改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第72代に数えられる天皇。在位1072-86年。後三条天皇第1皇子。母は藤原公成女(同能信養女)茂子。諱(いみな)は貞仁。1065年(治暦1)元服。69年(延久1)東宮。72年12月即位。翌年父上皇没。また摂関家の重鎮であった前関白藤原頼通

後三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
第71代に数えられる天皇。在位1068-72年。後朱雀天皇第2皇子,母は太皇太后禎子内親王(陽明門院)。諱(いみな)は尊仁。1045年(寛徳2)異母兄親仁親王(後冷泉天皇)即位に際し東宮となる。摂関家は直接外戚関係のない尊仁の立太子を喜ばず

三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
第67代に数えられる天皇。在位1011-16年。冷泉天皇第2皇子,母は女御超子(藤原兼家の女)。諱(いみな)は居貞。986年(寛和2)7月従弟の一条天皇即位に際し元服,立太子。1011年(寛弘8)危篤の一条天皇の譲位をうけた。天皇は執政の左大臣道長と

花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第65代に数えられる天皇。在位984-986年(永観2-寛和2)。諱(いみな)は師貞(もろさだ),僧名入覚。花山院とも。冷泉天皇の第1皇子。母は藤原伊尹(これただ)の娘懐子(かいし)。969年(安和2)立太子。以後叡山・熊野等を巡歴,修行を積み

村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代に数えられる天皇。在位946-967年。父は醍醐天皇,母は皇后穏子(おんし)(藤原基経女)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。誕生の年に親王,940年(天慶3)元服,944年東宮,946年同母兄朱雀天皇が譲位して即位。治世の初めに関白忠平が没

醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第60代に数えられる天皇。在位897-930年。父は宇多天皇,母は女御胤子(藤原高藤女)。諱(いみな)は敦仁。893年(寛平5)立太子。897年に元服,即位。治世のはじめは父上皇の意志で藤原時平,菅原道真が並んで補佐の任にあったが,まもなく道真は

宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間(八七七―八五)侍従となり王侍従と称された。同八年四月十三日

陽成天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
第57代に数えられる平安前期の天皇。在位876-884年。清和天皇の第1皇子。母は藤原長良の娘で,基経の妹にあたる高子。諱(いみな)は貞明。869年(貞観11)に皇太子に立てられ,876年清和天皇退位のあと9歳で践祚。基経は引き続き摂政として政治の

清和天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
第56代に数えられる天皇。在位858-876年。文徳天皇と藤原良房女の女御明子との間に生まれ,名を惟仁(これひと)という。祖父仁明天皇と曾祖母の太皇太后橘嘉智子の相つぐ死によって,生後わずか9ヵ月で父文徳天皇の皇太子となり,さらに文徳天皇の急死に

文徳天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第55代に数えられる平安前期の天皇。在位850-858年。名は道康。仁明天皇を父とし,藤原冬嗣の女順子を母として生まれた。842年(承和9),嵯峨上皇の死を機として起こった承和の変によって皇太子恒貞親王が廃されたため,皇太子に立てられ,850年

仁明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八三三―五〇在位。弘仁元年(八一〇)、嵯峨天皇の第一皇子として誕生。母は橘清友の女嘉智子。諱は正良(まさら)。弘仁十四年四月、叔父にあたる淳和天皇の皇太子に立った。時に十四歳。天長十年(八三三)二月二十八日

淳和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第53代に数えられる天皇。在位823-833年。桓武天皇と妃藤原旅子との間に生まれ,名を大伴という。異母兄の嵯峨天皇の譲位によって即位した。嵯峨上皇が大内裏に近い冷然院(冷泉院)にいて重きをなし,皇太子には嵯峨上皇の皇子正良親王(のちの仁明天皇)が

嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第52代に数えられる平安初期の天皇。在位809-823年。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(おとむろ)との間に生まれ,名を神野(かみの)(賀美能)という。同母兄平城天皇の病気による譲位をうけて即位。平城上皇が寵妃藤原薬子(くすこ)らとともに,多数の官人を

平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代に数えられる平安初期の天皇。在位806-809年。名は安殿(あて)。桓武天皇を父とし,藤原良継の女皇后乙牟漏(おとむろ)を母として生まれた。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継暗殺に連座して廃されたため皇太子となり,806年

桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第50代に数えられる天皇。在位781-806年。光仁天皇を父とし,高野新笠を母として生まれ,名を山部(やまべ)王といった。父は天智天皇の孫,施基(しき)皇子の子で白壁(しらかべ)王といい,天武系皇統の世に官人として仕え,大納言に昇ったが,770年

