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ウィリアム1世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
1027(28)~87.9.9イングランド王 [1066/87].ノルマンディー公ロベール1世(悪魔公)(Robert I le Diable †1035)の庶子.父が没するとノルマンディー公ギヨーム2世(Guillaume II)となり [1035-87],ハロルド2世がイングランド王に即位する [66]と,先王エドワード(証聖王)による
朱熹(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1130.10.18[建炎4.9.15]~1200.4.23[慶元6.3.9]中国南宋の思想家,儒者.一般に朱子と呼ばれる.本籍は徽州の婺源(ぶげん)だが,福建尤渓(ゆうけい)(現,福建三明)で生まれた.科挙に合格,地方官として各地をまわるが,地元の福建で教育と学問に携わる期間が長かった
インノケンティウス3世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
1160~1216.7.16ローマ教皇 [1198/1216].グレゴリウス7世の教権統治思想を踏襲し,教皇庁の強化および教皇領の失地回復を図った.ドイツの帝位争いにおいては [1198-],オットー4世を助けて,ローマで戴冠させた [1209]が,同帝が約束に反して
クビライ(世界人名大辞典・国史大辞典)
尊号:セチェン・カーンSečen Qaγan 諡号:聖徳神功文武皇帝 廟号:世祖〔漢〕忽必烈1215.9.23~94.2.18[世祖至元31.1.22]モンゴル帝国の第5代カーン(元朝皇帝) [1260/94].トルイの4男,チンギス・カンの孫,生母はソルカクタニ・ベキ.モンケがカーンに即位すると
トマス・アクィナス(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1225(-27)~74.3.7イタリアの盛期スコラ学最大の神学者,哲学者,聖人.アクィーノ伯家に生まれる.モンテ・カッシーノおよびナポリで教育をうけ,ドミニコ会に入った [1244].パリおよびケルンに赴き,主としてパリに滞在して [45-59],アルベルトゥス・マグヌスに師事
マルコ・ポーロ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1254~1324.1.8ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した
ダンテ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1265.5.21(-6.21)~1321.9.13(14)イタリアの詩人,哲学者.フィレンツェに生まれる.若い頃から詩人カヴァルカンティやチーノ・ダ・ピストイアらと交友があり,ラティーニに師事して修辞学を学ぶ.この頃イタリア語での詩作を始め,いくつかは《詩集:Rime》に収められている
イブン・バットゥータ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1304.2.24~68・9(77)アラブの大旅行家.モロッコのタンジール生まれ.21歳の時にマッカ(メッカ)巡礼に出立 [1325],エジプトに入り,アラビア半島,イラク,イラン,シリア,アナトリア,東アフリカ,南ロシア,コンスタンティノポリスを歴訪
浅草神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]台東区浅草二丁目浅草寺境内東側にある。旧郷社。祭神は隅田川から観音像(のち浅草寺本尊)を引上げたという檜前浜成命・檜前竹成命とそれを安置したという土師真中和(土師直中知)で、大国主命・東照宮などを合祀する。江戸時代末までは三社権現と称された
阿蘇神社(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
[現]一の宮町宮地宮地(みやじ)市街地の西方にあり、約一万坪の境内を有する。祭神は健磐龍命を主神とする阿蘇十二神。古代は式内社として、中世は肥後国の一宮として、近代は官幣大社としての伝統をもつ九州の名社。。現社殿は南面する三本殿・拝殿・楼門・回廊
阿仁鉱山(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
阿仁金・銀・銅山の総称。北流する阿仁川上流の両岸、標高五六二メートルの九両山の南・北・西麓、および標高七一〇メートルの芝森南・西麓一帯に分布する。板木沢・向・七十枚・小沢・萱草・二ノ又・真木沢・三枚・一ノ又・大沢・天狗平・黒滝・糠内・深沢の各鉱山を含む
イェーツ(世界大百科事典)
アイルランドの詩人,劇作家。ダブリンに生まれ,美術学校に進んだが,詩人となる決心を固めて退学。1887年,家族とともにロンドンに移り,世紀末文化のただなかに身を投ずることになる。W.ペーターやラファエル前派の作品を愛読し,W.モリスやO.ワイルドを
鹿鳴館(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治初期の国際的社交場として建てられた洋館。東京府麹町(こうじまち)区内幸(うちさいわい)町山下門の元薩摩(さつま)藩装束(しょうぞく)屋敷跡(千代田区内幸(うちさいわい)町、帝国ホテルの隣地)にあった。1879年(明治12)外務卿(きょう)に就任して
明石城下(日本歴史地名大系)
明石川河口に近い東岸の洪積台地(通称人丸山)上に築かれた明石城を扇の要とし、その南方に広がる明石海峡に至る東西約一二〇〇メートル・南北約七〇〇メートルの地域に開かれた城下町。〔城下町の成立と発展〕元和三年(一六一七)明石に入部して
