日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第14回 山間に多い塩地名 ― 塩原(しおばら)

2008年04月04日

「塩」の字がつく地名は全国に数多くあります。字の意味から考えると、塩(食塩)に関連して、製塩業が盛んな海沿いの地や塩の輸送・運搬に関係する街道筋に多い地名では? と思いがちです。しかし、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』(1977年、角川小辞典13)は、《シオ》の項目で、まず地理学者・山尾俊郎の「塩の山間の地名にはシボむ地形からのものが多い」という説を載せ、次いで「塩」地名の語源として下記の6種類をあげます。

(1)楔形の谷の奥
(2)川の曲流部
(3)(たわ)んだ土地(長野県北部〈北信〉にみられる)
(4)植物のシオデ(牛尾菜)に由来
(5)食塩・海水や潮に関連する
(6)塩類泉に由来

さらに、(3)の長野県北部に多い「撓んだ土地」の例として、〔塩沢・四王子(シオウジ)・塩田・塩野・塩尻・四方田(シオ)・入之波(シオノハ)・志雄・塩原・潮・子浦(シオ)〕、(5)の「食塩・海水。潮に関連」する例として、〔塩浜・塩屋・塩釜・潮ノ岬・汐留川・潮見坂〕、(6)の「塩類泉に由来」する例として〔塩沢・塩谷・塩原・塩江〕などの地名をあげています。

「塩」の分布図

「塩」の項目

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「塩」のつく地名は、海沿いばかりではなく、意外なことですが、山間部にも多くみられる地名のようです。JK版「日本歴史地名大系」の見出し検索(部分一致)で「塩」を入力して調べると、全部で587件がヒット。県別のグラフ表示でみると、1位の長野県(52件)をはじめ、6・7位の栃木県・山梨県(ともに24件)、16位の岐阜県(12件)など、「海無し県」がかなり健闘しています。

ところで、前出『地名の語源』の《シオ》項目があげる実例で、唯一、複数の地名語源で触れられた地名に「塩原」があります(「撓んだ土地」と「塩泉類に由来」の双方にみえます)。「塩原」の「原」を一般的な「はらっぱ」「野原」の意と考えれば、塩原は「山間の撓んだ、あるいはシボんだところに開けた平地」と解釈できるでしょうか。広く知られる栃木県那須(なす)塩原(しおばら)市の塩原温泉郷も、日光連山と那須連峰との間の山中に開けた狭小な平地に所在しています。

栃木県那須塩原市・塩原温泉郷

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JK版「日本歴史地名大系」で「塩原」の見出し検索(部分一致)かけると22件がヒットしますが、うち「那須塩原市」(変更地名:栃木県)や「塩原塚古墳」(考古項目:群馬県前橋市)、など、地形との関連が薄いと思われる項目を除くと、次の16件が残ります(「日本歴史地名大系」は〈近世村落〉が項目の中心)。

番号ヨミ
項目名
種類(属性)刊行時の
所属自治体
現在の
所属自治体
流域河川名
1キタシオバラムラ
北塩原村
自治体名福島県:耶麻郡(刊行時に同じ)(阿賀野川水系)
2シオノハラムラ
塩原村
近世村落名福島県:南会津郡舘岩村南会津郡南会津町舘岩川(阿賀野川水系:伊南川上流)
3シオバラムラ
塩原村
近世村落名茨城県:那珂郡大宮町常陸大宮市久慈川
4シオバラマチ
塩原町
自治体名栃木県:那須郡那須塩原市箒川(那珂川支流)
5シモシオバラムラ
下塩原村
近世村落名栃木県:那須郡塩原町那須塩原市箒川(那珂川支流)
6シオバラオンセンゴウ
塩原温泉郷
温泉名栃木県:那須郡塩原町那須塩原市箒川(那珂川支流)
7ナカシオバラムラ
中塩原村
近世村落名栃木県:那須郡塩原町那須塩原市箒川(那珂川支流)
8カミシオバラムラ
上塩原村
近世村落名栃木県:那須郡塩原町那須塩原市箒川(那珂川支流)
9ユモトシオバラムラ
湯本塩原村
近世村落名栃木県:那須郡塩原町那須塩原市箒川(那珂川支流)
10シオバラムラ
塩原村
近世村落名群馬県:山田郡大間々町みどり市渡良瀬川
11シオハラムラ
塩原村
近世村落名石川県:小松市(刊行時に同じ)郷谷川(梯川支流)
12シオバラシンデン
塩原新田
近世村落名静岡県:小笠郡浜岡町御前崎市(遠州灘)
13シオバラムラ
塩原村
近世村落名島根県:仁多郡仁多町仁多郡奥出雲町郡川(斐伊川支流)
14シオハラムラ
塩原村
近世村落名広島県:比婆郡東城町庄原市内堀川(高梁川水系:成羽川支流)
15シオバラムラ
塩原村
近世村落名福岡県:福岡市南区・博多区(刊行時に同じ)(博多湾・那珂川)
16シオバラムラ
塩原村
村落名熊本県:阿蘇郡蘇陽町上益城郡山都町(緑川水系)

