際には峠下をトンネルで通過)、「三国峠」は紅葉の名所として知られます。

じつをいうと、北海道でも明治2年(1869)に北海道の下に置く行政組織として本土と同様に国郡が設けられました。設置されたのは渡島おしま国、後志しりべし国、石狩いしかり国、胆振いぶり国、日高ひだか国、天塩てしお国、北見国、十勝とかち国、釧路くしろ国、根室ねむろ国、千島ちしま国の11か国で、明治30年の北海道支庁制の制定まで用いられました(北海道の「道」は、「東海道」「山陽道」「北陸道」などの「道」と同様の行政単位の古い名称に由来)。ちなみに11国の国名は、江戸時代末期の北方探検家として名高い松浦武四郎の命名です(「北海道」自体の名称、および11国の下に置かれた約90郡の名称も武四郎の命名)。

前掲の三国山は旧北見国(北見市)と旧十勝国(上士幌町)と旧石狩国(上川町)の境界に位置していますから、3国境に由来する三国山名です。アイヌ語に由来する地名が多い北海道では珍しい和風地名といえるでしょう。東三国山も旧北見国(置戸町)と旧十勝国(足寄町)と旧釧路国(陸別町)の境界にそびえることが山名由来といえそうですが、明治期の北海道では11か国の国境が判然としていない部分も多く、3国の国境ではなかった可能性もあり、にわかに断定はできません。

つまり、元来は(3国境の)三国山が2つあり、そのうち東方に位置する山を「東三国山」として識別したのか、はじめ、三国山があり、その東方にあることから(3国境ではないのに)「東三国山」と名付けたのか、明確な答えは出しにくいといえるでしょう。

次に岩手県を検討します。岩手県では江刺えさし市(現在は奥州市)の原体はらたい村(宮沢賢治の剣舞の詩で著名な村)の「三国みくに山に三国塚・三国馬頭観音(現倉内観音堂)、当村鎮守の虚空蔵(現大山祇神社)があった。三国塚は当村百姓庄大夫の祖及川藤左衛門が、伊達政宗から拝領した名馬三国を埋めたと伝え、倉内観音堂には現在も木造神馬と観音像が安置され、江刺三十三観音の一五番札所である」に関連して「三国山」のキーワードがヒットしました。

こちらは明らかに「旧六十余州のうちの3国」とは関係なく、名馬の名前「三国」に関連する「三国山」「三国塚」でした。これで「陸奥国一国で成り立ち、3国境のないはずの岩手県」でヒットした理由が判明しました。ところで、「三国」という名馬の読み方は不詳ですが、「三国一」の名馬であったことから付けられた名称であったとすれば、「三つの国」に由来する点では3国境と共通点があります。ただし、「三国一」でいう3国とは、一般に唐(中国)、天竺(インド)、本朝(日本)。旧六十余州の3国とは少しばかりスケールが違いました。

次回も引き続き「三国山」関連地名について逍遥します。

(この稿続く)

旧北見国、旧石狩国、旧十勝国の国境であった三国山