富岡製糸場(国史大辞典・世界大百科事典)
明治初年に上野国富岡に設立された官営模範製糸場で、のち民間へ払い下げられた。政府は横浜の有力生糸輸出商社エッシュ=リリアンタル商会からの器械製糸場設立の申請を退けつつ、明治三年(一八七〇)二月にみずから模範製糸場を設立する方針を定め
京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]上京区京都御苑広義には大宮御所(なかに仙洞御所がある)をも含み、狭義には京都御所のみをいう。里内裏であった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)邸が、鎌倉最末期以来皇居とされていたものの後身で、仙洞御所と大宮御所は江戸初期に設けられた
松江城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
松江市殿町に中心部のある城。別称千鳥城。平山城。主要部のある丘陵はもと極楽寺山または亀田山と呼ばれ、戦国時代には富田城主尼子氏の出城である末次城があった。天文十二年(一五四三)に大内義隆が出雲に侵入した際、大内軍の一隊が当城を占拠し富田城攻撃拠点
松山城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
(一)松山市丸之内および堀之内に中心部のある城。平山城。松山平野の中央に位置する勝山(標高一三二メートル)は室町時代ごろまでは味酒山と呼ばれた。南北朝時代に伊予の南朝方が、北朝方で湯築城を居城としていた河野氏を攻略するに際して
渡月橋(日本歴史地名大系)
桂川(大堰川・保津川)に架かる橋で、嵐(らん)橋ともいう。承和三年(八三六)に僧道昌によって大堰(おおい)川の修築が行われたが(弘法大師弟子伝)、その時架設されたのに始まるともいう。橋の南に法輪寺があったため法輪寺橋・法輪橋の名もあり
尾形光琳(国史大辞典・世界大百科事典)
一六五八 - 一七一六 江戸時代中期の代表的な画家。祖父宗柏の代から東福門院の御服所を勤めていた呉服商雁金(かりがね)屋の当主宗謙の次男として、万治元年(一六五八)に京都で生まれる。名は惟富・伊亮・方祝、通称は市之丞、号を光琳(はじめ浩臨)
札幌農学校(日本歴史地名大系)
明治九年(一八七六)に札幌学校が改称して成立した札幌農学校は日本初の高等農業専門学校。現北海道大学の前身にあたり、明治五年に東京芝増上寺本坊内に開設された開拓使仮学校を嚆矢とする。明治五年一月開拓次官の黒田清隆は、北海道に農業・工業などの学校を
アマルナ文書(世界大百科事典)
中エジプトのアマルナ出土の楔形文字粘土板文書。前14世紀のオリエント世界の国際関係を知る重要な史料である。1887(一説には86)年一農婦によって偶然発見され,91年のピートリーの発掘によって,アテン大神殿の南,小王宮東の〈王の記録庫〉から出土した
釜石製鉄所(日本歴史地名大系)
[現]釜石市鈴子町西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野・大橋・栗林、佐比内(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した
イブン・ハルドゥーン(世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典)
イブン・ハルドゥーンIbn Khaldūn1332-1406イスラム世界を代表するアラブの歴史家。チュニス生れ。祖先は南アラブ系でセビリャの支配貴族であったが,13世紀半ばにチュニスに亡命した。幼くして諸学を修めた後,北アフリカ,イベリア半島の諸スルタンに仕え
芥川龍之介(国史大辞典・世界大百科事典)
一八九二 - 一九二七 大正時代の小説家。別号柳川隆之介・澄江堂主人。俳号我鬼。明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区(中央区)入船町に生まれた。父新原敏三は酪農業を営む進取の人だったが、生後七ヵ月で実母ふくが発狂したため
井上馨(国史大辞典・世界大百科事典)
一八三五 - 一九一五 明治・大正時代の政治家。幼名勇吉、または友次郎、一時聞多と称した。号は世外。天保六年(一八三五)十一月二十八日、周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田)の萩藩の地侍井上光亨の次男に生まれ、農耕に従事しながら幼少時代を過ごした
井上毅(国史大辞典・世界大百科事典)
一八四三 - 九五 明治時代前期の官僚・政治家。明治憲法・教育勅語などの起草者。幼名多久馬。梧陰と号す。天保十四年(一八四三)十二月、熊本城下竹部に生まる。父は熊本藩家老米田家の家臣飯田権五兵衛、慶応元年(一八六五)、同じ家中の井上茂三郎の養子となった
岩崎弥太郎(世界大百科事典)
明治前期の代表的実業家で,三菱財閥の創立者。土佐国安芸郡の地下(じげ)浪人の長男として生まれた。英才を見込まれて1853年(嘉永6)に江戸の安積艮斎に学び,帰国後,土佐藩の吉田東洋や後藤象二郎の知遇を得たが,反骨と直情のため逆境に落ち,新田開発や
近衛文麿(国史大辞典・世界大百科事典)
一八九一 - 一九四五 大正・昭和期の政治家。明治二十四年(一八九一)十月十二日公爵近衛篤麿の長男として東京に生まれた。同年実母衍子(前田慶寧三女)を、そして十四歳で父を失った。三十七年一月父の死とともに襲爵し、近衛家の当主となった
岸和田城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
大阪府岸和田市岸城町にあった。縄張りが滕(ちぎり)に似ているところから別称を千亀利城という。本丸・二ノ丸・三ノ丸と総曲輪からなる臨海の平城で、総面積約七万二千坪。建武年間(一三三四―三八)楠木正成に属した和田新兵衛高家が構えたのがはじまり
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