季節のことば
日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。
季節によって移動する鳥を渡り鳥というが、その生態はさまざまである。基本的には繁殖する地域とそれ以外の時期を過ごす地域が離れていて、毎年、定期的にその間を往復する鳥をいうが、ある特定の地域に毎年、決まった季節だけに現れる鳥は候鳥といい、また短距離たとえば日本内地を季節移動しているのは漂鳥といって渡り鳥と区別している。いずれにしても一定の地域にとどまって生活する留鳥に対する語である。
日本に渡ってくる鳥には、北方の繁殖地(シベリアなど)から秋、渡ってきて、春、帰っていく鴫(しぎ)、千鳥(ちどり)、雁(かり)、鴨(かも)、鶫(つぐみ)、花鶏(あとり)、鶸(ひわ)と、南方の越冬地に秋、帰っていき、春、戻ってくる燕(つばめ)、時鳥(ほととぎす)などがいて、春の渡りもあるのだが、渡り鳥といえば秋ということになっている。それは春の渡りがあまり目だたないのにくらべ、秋の渡りは集団を組むことが多いので、たいへん目につくことが大きな理由だ。それと秋の寂寥感との結びつきもある。「此の秋は何で年寄る雲に鳥」という芭蕉の句は、直接、渡り鳥を詠んだものではないが(「鳥雲に」という春の季語がある)、この寂寥感をよく伝えている。
定住しないで方々を渡り歩いて生活する人を渡り鳥とか渡り者とかいったりするが、たとえば江戸時代、「椋鳥(むくどり)」といえば、冬、江戸に出稼ぎにやってくる越後や信濃からの季節労働者をさした。椋鳥の渡り行動が冬の農閑期に江戸に出てくる彼らの行動と似ていたためである。
鳥の渡り行動は、昔から人々の興味を引いたようで、かのアリストテレスも「動物生活誌」の中で、鶴やペリカンの季節的な移動について述べている。しかしその科学的解明はそれほど進んでいない。なぜこのような行動を決まった時期にするかについては、日長の季節変化が下垂体の活動に影響を与えるからだということが、温帯の鳥に限ってわかっている程度である。また渡りの方向やルートについては、太陽や恒星を手がかりにしているという天体航法説が有力だが、近年、地磁気を手がかりにしているという説を唱える研究者もいる。なにしろ動物の行動調査の有力な方法である標識調査(首や足首に標識をつけて行動を調べる調査)が、再び捕まえることのできる鳥が少なく、あまり有効でないのだ。
それでもわかっているのは渡り鳥は驚くほどの距離を飛ぶということだ。繁殖地の北極圏から越冬する南極大陸まで16000kmも移動するキョクアジサシは、地球半周に近い距離を飛ぶことになる。ムナグロという名の千鳥はアラスカ-ハワイ間3000kmを35時間無着陸で飛行する。伊良湖岬では9月末ころ、雁渡りというサシバの大群が見られる。ここからサシバは紀伊半島、四国、宮崎、宮古島、台湾を経てフィリピンに至るが、宮古島では宮崎から飛んできて木で休んでいるサシバを手で捕まえる風習があったという。それだけ疲れ果てているということである。渡り鳥は渡りの季節を迎えると、体重が2倍になるほどの餌を食べ、エネルギーを蓄えるが、目的地に着くとみるかげもなくやせ細り、人に手づかみされるぐらいに体力が落ちているのである。渡りの途中で命を落とすものも多い。人間が感傷にひたるのもいいが、渡り鳥は命がけでもあるのだ。
木曾川の今こそ光れ渡り鳥 高浜虚子
鳥わたるこきこきこきと罐切れば 秋元不死男
渡り鳥目二つ飛んでおびただし 三橋敏雄
2001-09-10 公開
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