日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第26回 少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る厄除けの神様―五条天神社

2009年05月01日

先回、この欄で取り上げた〈法城寺ほうじょうじ〉は、中世まで〈五条橋中島〉に所在した寺院。この〈五条橋中島〉は中世以前の五条通(現在の松原まつばら通)が東に向かって洛中を抜け、鴨川を渡るところにあった島(中洲)でした。

今回取り上げる〈五条天神社〉は、現在の松原通(中世以前の五条通)を今度は西方に進み、烏丸からすま通を越えて西洞院にしのとういん通を南に折れたすぐのところに鎮座しています。社伝によると、平安京遷都の折に空海が勧請した神社といい、厄除け・病除けの神様として、古くから都人の信仰を集めました。

五条天神社には、〈天使てんしの宮〉〈天使社〉の通称があり、現境内の裏(西方)を南北に走る通りを天使突抜てんしつきぬけ通といいます(東中筋ひがしなかすじ通とも)。この通りは天正18年(1590)から始められた、豊臣秀吉による都市京都の改造の際、旧西洞院大路(現西洞院通)と旧油小路(現油小路通)の間に、下京を貫通する形で開かれた道で、『京都坊目誌』は「元五条天神社の境内を貫通し、新に此街を開く。五条天神一に天使社と号す。街名之に起る」と記します(JK版「日本歴史地名大系」など)。

ビルの谷間に鎮座する五条天神社

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一般に〈天神様〉といえば、菅原道真の御霊を祀る神社。しかし、この五条天神社の祭神は少彦名命すくなひこなのみこと(「スクナビコナ」とも)と大己貴命おおなむちのみこと天照大神あまてらすおおみかみなど。そもそも、道真誕生の以前から鎮座していた神社ですから、一般の天神様(天満宮)と同列には扱えません。

神話の世界では、少彦名命は大己貴命(大国主神)と協力して国づくりに活躍しますが、一般には医薬の神様、農耕の神様、温泉開発の神様などとして広く祀られました。とくに薬の神様としての信仰は顕著で、大阪(大坂)の薬問屋街道修町どしょうまちでは、近世以降、薬種の守護神として少彦名神社を祀っています。また少彦名命は、仏教の薬師信仰が広まるとともに、薬師如来と習合してゆきました。

室町‐江戸期の京都では、節分の夜に五条天神社から授かった陰干しにしたオケラ(白朮)の根を焚いて邪気を祓い、同じく五条天神社から受けた白い餠(「おけら餠」といいます)を食べて悪病を除くまじないとする風習がありました。現在も節分や5月の例大祭には、厄除け祈願の参詣者で賑わいます。ただし、今日の節分祭で参詣者に配られるのは、縁起物の宝船図ですが。

また、『義経記』では、一条堀川に住む鬼一法眼きいちほうげん(陰陽師法師)の謀略で義経が北白川きたしらかわ印地いんじ大将湛海たんかいと闘う場として設定され (巻2)、弁慶出生や義経・弁慶の出会いに深くかかわる神社としても登場(巻3)します(JK版「日本歴史地名大系」など)。なお〈印地〉とは印地打の略で、「川を挟んだりして石を投げ合う一種の合戦」(日国オンライン)で、中世の京都では盛んに行われていました。

この五条天神社について、『徒然草』には次のような記述がみえます。「勅勘の所に靫かくる作法、今はたえて知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫をかけらる。鞍馬にゆぎの明神といふも、靫かけられたりける神なり」(第203段)。五条天神社は、鞍馬くらま由岐ゆき神社(靫明神)とともに天皇の病気、また一般に、疫病などで世の中の騒がしいときには、ゆき(武具の一つで、中に矢を入れて背負うもの)をかけられる神社であったようです。なお、〈靫をかける〉行為について、「日国オンライン」には「勅勘などを受けたとき、閉門謹慎のしるしとして、その家の門口に検非違使が靫をかけて出入りを制する。平安時代末ごろに行なわれた」とあります。

さらに、応永28年(1421)には、この年流行した疫病退散のため、五条天神社を流罪とする宣下が祇園社に下されました(「看聞日記」同年4月23日条)。このことについてJK版「日本歴史地名大系」の「五条天神社」の項には、従来は「これを契機に五条天神の疫神としての地位が低下し、祇園信仰に席をゆずっていったという見解」がありましたが、「流罪宣下は『徒然草』が記す靫を懸けるということと本質的には同じで、五条天神は穢や罪を一身に背負いこみ、天皇から罰をうける特異な神であり、その裏には勅免による復活の儀礼を伴っていたとする説」が提出されている、とあります。

じつは、この新見解を提示されたのは、先回も登場いただいた瀬田勝哉氏。瀬田氏の論考「五条天神と祇園社」(『洛中洛外の群像』1994年、平凡社ライブラリー『[増補]洛中洛外の群像』2009年に所収)は、五条天神社が祇園社の末社となっていた時期があったことを指摘しつつ(だから〈流罪宣下〉が祇園社に下された)、流罪宣下が下された室町時代の五条天神社と祇園社の関係について、以下のように記します。

