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第60回 信濃の国(3)

2011年12月09日

これまで、長野県は県域が律令制の旧信濃国一国を版図としているにもかかわらず、県内各地域の風土の違いが顕著であること、また県庁舎移転問題などを背景として、県北部(北信+東信)と県南部(中信+南信)が、長期間にわたって対立・抗争を繰り返してきたことなどを記しました。

ところで、県域が律令制の信濃一国と重なる、といった特徴のほかに、長野県にはもう一つの強調すべき点があります。それは、海岸線を持たない内陸県(いわゆる「海無し県」)である、という特徴です。長野のほかに栃木・群馬・埼玉・山梨・岐阜・滋賀・奈良の各県も内陸県で、全国では8県を数えます。

この8県のうち、岐阜県は旧美濃国と旧飛騨国の2国からなりますが、岐阜を除いた7県は、長野と同様に県域が律令制の一国で構成されています。なお、先にも記しましたが、埼玉県はほぼ旧武蔵国一国で構成されているのですが、東京都と神奈川県の版図にも旧武蔵国は含まれていますから、武蔵国の領域と埼玉県の県域は一致していません。ただし、ほとんどの内陸県が、律令制の一国をもって成立している、といえるでしょう。

ここで、内陸県8県の県内を流れる川を水系別に列挙してみました。以下の表になります(木曾川・長良川・揖斐川のいわゆる木曾三川は、国土交通省の水系区分では木曾川水系に一括されていますが、ここでは3つの水系としてカウントしました)。

県 名旧国名県内を流れる川の水系
流域人口が多い水系流域人口が少ない水系
栃木県下野国利根川・那珂川
群馬県上野国利根川信濃川・阿賀野川
山梨県甲斐国富士川・相模川多摩川
長野県信濃国信濃川・姫川・木曾川・
矢作川・天竜川・富士川
関川・利根川
滋賀県近江国淀川揖斐川
奈良県大和国紀ノ川・熊野川・
大和川・淀川
埼玉県武蔵国荒川・利根川
岐阜県美濃国・飛騨国木曾川・長良川・揖斐川・
庄川・神通川

 

表を眺めてみますと、流域人口の多い水系に限ってみれば、長野県と4水系からなる奈良県(旧大和国)、美濃・飛騨の2国からなる岐阜県を除けば、ほとんどの内陸県は1、2水系で構成されていることがわかります。これに対して長野県は6水系(流域人口が少ない飯山市の斑尾まだらお高原付近を流れる関川水系、佐久市の狭岩せばいわ峡付近を流れる利根川水系を加えれば8水系)を数えます。

しかも、全8水系のうち、信濃川・姫川・関川の3水系は日本海側に、木曾川・矢作やはぎ川・天竜川・富士川・利根川の5水系は太平洋側に注いでいます。言い方を変えますと、長野県内を大分水嶺が走っている、ということになります。岐阜県内も大分水嶺が走っていますが、これは岐阜県が旧美濃国(太平洋側の水系)と旧飛騨国(日本海側の水系)の2国から成立しているためで、ほかの内陸県はすべて太平洋側に注ぐ水系で構成されています。

近代の交通網が整備される以前、河川はさまざまな物資や文化を運ぶ大動脈でした。ですから、信濃国(長野県)には日本海側の物資や文化が流入すると同時に、太平洋側の物資や文化も集積され、多様な風土を生み出してきた、といえるのではないでしょうか。先回、長野県歌である「信濃の国」は、地域間の風土の違いをこえて長野県を一つにまとめることに大きな役割を果たしてきた、と記しました。その「信濃の国」の1番は、「信濃の国は十州に、境連ぬる国にして、聳ゆる山はいや高く、流るる川はいや遠し」という歌詞で始まります。

「十州」とは、越中・越後・上野・武蔵・甲斐・駿河・遠江・三河・美濃・飛騨の10か国をさします。そして信濃国は、越後国とは信濃川および姫川・関川で、上野国とは利根川で、甲斐国とは富士川で、遠江国とは天竜川で、三河国とは矢作川・天竜川で、美濃国とは木曾川で、それぞれ繋がっていたのです。また、河川が繋がっていない武蔵国とは三国峠や十文字峠、飛騨国とは安房あぼう峠や野麦峠、越中国とははり峠、といった急峻な峠越えによって結ばれていました。なお、南アルプスの高峰が連なる駿河国境を越えての交通路は余り発達していなかったようです。

こうした河川や峠を媒介とした周囲の諸国との物・人の交流が、信濃国の多様な風土を作り出す土壌であった、といえるでしょう。

風土の多様性が際立つ長野県について、県(中信地区)出身の知人に、「長野県は四分五裂状況だね」と言ってからかうと、知人は「いいえ、長野県は四通八達の地です」といい返してきます。もっとも「長野県は四通八達の地」という文言は、知人が考えたものではなく、信州大学で教鞭をとっていた歴史学者塚本学氏から教示された言辞、ということではありますが……。

ちなみに、JK版「日本歴史地名大系」の個別検索で、歴史的な街道を表す「道」「越」「往還」の3つの用語を、律令体制が及ばなかった北海道と沖縄を検索対象地域からはずして「見出し・後方一致」、「or検索」の条件で検索しますと(「後方一致」ですので、《○○街道》といった項目も《道》に含まれています)、検索対象地域全体では748件がヒット、長野県は38件で、53件の京都府に次いで第2位になりました。また、同様の検索対象地域で「川」と入力し、「見出し・後方一致」条件で検索をかけると1239件がヒット、長野県は71件で堂々の1位(2位は62件の京都府)。峠の道や川の道が張り巡らされた「四通八達の地」という規定はけっして大袈裟な言い方ではない、ということが判ります。

筆者は信濃国を構成していた旧10郡、水内みのち・高井・更級さらしな埴科はにしな・佐久・小県ちいさがた安曇あずみ・筑摩・伊那・諏訪の10郡それぞれの地域に、少なくとも2回以上は足を踏み入れた経験があります。旅行者としてではありますが、川沿いや峠越えによる周囲のさまざまな国との交流が育んできた地域による風土の違いを感じることも多々ありました。

しかし、一方で旧10郡、いずれの地にも共通している……と筆者が思うことがあります。それは、見晴かす山の稜線と清冽な川の流れに代表される、恵まれた自然景観です。長野県(北信地区)出身の作詞家高野辰之は、唱歌「故郷」で「山は青き故郷 水は清き故郷」と詠みました。この高野の歌詞は、在住、出身を問わず、また多様な地域性をこえて長野県人が共通して心に思い浮かべる光景、といっていいのではないでしょうか。

(この稿終わり)

左上の味噌川ダムの水は南下して太平洋、右下の奈良井ダムの水は北上して日本海に注ぐ

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