季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

晩秋―其の一【柿(かき)】

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は誰もが知っている正岡子規の代表句。柿と法隆寺の鐘の取り合わせは、いかにも無造作のような感じがするが、言われてみればこれ以上ない取り合わせで人口に膾炙したのもよくわかる。ただ実際には法隆寺ではなく、東大寺の鐘を聞いてつくったのが事実のようで、前書きに「法隆寺の茶店に憩ひて」とわざわざ書いているところをみると、子規はどうしても法隆寺にしたかったということだろう。イメージや音からいってもやはり法隆寺でなければならない。澄みわった秋空に色鮮やかな柿が照り映えている景色は、いかにも深みゆく日本の秋を感じさせる。

この句をつくったときのことを「くだもの」というエッセイに子規は書いているが、そこに「柿などといふものは従来詩人にも歌よみにも見放されてをるもので」とある。柿は東アジアの温帯に固有の種といわれ、その栽培も古く中国では2500年も前の「礼記」にすでに記載があり、日本でも有史以前から栽培されていたと考えられている。戦前までは最も多く栽培されていた果実で(最近では蜜柑、林檎、梨につぐ第4位)、沖縄と北海道をはぶく全土でつくられている。果実としてはもちろんだが、砂糖のあまり普及していない時代には重要な甘味だったし、柿渋や木材(黒檀もカキノキ科)としての用途も広い(たとえば近年ではゴルフクラブの部品)。だからたいへん身近、悪くいえば卑俗な木または実と従来、考えられてきたので、歌などに取り上げられることが少なかったのである。「万葉集」にはまったく例がなく、その後の歌集でも柿の紅葉がわずかに詠われる程度であった。

しかし俳諧の時代になると、庶民生活を詠うことが多くなったこともあって、さかんに取り上げられ、その数は桃や梨をしのぐようになる。

柿の栽培品種はおよそ800種とたいへん多い。それだけ関心をもってその土地に適した品種を改良してきたことの表れなのだが、大きく甘柿系と渋柿系に大別できる。甘柿には富有、御所、次郎など、渋柿には西条、四溝、会津見しらずなどがある。柿の渋味は、タンニン細胞中のシブオールという物質によるもので、それが可溶性の状態であれば渋く、不溶性であれば甘い。実が熟れていくにしたがって、甘柿ではシブオールの不溶化が比較的早く始まるが、渋柿では熟柿になるまでそれが起きないというわけである。渋を抜く方法としては湯抜き、アルコール抜き、凍結法などがある。干し柿もいわばその一つなのだが、はじめて日本に来たポルトガルの宣教師たちは、それをFigo(無花果)と呼んでたいへん珍重したという。

病床にありながら子規はよく柿を食べたことを書きとめているが、不帰の客となる年にもこんな句をつくっている。

柿くふも今年ばかりと思ひけり

里古りて柿の木持たぬ家もなし 松尾芭蕉
渋かろか知らねど柿の初ちぎり 千代女
高枝や渋柿一つなつかしき 小林一茶
三千の俳句を閲し柿二つ 正岡子規
髪よせて柿むき競ふ燈下かな 杉田久女
柿を食ふ君の音またこりこりと 山口誓子
渋柿たわわスイッチ一つで楽湧くよ 中村草田男
潰ゆるまで柿は机上に置かれけり 川端茅舎
柿むく手母のごとくに柿をむく 西東三鬼
店の柿減らず老母へ買ひたるに 永田耕衣
さみしさの種無柿を食うべけり 三橋鷹女

2002-10-15 公開