季節のことば
日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。
蒲団ということばは、もともと蒲(がま)の葉を編んだ円座をさした。蒲の葉やパンヤなどを円く編み、それを布で包んだもので、座禅のときお尻の下にあてがう小型の敷物であった。それが現在の方形の座蒲団になり、さらに江戸時代以降、寝具の名称として一般化するのである。したがって蒲団は元来、下に敷くものとして始まったわけである。
座蒲団の古い言い方は「褥=茵(しとね)」で、畳、莚(むしろ)を芯にして、それを真綿で、さらに布で包み、縁は額(がく)といって豪華な錦をめぐらした。座蒲団といっても実際には上流階級において敷蒲団として使われた。
そのころの庶民は土間の板敷きの上に菰(こも)や莚を敷き、その上で昼間着ていた上着をかけて寝た。この昼間着ていたものを掛けて寝るというスタイルは貴族などでも基本的には変わらず、直垂(ひたたれ)衾、袿(うちき)、宿直物(とのいもの)などを用いた。それが夜だけのものになると「夜着(よぎ)」(夜具とも)という名も生まれ、これが「衾(ふすま)」に発展する。
衾は「臥裳(ふすも)」つまり寝るときに身を覆うものという意味である。したがって褥と衾は上下一対となって、現在の蒲団を構成したわけである。後に褥は「敷衾(しきぶすま)」ともいわれるようになる。衾は八尺(約3メートル)または八尺五寸四方とかなり大きなもので、綿も厚くたっぷり入り、袖や襟はない。衾より小さく綿も薄く、袖や襟のあるものは「掻巻(かいまき)」といった。
蒲団に入れる綿には、保温性、吸湿性に富んだ木綿が非常に適しているが、木綿が一般にまで普及してくるのは、江戸に入ってからなので、木綿綿の入った蒲団を使えたのは、上流階級や富裕な町人層に限られ、一種のステイタスシンボル的なところがあった。たとえば遊里では、遊女の階級に応じて敷く蒲団の枚数に差があり、下級の遊女になると、莚や茣蓙(ござ)で寝るのが普通だった。そのため木綿を使わないものも、いろいろ工夫された。その一つに「紙衾」がある。これは「天徳寺」と呼ばれ、中に藁(わら)や古ぎれを入れ、和紙で包んだ衾で、安価なため庶民に多く用いられた。また持ち運びにも便利なので、旅にも重宝された。
また暖房器具や設備の普及した現代では、想像しにくいが、身体の特定の部分だけを暖める紐つきの「背蒲団(せなぶとん)」「肩蒲団」「腰蒲団」というものもあった。これは寝具ではないが蒲団と呼ばれたのは、蒲団が暖房具の別称でもあったことをものがたっている。
蒲団着て寝たる姿や東山 服部嵐雪
身に添はで憂しやふとんの透間風 黒柳召波
小蒲団や猫にもたるゝ足のうら 小林一茶
つめたかりし蒲団に死にもせざりけり 村上鬼城
天龍に落ちんばかりの干蒲団 阿波野青畝
我が骨のゆるぶ音する蒲団かな 松瀬青々
父の死や布団の下にはした銭 細谷源二
布団の上青空迫る恢復期 金子兜太
虚実なく臥す冬衾さびしむも 野澤節子
紙ぶすま折目正しくあはれなり 与謝蕪村
2002-11-25 公開
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