日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第51回 花の名所は桜川(2)

2011年05月27日

先回は、茨城県には桜川さくらがわという名の河川が多いこと、その茨城県を流れる幾つかの桜川のうち、霞ヶ浦に注ぐ桜川の上流域にある真壁まかべ町・大和やまと村・岩瀬いわせ町の3町村が、平成17年(2005)10月に合併して桜川市(市名はもちろん桜川に由来)が誕生したことなどを記しました。そして、この桜川市にはその名にふさわしく「花の名所」や「桜にまつわる旧跡」があるのか? というところで話は終わりました。
で、実際のところは……? じつは、茨城県の桜川市は、かつては西の吉野山と並び称されるほどの「花の名所」でした。

JK版「東洋文庫」で閲覧できる「八代集」所載の「後撰和歌集」には、「桜川といふ所ありときゝて」と詞書して「つねよりも春へになれはさくら川なみの花こそまなくよすらめ」(常よりも春べになれば桜川 波の花こそ 間なく寄すらめ)と詠じた紀貫之の歌が見えます。では、貫之が聞き及んだ「桜川」はどこを流れていたのか?

「五大集歌枕」「和歌初学抄」「八雲抄」など、のちの歌学書では、「川」の歌名所である「桜川」を、いずれも常陸国(現在の茨城県)とみなしています。先に常陸国=茨城県には幾つもの桜川が流れている、と述べましたが、その後の経緯などを考え合わせると、平安時代前期の歌人貫之が聞き及んだ「桜川」は、現在の桜川市を流れ下って霞ヶ浦に注ぐ桜川のことと考えるのが妥当と思われます。

中世になると、現桜川市磯部いそべ地区(旧岩瀬町磯部地区)を舞台とした謡曲「桜川」がつくられます。この謡曲は「隅田川」などと並んで、「女物狂い」(「能で、女性の物狂いを主人公とする曲」=デジタル大辞泉)の代表作の一つに数えられています。JK版「日本歴史地名大系」によれば、磯部大明神(現在の磯部稲村神社)の神職が、関東管領足利持氏に「花見物語」という話を献上し、持氏に命じられた世阿弥元清が「花見物語」を元に完成させたのが謡曲「桜川」といいます。

江戸時代も引き続き桜川は花の名所として知られました。元禄7年(1694)には前の水戸藩主黄門徳川光圀が観桜に訪れ、また、寛延3年(1750)には、当地の桜30本が江戸城内の庭に植樹されました。江戸近郊の花の名所として知られた玉川上水小金井こがねい橋付近の桜並木(世にいう「小金井桜」)も、18世紀前半、8代将軍吉宗の代に川崎定孝(武蔵野新田世話役)が「桜川街道」などの桜を移植したのが始まりといいます(以上、JK版「日本歴史地名大系」など)。JK版「江戸名所図会」は小金井桜(名所図会では「金井橋」の桜並木)について、「和州吉野山よしのやまおよび常州桜川さくらがわ等の地より、桜の苗をゑらるるところにして、その数およそ一万余ちゆうありしとぞ」とみえます。

近代に入ると、大正13年(1924)には磯部稲村神社近くの桜並木が国の名勝に指定されます。さらに、第2次世界大戦後の昭和49年(1973)には同じ桜並木が国の天然記念物に指定されました。筆者が先述した「その後の経緯」とは、ここまで記述してきたような経緯のことで、貫之など、平安時代の都人にも広く知れわたっていた「桜川」は、霞ヶ浦に注ぐ桜川ではないかと推測した次第です。

しかし、戦後の高度経済成長期を境として桜川(磯部)の桜は、その名声に陰りがみえはじめます。この凋落について筆者は、ソメイヨシノの普及と反比例の関係にあるのでは? と疑っています。ソメイヨシノは明治初年に、植木職人が集住していた東京の染井そめい地区(現在の豊島区駒込のうち)で誕生した園芸品種。誕生後、ソメイヨシノは急速に全国に広まり、現在の花見の名所といえば、ソメイヨシノが主体の桜並木がほとんどです。今では多くの人々が抱いている、葉が出るより先に一斉に開花し、すぐに満開となり、あっというまに散り終わる、という桜のイメージは、じつはソメイヨシノの姿です。

