改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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范寛(世界人名大辞典・世界大百科事典)
中国,北宋初期の山水画家。生没年不詳。本名は中正,字は中立。華原(陝西省耀県)の人。天聖年間(1023-31)になお在世した。当時〈真〉と呼ばれた写実に最も留意し,山林に分け入って自然を徹底的に観察した。その結果,高遠形式,雨点皴,山頂の灌木林などを

食糧自給率(世界大百科事典)
ある国の食糧の総消費のうち,国内で生産されるものの比率。自給率にはまず各品目別の自給率がある。これは米なら米の総消費量(国内消費仕向け量)で国内生産量を割った数値である。次によく利用されるのは穀物自給率であり,米,麦,飼料穀物などの穀物の総量について

巨人伝説(日本大百科全書・世界大百科事典)
世界各地の神話や民間伝承に登場する,異常に大きな体をもち超人的な能力を発揮する存在。通常の人間の支配の及ばない自然界のできごとや自然物の創造などに関連づけられることが多い。始源の過去や,あるべき秩序がこの世に現れる以前の混沌とした状態を象徴し,秩序を

浜下り(日本大百科全書・世界大百科事典)
海浜や河辺に行ってみそぎをすることをいう。水には一般にいっさいの罪や穢(けがれ)を洗い流す浄化力があると考えられ,とくに塩を含有した潮水は強い浄化力をもつとされた。祭りや神事を前に神官などの祭りの奉仕者が浜降りをしたり,潮水で家の周囲や神棚を清める風

風流踊(改訂新版 世界大百科事典)
趣向をこらした扮装の者たちが,集団で笛・太鼓・鉦(かね)・鼓などの伴奏にあわせて踊る踊り。歌は室町時代後期から近世初期にかけて流行した小歌を,数首組歌にして歌う場合が多い。現在風流踊は民俗芸能として,太鼓踊,カンコ踊,神踊(かみおどり)

天神祭(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
天神をまつる神社(天満宮)で行われる祭り。菅原道真の命日である25日を祭日とするものが多い。現在一般に,天満宮は菅原道真を祭神とし,学業の神として信仰されているが,天の神としての天神信仰はより古くからあり,天神祭の内容は必ずしもすべてが道真と結びつけ

蘇民将来(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
護符の一種。晴明判(魔よけの星象)や〈蘇民将来子孫〉などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で,房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。正月に,牛頭天王(ごずてんのう)と縁の深い京都の八坂神社はじめ,信濃国分寺八日堂,愛知の

万歳(世界大百科事典)
民俗芸能。祝福芸,門付芸(かどづけげい)の一つ。正月に家々の座敷や門口で予祝の祝言を述べたてるもので,〈千秋万歳(せんずまんざい)〉の末流と考えられる。平安時代後期成立の《新猿楽記》には〈千秋万歳之酒禱(さかほがい)〉と見え,千秋万歳はこのころすでに職能として存在

アカマタ・クロマタ(世界大百科事典・日本大百科全書)
八重山群島西表(いりおもて)島の古見を中心とする村々で旧6月におこなわれる豊年祭〈プール〉に登場する仮面仮装の神。野生の草木におおわれた全身を微細なリズムに揺らしつつ森の奥深くから村の中に立ち現れるこの仮面神の祭祀には,一定の通過儀礼をへた成人男子

おせち料理(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
おせちともいう。〈おせち〉〈せち〉は節供(せちく)の略で,もともとは節日,物日の儀式的な食物をいったが,節供の語が節日の意に用いられるようになって,〈御節料理〉の語が発生したものと思われる。また,節日のうち最も重要なのが正月であることから,正月料理を

雨月物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
溝口健二監督の映画。1953年製作。《西鶴一代女》の1952年ベネチア映画祭国際賞受賞に次いで翌年同映画祭銀獅子賞を受賞し,溝口の名を国際的に高めた。上田秋成の《雨月物語》の中の〈浅茅が宿〉と〈蛇性の淫〉に,モーパッサンの短編小説《勲章》を加えて川口

ライン川(世界大百科事典)
Rhein[ドイツ]Rhin[フランス]Rijn[オランダ]アルプスに源を発し,北海に注ぐ中部ヨーロッパの河川で,西部,中部ヨーロッパではドナウ川に次ぐ流量を誇る。ドイツでは〈母なるドナウ〉と対照的に〈父なるラインVater Rhein〉と呼ばれ

アロサウルス(世界大百科事典)
1877年O.C.マーシュによって命名された肉食恐竜で,Allosaurus fragilisが標式種である。アメリカの北西コロラド,南東ワイオミング,東部ユタなどジュラ紀キンメリッジ期の地層から産出している。クリーブランド・ロイド動物群では鳥盤目のカンプトサウルス,ステゴサウルス

お練り(御練)(改訂新版 世界大百科事典・日本国語大辞典)
神輿(みこし)などを中心とした祭礼行列や,仏事における菩薩の行道(ぎようどう)をいう。練物,邌物(ねりもの)などとも称す。祭礼行列には意匠を競った風流(ふりゆう)の山車(だし),屋台,山鉾,傘鉾,車楽(だんじり)などや,仮装の一団が付随する

山車(国史大辞典・世界大百科事典)
祭礼に際して,神輿とは別に,人形,花などの風流(ふりゆう)(装飾)を凝らして,ひいたり担いだりする屋台の総称。柳田国男のいう〈見せる祭り〉を構成する中心的な装置となっている。京都祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾は,その代表的なものである。ほかに,だんじり

