季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

仲春―其の一【けいちつ】

古来、中国で行なわれていた季節区分に「二十四節気(にじゅうしせっき)」というのがある。太陽の周りを地球が一周する時間は一年、その一年を黄道上で360度に区切った15度ずつを「一気」といって、これが24あるわけである。さらにそれを三等分したのを「一候」といい、全部で72あるので「七十二候」という。「気候」ということばはここからきていて、たいがいの歳時記にはこの二十四節気七十二候が載せられている。

啓蟄はこの二十四節気の立春から数えて三番目で、陽暦の三月六日ころにあたる。二十四節気を順にいうと「立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒」である。七十二候では「蟄虫咸動きて、戸を啓きて、始めて出づ」とある。蟄虫は地面の中にかくれて冬眠しているもろもろの虫という意味で、蟻、蚯蚓(みみず)などの地虫や蛇、蜥蜴、蛙の類が長い冬眠から覚めて、穴から地上に出てくる春の胎動を表わしているのである。「蠢(うごめく)」という字があるが、まさしくこの感じをよく伝えている。このころはじめて鳴る春雷を初雷(はつなり)といい、蟄虫の目を覚まさせるというので、それを「蟄雷」「虫出しの雷」ともいう。

古い中国語で「虫」は広く動物を意味し、虎を「大虫」と呼んだ例もある。陰陽五行で季節に生物を配分した五虫では、春は鱗虫(蛇魚等)、夏は羽虫(鳥等)、秋は毛虫(獣等)、冬は介虫(蟹等)で、中央に裸虫つまり人間が配されている。一方、日本語のムシは自然発生する小動物の総称と考えられ、ヘビはムシの中には入っていなかったようだ。そこに中国語の虫偏のついた蛇が入ってきて、ヘビもムシとして扱われることになる。そこでムシの中の虫、真のムシという意味で「真虫(まむし)」と呼ばれるようになったのである。

日本人は無類の虫好きで、平安の昔から「虫放ち」「虫聞き」「虫合わせ」といった遊びがさかんで虫売りという鳴く虫を売る商売もりっぱに成り立っていた。しかし啓蟄が和歌や俳句に取り上げられることはそれほど多くなかった。季語として俳句にさかんに詠われるようになるのは、近代になってから、特に高浜虚子以降である。そこには古代中国のように人間も虫の一つと捉え、そこから生じるイロニーが俳句の対象にしやすかったということもあったのではないだろうか。

行きとどく春の日影や虫の穴 高桑闌更
大蛇や恐れながらと穴を出る 小林一茶
啓蟄の蟻が早引く地虫かな 高浜虚子
啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる 山口青邨
啓蟄や生きとし居きるものに影 斉藤空華
啓蟄や口重き子がものを言ふも 下村ひろし
啓蟄や獄にまだある地下の牢 辻井喬木
啓蟄のひとり児ひとりよちよちと 飯田蛇笏
啓蟄の夜行列車の暗く長く 石原透
啓蟄や一夜鳴る肺もて余す 寺田京子
啓蟄やちらかりやすき文机 鷹羽狩行

2003-02-24 公開