季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

仲冬―其の一【雪】

「是(これ)がまあつひの栖(すみか)か雪五尺」(一茶)。小林一茶が三十五年におよぶ江戸を中心にした放浪生活に終止符を打ち、故郷の信濃の柏原に帰った時の句である。柏原は現在JRの駅名が黒姫と変わり、冬はスキー客でにぎわっているが、この辺りから新潟県上越市の高田地方にかけては、世界一の豪雪地帯である。天和元年(1681年)の記録的な豪雪の年には、「この下に高田あり」という札が立てられた話が伝わっている。この辺りでは雪おろしのことを「雪掘り」と呼んでいる。雪を「おろす」のははじめの二、三回だけで、その後は雪が軒よりも高くなってしまうので、掘らざるを得ないのである。

日本は世界屈指の雪国なのだが、そのことを私たちはあまり特別のこととは思っていない。しかし外国人にはかなり不思議なことのようだ。あんな南の島になぜ雪が降るのかというわけである。一茶の生まれた信濃(長野)地方は北緯三十六度四十分、ヨーロッパでいえばアテネやリスボンの辺りである。札幌オリンピックが開かれるまでは、日本に雪が降るとは思っていなかった外国人が多かったという。温帯に位置し、熱帯性の稲を栽培し、しかも人口密度が高く、これだけ雪の降る国は地球上、どこを探しても見当たらない。

日本の降雪の特徴は、その多くが季節風によるものだということである。アメリカのカスケード山脈周辺、カナダのコースト山脈に沿う地域、ヨーロッパのスカンジナビア半島、南半球では南アンデスの西斜面などの世界的な多雪地帯のほとんどは、大陸西岸の低気圧多発地帯で、暖かければ大雨になるところが、冬は大雪になるのである。それに対して、日本における日本海側の大量の降雪は、冬、大陸からの強い北西の季節風によってもたらされる。西高東低と呼ばれる冬の気圧配置になると、この風が日本海を渡って、脊梁山脈を吹きあがる。はじめは冷たく乾燥しているが、日本海に入ると海面から熱と水分を吸収し、多量の水蒸気(蒸気霧)を発生させ、すじ雲になる。さらに海面の水温が冬でも十二度Cという暖かい対馬暖流の上で発達し、巨大な雪雲になる。これが脊梁山脈を這い上がる過程で冷却され、大雪を降らせるのである。「塩の道」といわれた千国(ちくに)街道筋に「一里一尺」ということばが残っている。海岸から平野へ、さらに山間部へ進むにしたがって積雪量が増すという意味である。

この時、太平洋側では冬晴れとなり、乾いた空っ風が吹きつのる。その太平洋側でも一冬に何度か雪が降ることがあるが、それは低気圧が太平洋岸を北上する時のもので、いわゆる牡丹雪になることが多く、気温が上がれば雨になる。

このように日本列島における降雪は、脊梁山脈を境に日本海側と太平洋側では、降る仕組みが大きく異なる。その違いが雪というものに対する日本人の感受性の違いも生んできた。雪を自然の恵みとみるか、極端にいえば災いとみるかという違いである。以下に紹介する俳句にもその一端がうかがえるのではないだろうか。鈴木牧之は江戸中期、越後塩沢に生まれ、彼の手になる『北越雪譜』は、雪国の習俗についての詳細な記録で、民俗学の先駆的な著作として知られる。

下京や雪つむ上の夜の雨 野沢凡兆
そつと置く物に音あり夜の雪 鈴木牧之
一と夜さに雪の越後と変りはて 滝沢鶯衣
山鳩よみればまはりに雪が降る 高屋窓秋
雪国に雪よみがへり急ぎ降る 三橋敏雄

2001-12-03 公開