季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

晩春―其の一【蝶(ちょう)】

この地球上で種類でも個体数でも最も多い生物は昆虫。そのなかでも私たち日本人にいちばん親しまれ、愛されてきた昆虫は蝶類だろう。種の数は全部で1万8千種、日本の土着種は約260種で、蝶の幼虫は一般に植物の葉を食べて育つので、植物相の豊富な地域ほど種類も多い。蝶と蛾の生物学的な区別はない。

蝶は古くから親しまれてきたはずなのに、「万葉集」には一首も詠われていなくて、初めて文学に登場するのは「懐風藻」で、「柳絮(りゅうじょ)未だ飛ばず蝶先づ舞ひ、梅芳猶遅く花早く臨む」(紀古麻呂)をはじめとして多くの蝶が漢詩に出てくる。「荘子」の「胡蝶の夢」は古くから知られた故事なので、蝶への嗜好は漢詩文から生まれたものかもしれない。「胡蝶の夢」は「荘子」の「斉物論」にある故事で、荘周が胡蝶になった夢を見、覚めた後、自分が夢で胡蝶になったのか、胡蝶がいま夢のなかで自分になっているのか疑ったという話である。蝶の別名の「夢見鳥」はこの故事に由来する。睡眠中は霊魂が体を抜け出すという考え方は普遍的なもので、その霊魂が姿を変えたのが蝶とされたのだろう。蝶と夢の関連を示す話は世界中にあって、たとえばアメリカインディアンのある部族では、蝶は夢を運んでくるので赤ん坊を寝かしつけるときには、蝶の縫い取りをしたものを赤ん坊の髪につけるという。かくれキリシタンが伝えてきた「天地始之事」では、聖霊は蝶になってマリアの口の中に飛びこみ、マリアは身ごもることになっている。

西欧で蝶や蛾の総称としてPSYCHEが用いられることがある。これはギリシャ神話に登場するエロスに愛される蝶の羽をつけた美少女の名に由来するが、もとは霊魂(プシュケー)を人格化した名前である。これは蝶や蛾は、蛹(さなぎ)という静的で死んだような状態のものから飛び出してくるので、人間の体から抜け出る霊魂と同じように考えられたわけである。「日本書紀」に大生部多(おおうべのおおし)という人物の虫神である「常世の神」を祭ると長寿と富が授かるという教えが大流行したが、あまりに人々が熱狂したので、取り締まられたという話が出てくる。この虫神は実はアゲハチョウの幼虫だったといわれている。これもやはり幼虫から蛹になり、そこから成虫が飛び出すということに神秘性を感じて生まれた信仰だったのではないかと考えられている。

「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ。菜の葉にあいたら桜にとまれ」という小学唱歌があった。しかしこの蝶は紋白蝶とされているが、紋白蝶は桜にはとまらないといわれている。なぜ桜にとまることになったかというと、もとの戦前の歌ではこのあとに「さくらの花の、さかゆる御代(みよ)に、とまれよ あそべ」とつづいていたからである。この歌の作詞は明治七年のことで、この桜は明治天皇を象徴していて、明治政府によって桜にとまることを強要されたわけである。 蝶が春のものとされたのは、蛙や燕と同じくその年、初めて出てきた時期を、その季としたのである。

蝶の飛ぶばかり野中の日影かな 松尾芭蕉
蝶とぶやあらひあげたる流しもと 加舎白雄
日の影やねぶれる蝶にすき透る 高桑闌更
庭のてふ子が這へばとびはへばとぶ 小林一茶
ひらひらと蝶々黄なり水の上 正岡子規
高々と蝶こゆる谷の深さかな 原石鼎
方丈の大庇より春の蝶 高野素十
天よりもかがやくものは蝶の翅 山口誓子
蝶を見て読書の行の飛びにけり 池上浩山人
白蝶々飛び去り何か失ひし 細見綾子
黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る 角川春樹
百とせの花にやどりて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞありける 大江匡房
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた 安西冬衛「春」

不幸なるかな、愛する蝶たちよ!
優しい紋章よ、
汝らの美しさ故に、不幸は来る……
一本の指が通りすがりに
汝らの胴の
ああ! 天鵞絨の毛を傷つける!…… ネルヴァル「蝶」より
(入沢康夫訳)

2003-03-24 公開