日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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ベートーベン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ドイツの作曲家。盛期古典派から初期ロマン派への転換期に56歳の生涯を送ったベートーベンは、古典派音楽様式を極点にまで高めるとともに、19世紀の音楽家たちにとっての偶像的な存在となり、後世に無限の広範な影響を与えた。[中野博詞]▲生涯フランドルから移住
ライト兄弟(日本大百科全書・世界大百科事典)
兄ウィルバーWilbur Wright(1867―1912)、弟オービルOrville Wright(1871―1948)。アメリカの発明家。人類初の動力飛行機を開発した。オハイオ州デイトンで自転車製造販売業を営み、かなりの成功を収めていたが、1896年ドイツ人リリエンタールがグライダーの墜落で死亡
初夢(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新しい年を迎えて初めてみる夢。その吉凶で年間の運勢を判断する「夢占(ゆめうら)」の習俗は古く、以前は節分の夜(立春の朝)の夢を初夢としたが、暦制の関係から除夜や元日の夜に移り、やがて「事始め」の正月2日の夜の夢に一定したらしい。すでに室町時代には正月
大晦日(国史大辞典・日本大百科全書・日本国語大辞典・日本の歳時記・日本方言大辞典)
大晦日と書く。年越(としこし)、大つごもり、大年(おおとし)などともいい、1年の最後の日。今日では、商家でも一般家庭でも、新年を迎える準備に忙しいが、本来、1日が夕方から始まるという思想から考えると、この日の夕方からは、新年を意味するものであった
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。10段。近松半二、近松加助合作。1783年(天明3)4月大坂・竹本座初演。1634年(寛永11)荒木又右衛門(またえもん)が義弟渡辺数馬(かずま)を助けて舅(しゅうと)の仇(あだ)河合又五郎を討った事
網模様燈籠菊桐(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。5幕。河竹黙阿弥(もくあみ)作。通称「小猿七之助(こざるしちのすけ)」。1857年(安政4)7月江戸・市村座で4世市川小団次の七之助、4世尾上(おのえ)菊五郎の滝川(たきがわ)により初演。深川の網打ち七五郎の長男七之助は
大石良雄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
赤穂(あこう)浅野(あさの)家の家老。代々家老で内蔵助(くらのすけ)と称し家禄は1500石。いわゆる赤穂事件で吉良邸討入りの首領となり、名を知られた。1701年(元禄14)浅野長矩(ながのり)が江戸城中で刃傷(にんじょう)事件を起こし、改易
カミュ(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
フランスの作家、思想家。11月7日、当時フランスの植民地であったアルジェリアの旧コンスタンティーヌ県サン・ポール農場で生まれる。父親リュシアンLucienAugusteCamus(1885―1914)は農場労働者、母親カトリーヌ・サンテスCather
ロダン(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの彫刻家。生気に満ちた写実主義、モニュメンタルな表現性、象徴主義的なテーマ、彫刻を量塊(マッス)としてとらえ、その動きと表現的な肌によって周辺空間と関連させる手法などにより、19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術
ドストエフスキー(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
ロシアの小説家。トルストイと並んで19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。「魂のリアリズム」とよばれる独自の方法で人間の内面を追求、近代小説に新しい可能性を開いた。農奴制的旧秩序が資本主義的関係にとってかわられようとする過渡期のロシアで、自身が時代の
太陽暦(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
季節を調節してゆくため一太陽年だけを基本用数として日を数える暦法。生活に密接に関係する季節は太陽が天球の赤道の南にあるか北にあるか、いいかえればいつ春分点に再帰するかによって決まるから、太陽年(回帰年)の長さ365.242199日は太陽暦の基本周期で
学問のすゝめ(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
福沢諭吉が著した明治初期のもっとも有名な啓蒙(けいもう)書。初編は1872年(明治5)刊行されたが、非常な評判をとったのでシリーズ化し、76年刊の第17編まで続いた。発行部数あわせて340万といわれ、当時のベストセラー。初編冒頭の人間平等宣言
新花摘(日本大百科全書・世界大百科事典)
蕪村(ぶそん)晩年の句文集。外題(げだい)「新華摘(しんはなつみ)」。1777年(安永6)に成り、作者没後の1784年(天明4)冊子を横巻(おうかん)とし呉春(ごしゅん)(松村月渓(げっけい))が挿絵7葉を描き入れた。1797年(寛政9)この自筆原本
江戸生艶気樺焼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
黄表紙。1785年(天明5)刊。山東京伝(さんとうきょうでん)作、自画。書名は江戸名物のうなぎの蒲焼きのもじり。百万長者仇気屋(あだきや)のひとり息子艶二郎(えんじろう)は、醜男(ぶおとこ)ながらうぬぼれが強く、色男の評判をとりたくて、芸者に50両を
天邪鬼(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
昔話や伝説に登場してくる想像上の悪者。妖怪(ようかい)とも精霊とも決めがたい。他人の心中を察することが巧みで、口まね、物まねなどして、人の意図に逆らったり、すなおでないのだが、屈服されたりもする。昔話「瓜子姫(うりこひめ)」では、姫を誘拐し着物を