光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第49代に数えられる奈良後期の天皇。在位770-781年。天智天皇の孫,施基(志貴)皇子の第6子,母は紀諸人の女橡姫(とちひめ)。諱(いみな)は白壁,和風諡号(しごう)を天宗高紹(あまむねたかつぎ)天皇という。737年(天平9)無位から従四位下に

淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第47代に数えられる天皇。在位758-764年。天武天皇の皇子舎人(とねり)親王の第7子。母は当麻山背。諱(いみな)は大炊(おおい)王。立太子以前に藤原仲麻呂の長子真従(まより)の未亡人粟田諸姉(あわたのもろあね)を妻とし,仲麻呂の邸宅である田村第に

聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代に数えられる古代の天皇。在位724-749年。文武天皇の第1皇子。諱(いみな)は首(おびと),母は藤原不比等の女宮子。707年(慶雲4)6月文武天皇が25歳で夭折したとき,嫡長子ではあったがわずか7歳のため,祖母の元明,叔母の元正の両女帝が

文武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第42代に数えられる天皇。在位697-707年。本名は軽(珂瑠),和風諡号(しごう)は天之真宗豊祖父(あめのまむねとよおおじ)。天武天皇の孫。父は草壁皇子,母は阿閉皇女(のち元明天皇)。689年(持統3)7歳のとき皇太子であった父と死別。祖母の

天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第40代にかぞえられる天皇。在位673-686年。いわゆる白鳳時代,律令国家の形成を推進した。名は大海人(おおあま)皇子。舒明天皇の子,母は宝皇女(のちの皇極天皇),同母兄に中大兄皇子(天智天皇)がいる。生年は不明だが,天智より5歳年少の631年

天智天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
第38代に数えられる天皇。称制661-668,在位668-671。大化改新以後,律令体制成立期の政治を指導した。葛城(かつらぎ)皇子,また中大兄(なかのおおえ)皇子といった。舒明天皇の子,母は宝皇女(のちの皇極天皇)。異母兄に古人大兄

舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
7世紀前半の第34代に数えられる天皇。在位629-641年。名を田村皇子といい,和風諡号(しごう)は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)天皇。高市岡本宮天皇などともいう。敏達天皇の孫で押坂彦人大兄皇子の子,母は敏達天皇皇女の糠手姫(ぬかてひめ)

崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第32代に数えられる6世紀末の天皇。在位587-592年。《日本書紀》によれば,欽明天皇の皇子で母は大臣(おおおみ)蘇我稲目の女の小姉君(おあねのきみ),幼名を泊瀬部(はつせべ)皇子といった。587年用明天皇の死後,大臣蘇我馬子は大連(おおむらじ)

用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第31代に数えられる天皇。在位585-587年。欽明天皇の第4皇子,母は蘇我稲目の娘堅塩媛。大兄皇子といい,同母兄敏達天皇の死によって585年9月,磐余池辺双槻宮に即位。異母妹穴穂部間人皇女を皇后に立て,大臣蘇我馬子,大連物部守屋の補佐を受けたが

欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第29代に数えられる天皇。《古事記》《日本書紀》によると継体天皇の嫡子で母は皇后手白香(たしらか)皇女。異母兄の宣化天皇の死後をうけて539年に即位し,大和の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)におり,宣化天皇の女の石姫を皇后として敏達天皇を

継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
6世紀初めころの第26代に数えられる天皇。名はヲホドで,《古事記》に袁本杼命,《日本書紀》に男大迹王,《上宮記》の逸文に乎富等大公王などと書かれているが,隅田(すだ)八幡人物画像鏡の銘文にみえる男弟王を天皇の名に当てることには,音韻の上で難がある。

雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
5世紀後半の天皇。允恭天皇の子,母は忍坂大中姫。諱(いみな)はワカタケル(幼武,若建),宮は大和泊瀬朝倉宮。陵は河内丹比高鷲原(たじひのたかわしのはら)陵と伝える。記紀によると,治世中,天皇権力に干渉していた葛城臣,吉備臣など〈臣姓豪族〉を没落させ

垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
第11代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒコの名を持ち,実在を認められる4世紀の天皇である。記紀には皇后狭穂姫(さほびめ)を

崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
第10代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は,大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り,また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。

神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
《古事記》《日本書紀》に伝えられ初代の天皇とされる。高天原(たかまがはら)より天津神(あまつかみ)の子として地上に降臨した瓊瓊杵(ににぎ)尊の曾孫とされる。神武という名は8世紀後半の命名による漢風諡号(しごう)で,記紀には,(1)若御毛沼