日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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第82回 箕輪、三ノ輪、蓑輪、箕和・・・・・・

2014年10月24日

「みのわ」という地名は各地にみられます。ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、「みのわ」と入力して見出し検索(部分一致)をかけると57件がヒットします。もっとも、「部分一致」ですので、佐賀県唐津市の「鏡渡」(かが「みのわ」たし)や大分県中津市の「垂水渡」(たる「みのわ」たし)の「みのわ」に当たったというような場合も含まれますが・・・・・・。

「みのわ」の漢字表記は「箕輪」、「蓑輪」、「三ノ輪」、「箕和」、「箕曲」などさまざまですが、圧倒的に多いのは「箕輪」の表記です。 ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」で「箕輪」を引くと、次のような記述があります。

中部地方以東で、とりでを中心に発達した村をいう。突出した丘の周囲を取り囲んだ村落が箕の形に似ているところからいう。

形の似ている「」とは、「穀類をあおりふるって、殻やごみをよりわける農具」(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)で、安来節のドジョウ掬いの男が手にしているザルよりも一回り大きく、平面でいえば、Uの字の上下を寸詰まりにして開口部を少し広げた形状、といってよいでしょうか。

また、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』(1977年、角川小辞典13)によると、「ミノワ」は「曲流部や曲がった海岸・台地などの半円形の土地。(水<ミ>の輪<ワ>の意、または文字通り、箕<ミ>のように輪<ワ>になったの意か)。東北日本に分布」とあります。

「中部地方以東」(日本国語大辞典)、「東北日本」(地名の語源)と地域の特定がありますが、「みのわ」でヒットした57件の地方別内訳は、

北海道・東北8件(北海道は0件)
関東20件、中部20件、
近畿5件、中国2件、
四国0件、九州・沖縄2件、

となっており、このうち「九州・沖縄2件」は先述の唐津市の「鏡渡」と中津市の「垂水渡」ですから、実質はゼロ。関東地方、中部地方に多いことが改めて確認できました。

「日本国語大辞典」、『地名の語源』ともに、箕のような半円形の地、であることは共通していますが、「日本国語大辞典」が「丘の周囲を取り囲んだ村落」と規定しているのに対して、『地名の語源』は丘陵・台地ばかりではなく「曲流部や曲がった海岸」まで範囲を広げています。

そこで、悉皆しっかいではないのですが、ヒットした57件のスニペット表示を眺めながら、蛇行する川に囲まれた、または半島状に海に突き出た村落はないのか調べてみたのですが、該当するものは見つかりませんでした。「日本歴史地名大系」の項目の中心は江戸時代の村落(現在の大字、町名に相当)ですから、「曲流部や曲がった海岸」の「みのわ」地名というのは、あるいは、江戸時代の村落よりもう少し規模の小さい、小字・小名といった単位でみられるのかもしれません。

一方で、丘陵・台地における「みのわ」地形は幾つか確認できました。その一つは群馬県群馬郡箕郷町みさとまち 西明屋村にしあきやむら(現群馬県高崎市)の【箕輪城跡】の項目です。「日本歴史地名大系」には、

榛名はるな山東南斜面を流下するしら川と井野いの川に東と西を挟まれた台地(標高二七三メートル)に立地し、西北―東南方向、長さ一千七〇〇メートル、幅七〇〇メートルの範囲に構築された平山城。南に椿名つばきな沼(現在は水田)を箕手状に抱えこんでいたので箕輪の名がある。

との記述があり、実際の地形をみても(次に掲げる地形写真を参照)、城郭が載っていた台地が半円形であることを確認できます。

ちょっと縦長ですが、台地(木立の部分)は「箕」の形状をしています

ところで、江戸時代の村落(大字)よりも規模が大きい「みのわ」地名も存在します。それは、長野県上伊那かみいな郡の箕輪町と南箕輪村で、現在の自治体名(市町村名)に「みのわ」地名を採用しているのは、この2件だけです。この両自治体の「箕輪」は中世の箕輪郷に由来するのですが、「日本歴史地名大系」は【箕輪郷】について次のように記しています。

現箕輪町・現南箕輪村及び現伊那市の西箕輪と手良てら地域を一括する地方。平安時代の中頃に成立した蕗原ふきはら庄の領域で、室町時代後半からは箕輪・箕輪郷・箕輪領などとよばれた。

箕輪郷の範囲を地形写真で確認すると、だいたい下図の範囲になるのですが、経ヶ岳きょうがたけを西方の頂点として、南流する天竜川を東方の下端とする箕輪郷域全体を「箕」の形状とみるか、伊北いほくインターチェンジを北方の頂点とし、国道361号で南方下端を画される天竜川右岸平野の形状を「箕」とみるのか、判断はつきかねます。ほかにも蛇行する天竜川に囲まれた小さな「みのわ」地名がそもそもの発祥で、小さな「箕の輪」がのちに郷域全体をさす呼称となった可能性も否定できません。

この写真では確認できないが、天竜川の小さな曲流部を「みのわ」とよんだ可能性もある

「みのわ」地名が箕のような形状をした半円形の土地に由来することは間違いないのでしょうが、箕の形状をどういう規模でとらえるかは、それぞれの「みのわ」地名でケースバイケースである・・・・・・というのが、今回の考察の結論となりました。