助六由縁江戸桜(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)劇。時代世話物。1幕。通称「助六」。歌舞伎十八番の一つ。侠客(きょうかく)花川戸(はなかわどの)助六実は曽我(そが)五郎は、宝刀友切丸(ともきりまる)詮議(せんぎ)のため吉原へ入り込み、愛人の三浦屋揚巻(あげまき)に横恋慕する金持ちの
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭(にいなめのまつり)の後にくる辰(たつ)の日に行う饗宴(きょうえん)で、新穀供御の神事。その年の稲を神に供え、天皇が初めて召し上がる日でもある。天皇が豊楽院(ぶらくいん)あるいは紫宸殿(ししんでん)に出御し、皇太子以下群臣に酒などを賜り
新嘗祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
稲の収穫を祝い、豊穣(ほうじょう)を祈る式典。「しんじょうさい」ともいう。その年の新穀を天神地祇(ちぎ)に献供するとともに、天皇自ら食す行事で、宮中神嘉殿(しんかでん)で行われた。11月の中または下の丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)の日に
秋祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
秋の収穫感謝祭。秋ということばは飽食(あきぐひ)の祭りからきているという。春からの農耕を助け稲田を守ってくれた田の神に収穫を感謝し、新穀でつくった神饌(しんせん)、神酒でもてなすのが秋祭である。旧暦の10月をカンナヅキとし神無月などと書いて
信教の自由(日本大百科全書・世界大百科事典)
宗教を信仰し、宗教上の行為を行う自由。宗教の自由ともいう。信教の自由は、宗教的権威から人間精神を解放することにより、近代の精神的自由の確立に大きな役割を果たした。また、信教の自由は、人間の魂の救済にかかわる自由として、精神的自由の源をなし、近代以来の
平安京(国史大辞典・日本歴史地名大系・日本大百科全書)
〔後院の創始〕こうした清涼殿の建替えの事例が僅少なのは、生存中に譲位した天皇が多く、譲位すれば内裏を去ったことによる。その場合、平城京では宮内のしかるべき建物に住んだのに対して、平安京では内裏外に譲位後の上皇の御所が設けられた。これを後院(ごいん)と
中原中也(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
詩人。明治40年4月29日、山口県吉敷(よしき)郡山口町下宇野令(しもうのりょう)村(現山口市湯田温泉1丁目)に陸軍軍医の父柏村謙助、母フクの長男として出生。満8歳のとき、謙助がフクの原籍中原の人となり、湯田で医院を開業していた政熊・コマ夫妻との養子
尾崎紅葉(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。本名徳太郎。「紅葉」は、生地、東京・芝紅葉山(もみじやま)にちなむ。ほかに縁山(えんざん)、半可通人(はんかつうじん)、十千万堂(とちまんどう)などの別号がある。江戸・芝中門前町に、慶応(けいおう)3年12月16日生まれる(太陽暦では1868
六歌仙(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古今(こきん)和歌集』の序文で「近き世にその名聞えたる人」として批評された、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)法師、小野小町(おののこまち)、大伴黒主(おおとものくろぬし)
日米和親条約(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期、日本の欧米諸国への開国の起点となったアメリカとの最初の条約。神奈川条約ともよばれる。日本側全権は林韑(あきら)(儒役)、井戸覚弘(さとひろ)〔町奉行(ぶぎょう)〕、伊沢政義(浦賀奉行)、鵜殿長鋭(うどのながとし)(目付)、アメリカ側全権は
南京条約(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
アヘン戦争の結果、1842年8月、南京前面の揚子江(ようすこう)上のイギリス艦コーンウォリス号で清(しん)・イギリス間に結ばれた条約。江寧(こうねい)条約ともいう。そのおもな内容は、(1)香港(ホンコン)の割譲、(2)広州、厦門(アモイ)、福州、寧波
アヘン戦争(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1840~1842年、イギリスと中国(清(しん))との間に行われた戦争。中国の半植民地化の起点となった。▲原因18世紀後半以来、産業革命を進めていたイギリスは、広州(こうしゅう/コワンチョウ)1港に限定して行われていた中国貿易に対しても、積極的に市場
天保の改革(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代後期の天保年間(1830~44)に、幕府・諸藩によって行われた諸方面にわたる改革の総称。幕政の改革としては、享保(きょうほう)の改革、寛政(かんせい)の改革とともに三大改革の一つとされる。[津田秀夫]▲幕政の改革19世紀初頭以来、全国各地の
七月革命(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
1830年7月、フランスにおいてブルボン復古王政が倒された革命をいう。[服部春彦]▲革命の原因1825年ごろからシャルル10世の露骨な反動政策に対して国民各層の不満が深まり、27、28年の経済不況がそれをいっそう激化させた。27年の下院選挙では反政府
ウィーン会議(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナポレオン戦争の戦後処理を行った国際会議。ナポレオン退位から5か月後の1814年9月に始まり、15年6月9日の最終議定書調印によって終わった。この会議にはほとんどヨーロッパ中の君主や統治者が参集したが、実際にはオーストリア、プロイセン、ロシア
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