季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

初秋―其の一【天の川】と【七夕】

夏から秋へ季節が移る交叉(ゆきあい)の頃、澄みわたった夜空に天の川(銀河、銀漢)を見ることができる。数億以上の恒星が帯状に連なっているのだが、これは地球が属す太陽系が銀河系の円板部にあるので、円板面に沿った方向にたくさんの星が見えることによる。北半球では一年中、空にかかっているが、春は低く、冬は高いが光が弱く、ちょうど晩夏から初秋にかけてのこの頃、地平線と水平に天頂近くにくるので、特に鮮やかだ。

この天の川を挟んで、牽牛星(彦星)つまりわし座のα星アルタイルと織女星(たなばたつめ)つまりこと座のα星ベガが、年に一度だけ七月七日あるいは六日の夜に相合うという七夕伝説と強く結びつき、連歌時代までは常に七夕と関連して天の川は歌などに詠まれていた。天の川そのものが七夕との連想なしに詠まれるようになるのは俳諧時代になってからである。しかし芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」には、佐(たすけ)渡(わたす)という字が入り、鵲(かささぎ)が翼を延べて橋とし、牽牛がこれを渡って織女のもとへ通ったという伝説を響かせている。

七夕(星祭、星迎、星合、織女祭)は、中国伝来の行事、日本古来の伝承、盆の行事などさまざまな要素が入り混じってできあがった行事である。「たなばた」は「棚機」で、水辺の棚に設けた機屋(はたや)に処女(棚機つ女)がこもり、来臨する神のために機を織ったという折口信夫説があるが、これと宮中で行われていた中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の行事が習合して七夕の基本のかたちがつくられたようだ。乞巧奠で祭る牽牛星はその字からわかるように農耕を、織女星は機織や養蚕をつかさどる星とされていた。その星祭だったのである。したがって晴天が祈られた。

ところが七夕には一粒でも雨が降ると豊作だ、雨が降らないと牽牛と織女が出会って悪神が生まれ、疫病が流行るとか不作になるとかいった伝承もある。つまり中国では乾燥文化圏での星祭の側面が強く、日本では湿潤文化圏での雨天を望む農神祭の側面が強いわけである。折口説では、七夕の夜は禊を行うことになっていて、現在でもその習俗は各地に残る。あるいは人も牛馬も水浴びをし、睡魔を川に流すという「眠り流し」を行う地方もある。青森の「佞武多(ねぶた)」もその一つ。秋の収穫をひかえ、作業の妨げになる睡魔や悪霊を追い払う行事だったのである。

このように七夕には中国と日本の伝承が混在しているのだが、最後にその例をもう一つ。中国では女性が男性のもとに「嫁入り」する婚姻形態を反映して、織女が天の川を渡って牽牛に会いに行くのが一般的だった。しかし古代日本ではその逆だったので、「万葉集」の七夕を詠んだ歌では、天の川を渡る主体が織女の場合と牽牛の場合とが混在してしまっている。牽牛が渡って、織女がそれを待つという日本的な逢瀬のかたちに定着するのは中古に入ってからである。

米提げてもどる独りの天の川 竹下しづの女
七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷
更けし川越ゆる琴の音星まつり 清水昇子

2001-08-27 公開