「そこからは両者の拮抗、勢力交替といった姿ではなく、むしろ両者の連携による周到な演出の匂いさえ感じとることができる。そもそもこのような神の流罪の原型が、天つ罪・国つ罪といった罪・穢を一身に背負って放逐される、素戔嗚尊すさのおのみこと=祇園の祭神に見られたことは、その間の発想の交流を示唆するものとして見のがすことができない。(中略)五条天神はこうした厳しい罰を受けつつ、衰退するどころか、よりいっそう病の神としても注目を浴びることになったというのが私の見方である」と。

ところで、JK版「日本歴史地名大系」では、立項項目のうちで、五条天神社と同じように少彦名命を祀る神社がどのくらいあるか、新しいJKの検索機能を活用して調べてみました。「日本歴史地名大系」の個別検索画面で、見出し検索(後方一致)に「神社」と「宮」をor検索で入力、これに加えて今度は全文検索で「少彦名」をand検索で入力します(この方法で、条件にかなう神社のすべてを見つけることはできませんが、おおよその傾向性はつかめます)。結果は183件がヒット。〈分布図〉機能を利用すると、やや東日本・北日本に厚い分布を示しますが、ほぼ全国に展開していることもわかります。ちなみに、県別ベストテンは下表になります。

順 位府県名ヒット件数順 位府県名ヒット件数
1位茨城県15件5位青森県8件
2位鳥取県10件8位愛知県7件
2位岩手県10件8位長野県7件
4位京都府9件10位山形県6件
5位兵庫県8件10位宮崎県6件
5位大阪府8件10位奈良県6件
少彦名命を祀る神社が多くある府県

第4位の京都府のうち、京都市内は5件。五条天神社のほか、先に五条天神社と同様に靫をかけられる神社として登場した鞍馬の由岐神社や、『義経記』では、義経と五条天神境内で闘う印地大将湛海が住した北白川の鎮守、北白川天神宮も少彦名命を祀る神社でした。

京の人々が都の平穏を願って執り行う祇園祭(祇園御霊会ごりょうえ)は、日本を代表する夏祭り。祟り・災禍をもたらすと信じられていた死者の霊魂(怨霊)を鎮め、そのことによって逆に、怨霊の威力を借り、祟り・災禍を打ち負かすことを期待した御霊信仰にもとづいた祭礼です。先に瀬田氏が指摘されたように、祇園社と密接な関係を有する五条天神社も(由岐神社や北白川天神宮を含めて)、都の祟り・災禍を取り払う一連の儀式のなかで、きわめて重要な役割を担っていたと考えられます。

ところで、先ほど提示した県別ベストテンで第1位となった茨城県には、たいへん興味深い神社があります。それは、、那珂湊なかみなと市(現ひたちなか市)の、酒列磯前さかつらいそざき神社と、東茨城郡大洗おおあらい町の大洗磯前神社です。少彦名命と大己貴命を祀るこの両社は、いずれも『延喜式』神名帳に記載され、常陸国28座のうちとして酒列磯前は「酒列(烈)磯前薬師菩薩神社」、大洗磯前神社は「大洗磯前薬師菩薩(明)神社」とみえます。両社ともに、その鎮座地は東方に海(太平洋)を望む崖上にあり、酒列磯前神社は参道に茂る椿の並木、大洗磯前神社は岩礁に建つ神磯の鳥居でつとに知られます。

碩学西郷信綱氏は「古代的宇宙コスモスの一断面図」(『古代人と死』平凡社選書・1999年、平凡社ライブラリー・2008年)で、大祓おおはらえと薬師経・薬師、悔過けかとの関連性に言及しながら、この大洗磯前神社についても以下のように触れています。なお、〈薬師悔過〉とは「薬師如来を本尊として、その仏前で罪過を懺悔して薬師経を講讚する行事」(日国オンライン)です。

「……だがスクナヒコナと薬師如来との結びつきは、たんにクスリシである点だけにとどまらない。例えば常陸国鹿島郡の式内社・大洗磯前イソザキ薬師菩薩神社の縁起は次のようにいう。(中略)この縁起にはいろんな要素が絡んでいるが、もっとも肝腎なのは薬師如来が東方の浄瑠璃世界の教主であった点だ。(中略)ヒタチの原義は「日立」、すなわち日が東から立ちのぼる意であろう。それが薬師に結びつく一方で、スクナヒコナをも喚起したのである。古事記によるとスクナヒコナは海のかなたからやって来て、大国主と力をあわせ国造り終えたあと常世の国に渡ったという。この常世の国がどこにあるか、むろん特定できぬが、それはどうやら東の海のかなたにあるとされていたらしい……」と。

古代・中世に生きた私たちの祖先は、身に降りかかる災禍をできうるかぎり小さくしようと、さまざまな工夫を凝らしました。御霊信仰・天神信仰や薬師信仰、そして大祓なども、こうした工夫が生み出した信仰・儀礼の一つといえるでしょう。少彦名命への信仰は、ある地域では薬師菩薩神社に、またある地域では天神社・天神宮となって、それぞれの信仰世界の一翼を担ってきました。

今回取り上げた五条天神社も、都に降りかかる災禍が最小限であることを願うさまざまな人々に支えられ、祇園社や由岐神社・北白川天神宮などとともに、京都の祭礼・行事の世界〈コスモス〉において確たる役割を果たしてきたのだと思います。

東方に太平洋が開ける大洗磯前神社

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