季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

盛夏―其の一【祭】

祭といえば、季語の世界では夏のものとされ、他の季節のものはそれぞれ春祭、秋祭と呼ばれる(冬祭というのは季語になっていない)。なぜ祭が夏のものかというと、単に夏に祭が多いというのだけが理由ではない。

現在でも、京都の葵祭(賀茂祭)と祇園会(祇園祭)は、日本の夏を彩る盛大な祭礼だが、まず葵祭は賀茂神社が京都では最上位、全国でも伊勢神宮に次ぐ格式をもった神社ということもあり、その祭はたいへんに重要なものとされ、平安時代には単に祭といえば、この葵祭をさしたほどだった。葵祭は官祭つまり国家行事として行われてきたので、平安の王朝風俗を今も色濃く残し、その華やかさは日本一といわれている。

葵祭は現在、5月15日に行われているが、祇園会(八坂神社の祭)は7月1日の吉府入りから10日の鉾建て、神輿洗い、16日の宵山、屏風祭、17日の山鉾巡行、24日の後の祭、花傘巡行、31日の夏越祭まで1ヶ月間も続く。クライマックスはなんといっても山鉾巡行。山鉾は山車(だし)の一種で、屋根に鉾や長刀を立てた豪華絢爛たる30数基の山鉾が、夜には提灯をつけて都大路を進む。祇園会の盛大な祭礼風俗は、全国にも波及し、祇園社や天王社が各地に勧進され、その数三千ともいわれる。それらの神社でもさまざまな祇園会が行われている。中でも博多の祇園山笠はよく知られている。このような盛大さや影響力の大きさから、祇園会は夏祭の代表とされるようになった。

江戸の方では、天下祭と呼ばれた山王祭(日枝神社)、神田祭(神田明神)や三社祭(浅草神社)も夏の祭として名高いが、この葵祭と祇園会の二大祭のために、祭は夏の季語とされるようになったと考えていいだろう。もう一つ、夏の祭が春や秋の祭と質の点で異なるということがある。

葵祭の起源は欽明天皇の頃、暴風雨の害が賀茂神の祟りと占いに出たため、馬に鈴をつけて賀茂神社へ走らせ、祭礼を行ったところ、風雨は止み、五穀もよく実ったという故事による。祇園会は清和天皇の頃、疫病が大流行したので、これを鎮めるために行った御霊会(ごりょうえ)が始まりだという。御霊というのはこの世に恨みや未練を残したまま他界したので、人間界に災厄を加える悪霊のこと。この荒ぶる御霊を鎮めるために行うのが御霊会である。つまりともに禊(みそぎ)、祓(はらえ)を目的とした祭なのである。

それに対して春祭や秋祭は農耕と結びつき、五穀豊穣を祈り、感謝する意味あいのものである。それでもしだいに夏祭も農村に受け入れられていったのは、農村固有の水神祭との結びつきがあったからである。

山下りてもんぺ鮮し春祭 石田波郷
友がきのみな死にたれば祭かな 松崎豊
石段のはじめは地べた秋祭 三橋敏雄

2001-07-16 公開