先回あげたランキングベスト20でも、ソメイヨシノを主品種とする桜並木が過半数を占めています。ただし、ランキングの上位のなかでは「吉野山」「嵐山」「醍醐寺」などはヤマザクラ、通り抜けの「造幣局」(品種でいうと100品種以上)や「仁和寺」はサトザクラが主体と、ソメイヨシノ以外のサクラも大健闘。また、岐阜県根尾谷ねおだにの淡墨桜や福島県三春みはるの滝桜など、著名な桜の古木・巨木はシダレザクラ(エドヒガンの枝垂性品種)がほとんどです。

広く知られたことですが、全国各地のソメイヨシノは1本の親木から接ぎ木によって増えていった、いわばクローンのサクラ。そのことが先述の「一斉に開花」する特徴を際立たせているともいえます。園芸にくらい筆者にはよくわからないのですが、ヤマザクラなどの自生種と比較すると、ソメイヨシノは育成や維持管理が容易なのでしょうか、各地でソメイヨシノがもてはやされる一方、ヤマザクラなどの自生種を中心とした従来の「花の名所」の地位は、相対的に低下してしまったように思えてなりません。

下千本から始まり、 中千本・上千本・奥千本と約1か月をかけて染め上がってゆく吉野山の桜は、吉野の里人が長い年月にわたり手入れを続けた桜です。桜川の桜も代々の磯部稲村神社住職をはじめとする地域の人々が見守ってきた桜。しかし、高度経済成長期以降は少し手間暇を惜しんだようで、荒廃が進みました。

でも、桜川市の誕生をきっかけに、地元の桜川市岩瀬商工会は「サクラサク里プロジェクト」を発足させました。同プロジェクトは、磯部の桜並木の保護育成に力を注いでいます。そればかりではなく、桜川の最上流域にあたる周辺の山々に自生する桜の手入れやハイキングコースの整備、展望台の設置などもあわせて推し進めています。復活した桜の里は、近年、再び注目を集めるようになり、今年は、某高級婦人グラビア雑誌(4月号)が大々的な特集を組んで、山々がほのかな紅色に染まる、桜川の美しい春の風景を紹介しました。あるいは、来年の花見時、桜川一帯の道路は乗用車であふれ返り、渋滞となるかもしれません。

桜の里が復活した磯部地区。周辺の山々に自生する桜の手入れも進んでいる。

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ところで、JK版「日本国語大辞典」で「さくらがわ=桜川」をひくと、その語義の第1として「桜の花びらを一面に浮かべている川」、第2として「川ぞいに桜の咲く川」があげています。「桜の花びらを一面に浮かべている川」「川ぞいに桜の咲く川」……どちらも美しい情景が目に浮かびます。そこで、JK版「日本歴史地名大系」の個別検索で「桜川」と入力して全文検索をかけてみました。すると383件がヒット。これを手掛かりとして、主な桜川(先回あげた茨城県を流れる河川は除きました)を南から順にあげますと、次表のようになります。

全国の桜川一覧

桜川の流域市町村所属する水系
熊本県水俣市久木野川(水俣川水系)の支流
長崎県平戸市生月島(東シナ海に注ぐ)
福岡県福津市西郷川の支流
高知県須崎市(須崎港に注ぐ)
香川県多度津町(多度津港に注ぐ)
岡山県岡山市旧建部町地区旭川の支流
石川県七尾市御祓川の分流(七尾南湾に注ぐ)
佐渡市旧相川町地区(日本海に注ぐ)
群馬県川場村薄根川(利根川水系)の支流
栃木県市貝町小貝川(利根川水系)の支流
福島県三春町・郡山市阿武隈川の支流
山形県小国町明沢川(荒川水系)の支流
宮城県松島町高城川(人工河川)の支流

ここにあげた桜川のすべてが、「桜の花びらを一面に浮かべている川」であったり、「川ぞいに桜の咲く川」であるとは限らないでしょう。しかし、幾つかの川は、春になれば上流の山々や岸辺に満開の桜が咲き誇り、やがて川面いっぱいに花筏を浮かべ、薄紅色に染まりながら流れ下る桜川だと思います。ちょうど、霞ヶ浦に注ぐ「桜川」がそのことで名付けられたように。その場合、上流の山々や岸辺を色染める桜の品種は、きっとソメイヨシノではなく、ヤマザクラやサトザクラなど、地域の人々に見守られてきた自生種に違いないでしょう。

 

(この稿終わり)