季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

初秋―其の二【蜻蛉(とんぼ)】

蜻蛉は、種によっては晩春にはすでに姿を現しているものもあり、夏にも多くの蜻蛉の飛ぶのが見られる。しかしやはりなんといっても澄んだ秋空の下で、水辺や野面をすいすい飛ぶ姿が美しく、季語では秋のものとされている。

蜻蛉の仲間は世界に5000種ほど、日本には約200種、住んでいる。大型のものは「やんま」と呼び、赤蜻蛉の小型のものを「秋茜(あきあかね)」と呼んだりする。また大和の国つまり日本全体をさし、大和の枕詞でもある「秋津島(あきつしま)」という言葉があるが、この「あきつ(づ)」は蜻蛉の別名でもある。神武天皇が国見をした時「まさき国といへども、蜻蛉(あきづ)の臀(とな)めの如くあるかな」と言ったという故事による。「臀め」とは蜻蛉の雌雄が尾をくわえ合い、交尾をしながら輪になって飛ぶことである。その形で周囲を山々が連なる大和の国を喩えたわけである。これからもわかるように古代では蜻蛉に呪性を認めていたようで、またその薄く透きとおる美しい翅(はね)を女性の衣装に喩えた歌も万葉集に見える。

平安時代になると、ほとんど歌などには詠まれなくなるが、俳諧の時代に入ると、とくに芭蕉一門の俳人たちに好んでとり上げられるようになる。

日本では農薬の使用や自然環境の破壊で、数は減ってきたとはいえ、蜻蛉はきわめてポピュラーでむかしからよく親しまれてきた。しかし世界中どこでもそうかというと、たとえば欧米人などは日本人とはずいぶん違った感じをもっているようだ。「竜はわれわれの身辺の小川や養魚池の近辺にもいる。そしてどんな空想的な話をもってきても、蜻蛉(ドラゴンフライ)より激しく血に飢え、風変わりな振舞いをする竜(ドラゴン)をつくり出すことは出来ない。……飛行中のトンボの姿もうす気味わるいが、それよりもいやらしいのは小川のほとりの小枝にとまっているところで、邪悪な針の長さをあからさまに見せ、妙な翅脈のある羽を平らに左右に張り、口が大きく、大きな目玉のついた頭は細い首の上にのって、あたりをうかがうように回転する」。奥本大三郎『虫の宇宙誌』に紹介されているアメリカの自然科学の啓蒙書の一節である。ここでいっているドラゴンは竜といっても悪魔としての竜で、奥本のいうように兜の前立に蜻蛉の飾りをつけた本多忠良のような武将は、西欧人の目には悪の軍勢を率いるものと映りかねない。そのように蜻蛉が兜や鎧の飾りに使われたのは、日本ではそれが「勝虫」といわれ勝利を呼ぶ縁起のいい虫とされていたからなのだが。多くの西欧人は蜻蛉は人を刺す、気味の悪い虫と思っているようで、子どもが嘘をつくと蜻蛉が飛んできて唇を縫い合わせてしまうという俗信もある。

とんぼ返りということばもあるぐらいで、その飛行能力は相当なもの。前後の翅を互い違いに動かすので、自在で安定した飛行が可能で、最高速度は80キロぐらい。また翅についている縁紋は、飛行機が高速で飛ぶときに生じて危険な微振動(フラッター)を防ぐ装置の位置と同じだという。さらに蜻蛉の複眼は遠近両用眼鏡で、上半分が遠視、下半分が近眼というすぐれもの。

蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉
蜻蛉や日は入りながら鳰のうみ 広瀬惟然
行く水におのが影追ふ蜻蛉かな 千代女
遠山が目玉にうつるとんぼかな 小林一茶
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり 正岡子規
から松は淋しき木なり赤蜻蛉 河東碧梧桐
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女
空の奥みつめてをればとんぼゐる 篠原梵
この道を向き直りくる鬼やんま 三橋敏雄
蜻蛉触れ風触れ大き父の耳朶 寺田京子
少年は蜻蛉に乗りてゆく他郷 中村裕

2002-08-22 公開