日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第85回 温泉をめぐるあれこれ(2)

2014年12月05日

前回に引き続き温泉の話です。前回、環境省自然環境局が発表した「平成24年度温泉利用状況」による温泉地数の都道府県別ベスト5を、北海道(254)、長野県(217)、新潟県(154)、青森県(143)、福島県(135)の順と記しました。

これに続く6位から15位は、秋田県(127)、静岡県(114)、群馬県(105)、鹿児島県(100)、岩手県(97)、山形県(90)、千葉県(85)、富山県、兵庫県(各74)、栃木県(69)の順となります。

さて、この順位は次に記す、「あるものの順位」(括弧内の数値は、その数)とかなり強い相関関係がみられます。

1位=北海道(31)、2位=東京都(21)、3位=長野県、鹿児島県(各10)、5位=秋田県、福島県(各6)、7位=群馬県、岐阜県(5)、9位=青森県(4)と続き、10位には岩手県、宮城県、栃木県、山形県、静岡県、大分県の6県が各3で並んでいます(計15都道(府)県)。

いったい何の数値と思われますか? じつは、気象庁が「全国の活火山の活動履歴等」で取り上げている活火山の数(複数県にまたがる場合は重複してカウント)なのです。

活火山の数ベスト10に入った15都道(府)県のうち、温泉地数ベスト15から漏れているのは、東京都、岐阜県、宮城県、大分県の4都県です。

主に伊豆諸島および周辺海域の海底火山が活火山として取り上げられている東京都を除けば、岐阜県、宮城県、大分県は、温泉数のベスト15からは外れているものの、温泉番付(前回を参照)4位の大分県はもちろんのこと、岐阜県、宮城県も直ぐに幾つかの温泉名が思い浮かぶほどの温泉県です。

このように、温泉と火山活動に密接な関係があることは、誰もが納得できることと思います。火山活動の要因となるマグマの上昇によって、帯水層などに蓄えられていた地下水が熱せられ、断層の割れ目などを通って地表に湧出して温泉となる、いわゆる火山性の温泉で、「日本歴史地名大系」で項目として取り上げられたような、歴史のある温泉(266件、前回参照)の多くは「火山性温泉」である、といっても間違いはないと思われます。

ところで、温泉は火山性温泉ばかりではありません。じつは、非火山性の温泉も全国に数多く所在します。この非火山性温泉のなかで、もっとも分かりやすいのは「大深度掘削」による温泉ではないでしょうか。

一般に地下の温度は100メートル深くなると約3℃上昇します。たとえば地表の水温が平均で10℃の地域を仮定しますと、その地域で1500メートルを掘削して地下水に突き当たったとすれば、その地下水の温度は、理論上では55℃(3×15+10)となります。

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この55℃の源泉が地表に出るまでに泉温が10℃下がったとしても、十分に利用可能な温度を保っているといえるでしょう。「日本歴史地名大系」で項目として取り上げられている温泉266件のうち、都道府県別では1件もヒットしなかった(由緒ある温泉が少ない)千葉県が、現在では温泉数ランキングの上位に食い込んでいるのも、この「大深度掘削」による温泉開発の結果と推測できます。

「歴史地名大系」では温泉項目0ですが、現在は温泉地数上位の千葉県の温泉

ところで、『日本書紀』にその名が見える兵庫県の有馬温泉(「有馬温湯」)、和歌山県の南紀白浜温泉(「牟婁むろ温湯」「紀温湯」)、愛媛県の道後温泉(「伊予温湯」「伊予の熟田津にきたついわ湯」)の3温泉を一般に「日本三古湯」とよんでいます。

しかし、この三古湯が所在する兵庫県、和歌山県、愛媛県には気象庁が「全国の活火山の活動履歴等」で取り上げる活火山は一つもありません。つまり、三古湯は「火山性温泉」ではないのです。また、「日本書紀」の時代からの温泉ですから、「大深度掘削」による温泉でもありません。

じつは、これら三古湯の湧出メカニズムについて、古くからさまざまな説明がなされてきましたが、誰もが納得するような定説には至らず、長らく謎とされてきました。

しかし、有馬温泉、南紀白浜温泉の湧出メカニズムについては、2009年に西村進氏らによって「フィリピン海プレートの沈み込んだスラブから脱水して生じた超臨界流体が、既存する酸性岩体周辺とくに最後に貫入した流紋岩質岩脈や岩頚の周辺のゆるみ域を上昇し、活断層を経て地殻上部に到達し、地下水に薄められ、地表に湧出している可能性」が指摘され(西村進「近畿地方の高温泉とその地質構造」【「温泉科学」60号・2011年】)、近年幅広い支持を得るようになっています。

筆者には何のこっちゃ? なのですが、プレートの沈み込みが関係して、活火山(マグマ)がないのに温泉が形成されている、と勝手に理解、納得しています。道後温泉についても似たようなメカニズムが考えられると思うのですが、詳しい研究論文等は、まだ発表されていないようです。

ところで、「日本歴史地名大系」の【速見湯はやみのゆ】(現在の大分県別府市の別府温泉郷の古称)の項目には、道後温泉について次のような記述がみえます。

『伊予国風土記』逸文に、仮死状態になったスクナヒコナノミコトを救おうとしたオオナモチノミコトが大分速見湯を下樋を使って伊予に湧き出させ、スクナヒコナノミコトを入浴させたところ、スクナヒコナノミコトはたちどころに息をふきかえし元気に地面を踏み歩くようになったという伝説が載せられている。この速見湯を引いて湧き出たのが、いわ湯すなわち現在の愛媛県松山市道後どうご温泉であると考えられている。この石湯は神話時代はともかくとして、七世紀には舒明天皇の行宮が作られるなど、薬湯として大和王権にも知られていた。・・・・・・

速見湯(別府温泉)からの引湯伝説が残される道後温泉

道後温泉は、別府温泉の湯を海底トンネルで引き湯して湧出させている、という伝承です。この話から、瀬戸内海を挟んでの伊予国(愛媛県)と豊後国(大分県)との交流を読み取る、というのが歴史的見方の本筋なのでしょう。けれども、筆者は、現在でもまだ完全には解明されてない道後温泉の湧出メカニズムについて、古代人は、理解しやすい火山性温泉(別府温泉=鶴見岳・伽藍岳)のメカニズムをもって代替、得心し、その結果として先のような逸話が誕生したのではないか? と想像する余地も残しておきたいと思います。

(この稿終わり)