季節のことば
日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。
薄は「芒」とも書くが、漢字本来の意味からすると「芒」が正しく、「薄」には「くさむら」の意味はあっても、ススキの意味はないらしい。イネ科の多年草で、花穂は形が動物の尻尾に似ているので尾花(花薄)といわれ、萩の花、葛の花、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴、朝顔とともに秋の七草の一つ。月見にもなくてはならない草である。
薄の開花平均日は東京で九月初旬で、秋の七草の多くが夏に咲き出すなかで、穂状に咲いた尾花がなびく様から秋風の吹き始めたことを知り、秋の訪れをしみじみと感じさせる古来、日本人にはごく親しい植物だ。「乱れ草」「敷波草」「袖振草」といった異名は、秋風にそれがなびく様子からの命名だろう。秋が深まると葉は枯れ始めて黄色くなり、穂は白くなって、秋風にほほけて、穂絮(ほわた)が飛び散っていく。
薄は日本全国どこでも見られ、特に比較的、乾燥した草原では優位種で、森林の木を伐採すると、まず薄が生えてくる。焼畑で火入れをして耕作し、地力の回復を待つ間もだいたい薄原になる。薄は牛や馬の飼料になるので、そういう場所は放牧地(「牧」)になることが多かった。
薄の実用面としては、なんといってもその茎葉を乾かして屋根を葺く材料としての役割が大きかった。その場合は荻(おぎ)や茅萓(ちがや)といしょに「茅(かや)」と呼ばれた。いわゆる茅葺きの屋根である。柳田国男は「三角は飛ぶ」という文章で、日本の屋根をゆるい勾配の板屋根系と急勾配の茅葺き系に分け、急勾配にしたのは雨水の水はけをよくし、茅を長持ちさせるためだとし、またその美しさを絶賛している。この「三角は飛ぶ」という題はフランスの駐日大使だった詩人のp・クローデルが任期を終え、日本を離れるときに書いた詩の各節の最後が「あゝ三角は飛ぶ」ということばになっていたことによる。柳田によれば、このことばは関東大震災後の東京の通りから三角屋根が消えてゆくのを惜しんだものだという。屋根に葺かれた茅の耐用年数は30~40年。その葺き替えには、短時間に大量の労力が必要になるので、モヤイといった村民総出の協同作業で行なわれた。この茅葺き屋根の三角もやがて飛び去ろうとしていると柳田は数十年前に指摘したわけだが、いまやよほど辺鄙なところでなければ、それを見ることは不可能だ。
薄は「万葉集」の昔から歌にもよく詠まれてきた。「古今集」では秋の代表的な景物として、たとえば「秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらむ」(在原棟梁)のように、「穂に出づ」や風になびく様子を擬人化する「招く」が類型的な表現となり、恋での思慕の情を表わすのに用いられることが多かった。「しの薄」のように忍ぶ恋の象徴や哀傷歌では亡き人を偲ぶのにも使われた。中世になると恋歌的に使われることは少なくなり、叙景歌で秋のあはれを感じさせる重要な要素となっていく。さらに俳諧の時代になると、薄を刈る翁や薄で狐のまねをする子供などの人間的側面にも目が向けられていく。
「末黒の薄」(春)「青薄」(夏)「枯薄」(冬)というように、薄は四季を通じて日本人に愛惜され親しまれてきた。
面白さ急には見えぬ薄かな 上島鬼貫
何ごとも招き果てたる薄かな 松尾芭蕉
行く秋の四五日弱るすすきかな 内藤丈草
山は暮れて野は黄昏の薄かな 与謝蕪村
眼の限り臥しゆく風の薄かな 今田大魯
永劫の日輪渡る芒かな 松根東洋城
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
山越ゆるいつかひとりの芒原 水原秋桜子
壷にさしてすぐに風そふ芒かな 木下夕爾
花薄風のもつれは風が解く 福田蓼汀
かなしみをせむるがごとく銀いろに
芒はなびき術なかりけり 田井安曇
穂芒を逆光の中振り分けて
君が来るなり肩先が見ゆ 河野裕子
2002-10-28 公開
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