日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第56回 海辺の中津、渓谷の中津川(2)

2011年09月15日

前回は『JK版「日本歴史地名大系」の個別検索機能を活用して「中津」地名、「中津川」地名の特色などを探ってみることにします』……というところで話は終わりました。

そこで、さっそく検索に取り掛かります。「日本歴史地名大系」の個別検索で「中津」と入力し、見出し・部分一致の条件で検索をかけると、109件がヒットします。ただし、この109件のなかには「中津川」のキーワードも含まれています。これを取り除くため、先ほどの検索方法に加え「次を含まない(NOT)」に「中津川」を入力し、見出し・部分一致で検索をかけます。この条件では75件がヒット、その検索結果一覧画面と、キーワード分布図機能を利用して得られた都道府県別分布図を下に掲げました。

検索画面中津分布図
*各図をクリックすると、より大きな画像で見られます。

 

キーワード分布図を見ますと、中津市が属している大分県が突出、中津市に関連する項目が多く含まれていることも理由の一つと考えられます。また、東日本より西日本に多い傾向も読み取れます。ただし、検索結果一覧のスニペット表示などで75件の内訳を検討しますと、中津原(12件)、中津屋・中津山(各4件)、中津野・中津留(各3件)など、必ずしも「中津」地名とは言い切れない地名も含まれていました。

そこで、できるだけ純粋な「中津」地名を抽出することにします。「日本歴史地名大系」は近世の村(現在の大字地名の母胎となりました)が項目の中心ですから、入力キーワードは「中津村」とします。上・中・下の中津村や東・西・南・北の中津村も見逃さないように、検索条件は「後方一致」として見出し検索をかけると、7件がヒットします。このうち2件は自治体名や変更地名ですので、実際の中津地名は5件、上・中・下や東・西・南・北の中津村はありませんでした。この5件の立地状況などを一覧にして下に掲げます。

項目名現在の地名
(大字・町名)
地内を流れる川
(《 》内は所属水系)
川の上・中・下流など立地状況
中津村京都府宮津市中津・銀丘海岸
中津村兵庫県加古川市加古川町中津加古川《加古川》下流部平地
中津村鳥取県三朝町中津小鹿川《天神川》最上流部山地
中津村島根県安来市中津町飯梨川《飯梨川》下流部平地
中津村山口県岩国市中津町1-3丁目、
三角町1-3丁目ほか
錦川・門前川・
今津川《錦川》
河口部平地・海浜

 

一覧を検討しますと、小鹿おしか川の最上流部に位置する鳥取県三朝みささ町の「中津村」を除けば、いずれも地内を流れる川の下流域あるいは河口部に位置しており、取り立てて言及するような川が流れていない京都府宮津みやづ市の「中津村」も海岸部に位置しています。大分県中津市の立地と共通しているといえるでしょう。

「津」は「海岸・河口・川の渡し場などの、船舶の停泊するところ。船つき場。港」、「港をひかえて人の集まる土地。港町。また、一般に人の多く集まる地域をいう」といいますから(JK版「日本国語大辞典」より)、河口部・海岸部に立地していることは、言葉の意にも合致します。中津は、やはり津=港に関連する地名といえるのでしょうか。

錦川の分流、門前川と今津川に挟まれた中洲に位置する山口県岩国市中津地区

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ここで、ちょっと寄り道をします。大分県中津市を除くと、もっとも一般的に知られている「中津」といえば、淀川の下流左岸に位置し、大阪市の顔ともいえる「梅田駅」の次の駅「中津駅」(阪急神戸本線・宝塚本線)が所在する大阪市北区中津(1-7丁目)ではないでしょうか(大阪市営地下鉄御堂筋線の中津駅もあります)。

明治22年の町村制施行によって、それまでの成小路なるしょうじ村・小島こじま新田村・小島古堤こじまふるつづみ新田・下三番しもさんばん村・光立寺こうりゅうじ村の5か村が合併して成立した中津村が、現在の北区(平成元年に旧北区と旧大淀区が合区して生まれました)中津地区の元となりました。近世の村が項目の中心である「日本歴史地名大系」では、近代以降に成立したこの中津村は、残念ながら立項の対象とならず、したがって先ほどの見出し検索でもヒットしませんでした。ただし、近代の中津村の村名由来となった、かつて地内を流れていた「中津川」は立項されています。この「中津川」について、JK版「日本歴史地名大系」の記述を見てみましょう。

長柄ながら川ともいう。淀川の支流で、北長柄の通称三ッ頭みつがしら(現大淀区)で淀川本流と分れ、西流ののち南流、四貫島しかんじま(現此花区)に至って南伝法みなみでんぽう川(下流を正蓮寺川という)・北伝法川に分れて大阪湾に注いでいた川。明治二九年(一八九六)に着手された淀川改修工事の一環として行われた新淀川開削工事により、新淀川が中津川を一部利用しながらほぼまっすぐに開削されたため廃川となった。ただし下流の正蓮寺しようれんじ川の河道は残され、現在も同名称の河川がある。「摂津名所図会大成」は中津川の項に「長柄にてハ長柄川といひ、いにしへハ下をくま川といひしとぞ、神崎川と難波津の堀江の川の中を流るゝを以て中津川といふ歟」と記し、別に長柄川の項を立て「一名中津川」とする。……

堀江ほりえ川(現大川)と神崎かんざき川(両川ともに淀川の分流)の間を流れる川だから中津川の呼称がある、と記されています。幾条もの分流によって形成された淀川のデルタ(三角州=中洲)地帯を流れる川ですから、これも大分県の中津川に通じることになります。

これまでの結果をまとめてみますと、「中津」地名は河口部・海岸部に多くみられ、津=港に関連した地名と考えるのが、もっとも妥当かと思われます。さらに、「中津」地名の近くを流れている「中津川」は、河口部のデルタ地形を形成する河川の呼称である場合が多い、ということもいえるのではないでしょうか。

次回は「中津川」地名の検討に移ります。

(この稿続く)

梅田の北、淀川(新淀川=旧中津川)の南岸に位置する大阪市北区中津地区

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