からくり(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
ぜんまい,ばね,歯車,水,砂などを使って人形や道具を自動的にあやつり動かす仕掛け。絡繰,璣,機械,機関,機巧などの漢字が当てられる。今で言う自動機械あるいは自動装置のことで,西洋ではオートマタautomata(〈自ら動くもの〉の意。単数形

民俗芸能(国史大辞典・世界大百科事典)
民族それぞれの社会生活の中で,住民みずからが演者となって伝承してきたきわめて地域性の濃い演劇,舞踊,音楽の類をいう。いずれも,地域の生活・風土と結びついて伝承されるものだけに郷土色が濃く,そのため日本では郷土芸能,郷土芸術などと呼ばれる。この種の芸能

田楽(国史大辞典・新版 能 狂言事典・改訂新版 世界大百科事典)
広義には稲作に関する芸能の総称として用いるが,狭義には田楽躍(おどり)を本芸とする職業芸能者が演じる芸能をいう。また田植の囃しや田楽躍に用いる太鼓を称する場合もある。広義の田楽は,(1)田植を囃す楽,(2)職業芸能者である田楽法師による芸能

歎異抄(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
親鸞の語録。1巻。編者は親鸞門弟の常陸国河和田の唯円(ゆいえん)。親鸞没後の真宗教団において,師説にそむく異端の発生を嘆き,誤りをただして正統を示し,念仏者の不審を明らかにしようとしたもの。前後に序文と結びの文をもつ18章の短文で構成され,前半10章

吉田茂(国史大辞典・世界大百科事典)
第2次大戦後の占領体制下における日本の保守政治を代表する政治家。土佐自由党の士竹内綱(たけのうちつな)の五男として東京に生まれる。幼時に貿易商吉田健三の養子となる。自由民権の志士であり自由党の幹部であった竹内綱が実父であったこと,イギリスと関係の深い

マッカーサー(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
アメリカの軍人。陸軍軍人の家庭に生まれた。1903年ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業後,父の任地がフィリピン,日本であった関係から,最初の任地をフィリピンとしたのち,駐日アメリカ大使館武官の副官として来日するなど,極東の事情に詳しい経歴をもつ

山本五十六(世界大百科事典)

犬養毅(国史大辞典・世界大百科事典)
政党政治家。備中国(岡山県)庭瀬藩の郷士の家に生まれる。通称は仙次郎,木堂と号した。1875年上京,翌年慶応義塾に入学。《郵便報知新聞》記者として西南戦争に従軍した。慶応義塾を中退し,80年朝吹英二,豊川良平とともに《東海経済新報》を発刊,保護貿易論

原敬(国史大辞典・世界大百科事典)
明治・大正期の政治家。盛岡藩重臣の次男。1871年(明治4)上京してカトリックの神父の学僕となり苦学。76年司法省法学校に入学,79年〈賄(まかない)征伐〉で退校,改進党系の《郵便報知新聞》記者となる。82年官僚派の《大東日報》主筆に転進。井上毅

尾崎行雄(国史大辞典・世界大百科事典)
日本近代の代表的自由主義政治家。号は咢堂。相模国又野村(現,神奈川県相模原市)出身。慶応義塾中退後新聞記者となり,1882年立憲改進党創立に参画。87年の三大事件建白運動では,保安条例による東京退去処分を受けた。90年第1回総選挙に三重県から当選

西園寺公望(国史大辞典・世界大百科事典)
明治,大正,昭和3代にわたり首相,元老として天皇制政権の中枢にあり,立憲主義の確立,維持に努めた公卿出身の政治家。右大臣徳大寺公純の次男で,幼時に西園寺家を継いだ。ともに摂家につぐ清華の家柄である。王政復古にあたり参与に任じられ,戊辰戦争では山陰道

田中正造(国史大辞典・世界大百科事典)
足尾銅山鉱毒反対運動の指導者,政治家。下野国安蘇郡小中村(現,佐野市)に生まれ,19歳で名主。領主六角家の改革運動に成功したが,入牢,追放処分を受ける。30歳のとき江刺県の分局(現,秋田県鹿角市)の下級官吏となるが,上司暗殺の冤罪(えんざい)事件で

北里柴三郎(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
明治・大正期の細菌学者。肥後国阿蘇郡北里村に生まれ,1869年(明治2)藩校時習館に学び,熊本医学所を経て75年東京医学校に入学,同校後身の東京大学医科大学を83年に卒業し,翌年内務省衛生局東京試験所に勤務。85年ドイツに留学。R.コッホに師事し細菌

東郷平八郎(世界大百科事典)
明治・大正期の海軍軍人,元帥。薩摩藩士の家に生まれ,薩英戦争,戊辰戦争に参加,1871年(明治4)イギリスに留学,78年帰国して海軍中尉に任官,90年呉鎮守府参謀長,日清戦争時は浪速艦長,95年以降常備艦隊司令長官,舞鶴鎮守府司令長官となり,1903

小村寿太郎(国史大辞典・世界大百科事典)
明治期の外交官。宮崎の生れ。大学南校をへて第1回文部省留学生としてアメリカ留学。大審院判事をへて1884年外務省に転じたが,杉浦重剛ら国権論者とともに大隈重信外相の条約改正交渉に反対した。翻訳局長から臨時代理公使として清国に勤務し,日清開戦の方向に