上表のうち、2、3、4~9、10、11、13、14はいずれも、山間にあり、右端に記した流域河川の川沿いに開けた狭小な平地に立地しており、山尾俊郎のいうところの「山間の塩地名」に合致しています。12の静岡県の「塩原新田」は、遠州灘に面していて、(5)の「食塩・海水や潮に関連」に合致。15の福岡県の「塩原村」も、古くは博多湾が入り込んでいて、塩焼きを行っていたのが地名の由来という伝承があり、これも(5)に合致します。

しかし、1番の北塩原村と16番の塩原村は塩地名の立地条件と合致しません。それもそのはずで、1番の北塩原村は、昭和29年(1954)にそれまでの福島県耶麻郡北山(きたやま)村・大塩(おおしお)村・檜原(ひばら)村の3か村が合併して誕生した村名。16番の塩原村も、明治9年(1876)に熊本県阿蘇郡斗塩(としお)村と南隣の黒原(くろばる)村が合併して誕生した村名だからです。

大塩村

大塩村

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ちなみに、北塩原村を構成していた北山・大塩・檜原の3村をみてみましょう。北山村は明治8年にそれまでの(うるし)谷地(やち)土合(どあい)下吉(しもよし)の4か村が合併してできた村ですが、村名は、漆村にあった会津五薬師の1つ「北山薬師(北方薬師・漆薬師とも)」に由来します。会津盆地北部の縁辺に位置し、産業は稲作を中心とする農業。集落は檜原峠越米沢街道から分岐して、北方(きたかた)(現在の喜多方)方面に抜ける山三郷(やまさんごう)通の交通の要衝、また北山薬師の門前として発達しました。大塩村は地内で塩湯が湧出したことが地名の由来といい、これは塩類泉に由来する「塩」地名です。江戸時代は檜原峠越米沢街道の宿場で、林業が盛んでした。また地名の由来となった塩湯では山塩を生産して、塩年貢も納めていました。

檜原村は磐梯山の北麓を占める山間の村。檜原川の流域(支流を含む)沿いに集落が点在し、文字どおり「檜」の「原」であったのでしょうか、椀木地作りが生業の中心でした。明治21年に磐梯山が大噴火、檜原川が堰止められて檜原湖ほか小野川(おのがわ)湖・秋元(あきもと)湖・五色(ごしき)沼など数多くの湖沼が誕生。現在、一帯は裏磐梯高原として、一大観光地となっています。

北塩原村が山間に開けた狭小な平地(塩原地形)に立地する村でもなく、まして塩原(栃木県の塩原温泉郷)の北に位置する村でもないことが理解いただけたかと思います。近頃の平成の大合併でも、合併に参加した自治体名から一字ずつを取って新たにつけられた地名がたくさん生まれました。たとえば茨城県小美玉(おみたま)市(小川(おがわ)町・美野里(みのり)町・玉里(たまさと)村)、福岡県宮若(みやわか)市(宮田(みやた)町・若宮(わかみや)町)など。しかし、こうして生まれた新地名は、合併前の地名がもっていたその土地の特徴をあらわす力=イメージを喚起させる力を失っています。地域に住む人々が、その土地と密接に関わりながら(地形をはじめ、その土地のさまざまな特徴に規定されながら)生業に励む、という従来の生活スタイルが崩壊しつつあることが、こうした新地名誕生の一因といえるでしょうか。