日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第173回 伏見のいろいろ(2)

2020年12月04日

先回は京都市の「伏見」が、豊臣政権下において公儀の首都の役割を担っていたこと、政権崩壊後は商業交易都市へと生まれ変わっていったことなどを俯瞰しました。今回は「伏見」の地名についての考察です。

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」の【伏見区】の項目には次のような記述がみえます。

「俯見」「伏見」「伏水」などと記されるが、その字義についても、天の岩戸から伏して見る地であるとか、巨椋おぐら池に枕したような地形ゆえに伏水とよばれるとか、あるいはまた伏流水の豊富なところから伏水とよばれるのだというように、さまざまな解釈が行われている。

地下水に恵まれた酒所ですから、「伏流水の豊富なところから伏水とよばれるのだ」という説は説得力があるように思えるのですが、これだ! という決め手には欠けるようです。

鏡味完二・鏡味明克の「地名の語源」(昭和52年、角川小辞典13)は、「フシミ」の語源を「見下ろすことのできる傾斜地上の地名」とし、表記として〔伏見・俯見〕をあげています。

「日本歴史地名大系」の【伏見山】の項目には次のような記述もあります。

明治天皇陵参道北の丘陵台地を宇治見うじみ山という。この高台から南方の宇治までを眺望することができたので、この名が生じたと伝える。別に月見岡つきみがおかともよばれ、観月の名勝地になっていた。

「宇治見」から「伏見」、「宇治までを眺望する」から「俯見」、何か両方ともありそうな気もします。

一方、「地名用語語源辞典」(楠原佑介・溝手理太郎編、東京堂出版、昭和58年)は、

①フシ(伏)・ミ(水)で、「水が伏して流れる所。地下水多量な地」(『日本地名基礎辞典』)。
② 見下ろすことのできる傾斜地上の地名〔鏡味〕。
③フシ(節)・ミ(廻。接尾語)で、「盛り上がったり、瘤のようになったところ」=「小高い所」か。「(何かを)区分する所。(何かによって)区切られた所」か。
④ 京都市伏見からの伝播地名。

と記します。①にみえる「日本地名基礎辞典」は、池田末則編の地名辞典(昭和55年、日本文芸社刊)です。②にみえる〔鏡味〕は先にあげた「地名の語源」のことで、さらに、次のような「解説」を加えます。

①は、フス(伏)には「隠れる」という意もあるが、近代の用語である「伏流水」という概念にとらわれた解釈ではないか。②の鏡味説も、「俯し見る」というのは「小高い所」の付随的要素で、これが地名の起源、語源となるようには思えない。

①、②には否定的ですから、「地名用語語源辞典」が有力とみる「フシミ」地名の由来は、③の「小高い所」、「区分する所。区切られた所」か、④の「京都市伏見からの伝播地名」ということになります。

そこで、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、「伏見村」で見出し検索(部分一致)をかけてみました。「伏見村」で入力したのは、「日本歴史地名大系」の項目の基本が江戸時代の「村」(現在の大字に相当)であることと、「俯見」や「伏水」の表記ではゼロヒットだったからです。その結果、次の6件がヒットしました。( )は地形の特徴です。

宮城県古川市(現大崎市)の伏見村(渋井しぶい川に沿う水田地帯)
秋田県鳥海ちょうかい村(現由利本荘市)の伏見村(鳥海川〔子吉こよし川〕左岸の段丘が発達する地)
石川県珠洲すず市の伏見村(海=日本海を望む丘陵地)
岐阜県御嵩みたけ町の伏見村(可児かに川右岸の段丘と平坦地)
静岡県清水町の伏見村(黄瀬きせ川東岸の平坦地)
奈良県御所ごせ市の伏見村(金剛山東麓の傾斜地。地下水に恵まれる)

確かに「小高い所」(段丘地、丘陵地)や「区分する所。区切られた所」(河川によって画された地)に多くみられると考えてよいような気がします。

可児川と木曽川に画された岐阜県御嵩町の伏見地区

御所市の伏見地区。金剛山東麓に位置し、棚田が広がる

同様に「伏見町」でも検索すると、本家である京都の伏見町のほかに、東京都の桜田伏見町(江戸城下)、名古屋市の伏見町(名古屋城下)、大阪市の伏見町(大坂三郷)、岡山県津山市の伏見町(津山城下)の4件がヒットしました。

4件のうち、東京都の桜田伏見町は名主である伏見善右衛門に由来する町名といいます。大阪市の伏見町は元和(1615‐24)初年に山城伏見町(本家の伏見町)から移って町建てしたといいますから、「京都市伏見からの伝播地名」ということになります。名古屋市の伏見町と津山市の伏見町の町名由来は不明ですが、「伝播地名」の可能性も残されていると思います。

筆者は「地名用語語源辞典」が――近代の用語である「伏流水」という概念にとらわれた解釈ではないか――と否定する「水が伏して流れる所。地下水多量な地」も捨てがたいと思うのですが……。

ちなみに、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」の「みず‐くき[みづ‥] 【水潜】」の項目は、用例文として、「類聚名物考〔1780頃〕」から引いて「水茎 みづくき〈略〉古へ水くきといへるは水潜にて伏流ふし水のことをいへるなり」をあげています。伏流水(ふしみず)という言葉は、江戸時代すでに用いられていたようです。

一方、ジャパンナレッジ「角川古語大辞典」によると「ふしみづ 【伏水・臥水】」は「流れている水。立水(たちみづ)の対」で、「たちみづ 【立水】」は「湧き出る水。伏水(ふしみづ)の対」だといいます。

そうしますと、地下水に恵まれた酒所、京都市伏見に相応しい地名は「立水」ということになりそうです。「伏水」であるならば、その昔、伏見山から巨椋池にむかって滝のように水が流れ下っていたのでしょうか。

確かに京都市の「伏見」は、「小高い所」(伏見山の西麓)であり、「区分する所。区切られた所」(宇治川と巨椋池に画される)です。しかし、山地・丘陵地の多い日本では、こういった地形はいたるところでみられます。そうだとすれば、「伏見」地名のヒット数が6件(町名を含めると11件)というのは、いささか少ないような気もします。

京都市伏見の地名由来には「小高い所」、「区分する所。区切られた所」以外にも何か別の要素がからんでいるのではないか? まだまだ解決されてはいない問題が残されているような気がしてなりません。

さて、最後にもう一つ「伏見」にまつわる話題です。一般に室町幕府が倒れてから、江戸幕府が成立する間の織豊政権の時代を「安土・桃山時代」とよんでいます。「安土」は織田信長の居城・安土城に由来し、「桃山」はもちろん伏見城(伏見桃山城)に由来します。

ただし、桃山という地名(山名)は「伏見城廃絶後は古城山ともよばれ、江戸中期には桃の木が群生し、いつしかもも山とよばれるようになった」(「日本歴史地名大系」【伏見山】の項目)という経緯をもちます。つまり、安土・桃山時代にはなかった地名です。

言い換えれば、「桃山時代」という言い方は、「江戸幕府」を「東京幕府」とよぶのと同じことになります。かといって「安土・伏見時代」というのはピンときません。しかし、100年後、あるいは200年後には案外、「安土・伏見時代」が一般的になっているかもしれません。

(この稿終わり)

★『日本列島「地名」を行く!』は今回をもって終了します。
★この連載が、読者の皆さまにとって「地名」に興味を持っていただく一助になったとすれば幸いです。