NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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猿若(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で、扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき、手拭ようの布で頬被りの下人風で現れ、〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち、床几運びをすることもあり、そこには、猿若の芸能と風流踊との関連が示されている
女歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊で評判をとるとすぐに、歌舞伎を称する女芸人の座が多く生まれ、諸国へも下った。中で、遊女屋が経営する歌舞伎の座
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
江戸三座(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
コミックマーケット(日本大百科全書)
日本最大の漫画同人誌展示即売会。コミケット、コミケと略す。近年は、毎年8月(夏コミ)と12月(冬コミ)の年2回、3日間の会期で東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される。漫画、アニメーション、ゲームおよび関連分野を中心に、同好会や出版社、ゲームメーカーなどの企業が
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
歌舞伎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎という表記は当て字であるが、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味し、日本独自の様式的演劇の特質を巧まずして表現しているため、今日では広く用いられている。かつて江戸時代には「歌舞妓」と書かれるのが普通であったが、もっと古くは「かぶき」と仮名で書かれた
宝塚歌劇団(日本大百科全書(ニッポニカ))
日本の代表的な女性だけの歌劇団。兵庫県宝塚市に本拠を置く。箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開発した遊園地の中の宝塚新温泉に、1913年(大正2)7月、湯客向けのアトラクションとしてつくった宝塚唱歌隊がその前身で、これは当時東京の三越デパートにあった少年音楽隊に倣ったもの
松竹歌劇団(日本大百科全書(ニッポニカ))
松竹によって創設されたレビュー団。宝塚少女歌劇団に対抗して、1922年(大正11)大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行ったのに始まる。翌1923年大阪松竹座の専属となり、1926年に上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になった
食べにくい料理のいただき方・和食編(平成ニッポン生活便利帳)
家庭で慣れた食べ方が、人前でもつい出てしまいがち。正式ないただき方をマスターしましょう。◆土瓶蒸し 土瓶のふたを取り、すだちをしぼり入れる。ふたに汁を注ぐ。土瓶の中の具を器に取り出し、汁と交互に食べる。図:土瓶蒸し
食べにくい料理のいただき方・洋食編(平成ニッポン生活便利帳)
食べ方に迷ったり、わからないときは、周囲の人を見ながら、真似していけば大丈夫。◆スープ手前から向こう側にすくい、スプーンからすするのではなく、食べる感覚で口に流し込む。量が少なくなったら器を向こう側に傾け、すくう(→「日本ではイギリス式が主流」)。食べ終わったらスプーン
炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
床に炉を設け、上にやぐらを置き、ふとんを掛けて暖をとるもの。掘りごたつ。また、簡便にやぐらの底に板を張ってこれに火入れをおく置きごたつもある。室町時代に禅宗から広まり、古くは、やぐらそのものをこたつと呼んだ。今日では熱源に電気を用いる
イエス・キリスト(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典・日本国語大辞典)
キリスト教の始祖。その生誕年が西暦紀元とされるが、実際には差があると考えられている。「イエス」は「ヤーウェ(イスラエルの神)は救いである」という意味のヘブライ語の人名イェホーシューア(短縮形ヨシュア)のギリシア語音訳(正確にはイエースース)。「キリスト」は本来
キリスト教用語集(日本大百科全書(ニッポニカ))
アガペー*『新約聖書』で「愛」を意味するギリシア語。神の愛。他者中心(自己否定)的、無償的愛を意味し、イエスの受肉と十字架と復活のなかにその愛の成就がみられるとする。広く人間の愛を意味したギリシア語の「エロス」としばしば比較される。アーメン*「まことに」「たしかに」
キリスト教(日本大百科全書(ニッポニカ))
イエスをキリスト(救世主)と信じる宗教と定義づけることができる。本項目では、キリスト教を歴史的に概観する。その主眼はキリスト教思想史であるが、教会史も織り込み、さらに日本の場合、社会、文化への影響にも触れる。歴史的展開の理解が、キリスト教全般への目を開かせ
プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて
愚管抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉初期の私家集。二巻。建礼門院右京大夫の歌を収める。自撰。貞永元年(一二三二)頃の成立。承安四年(一一七四)からの歌約三六〇首をほぼ年代順に収めたもの。建礼門院への宮仕え、平資盛との恋愛、平家没落、大原の建礼門院訪問、後鳥羽院への
拾遺愚草(日本大百科全書(ニッポニカ))
藤原定家の家集。「拾遺」は侍従の唐名で定家の官職名。上中下の3巻は1216年(建保4)に成立し、その後も出家時の1233年(天福1)まで増補。上巻は初学百首から関白左大臣家百首までの15種の百首、中巻は韻歌128首から女御入内屏風歌の12種の作品、下巻は四季、賀、恋、雑の部類歌を収める。
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
小倉百人一首(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった
正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が門下に示した示誡を孤雲懐奘が聞くに随って記録し、これをその門下が編集したもの。六巻。道元が宋から帰朝してのち、初開の道場である京都深草の興聖寺において、嘉禎年間(一二三五―三八)その門下の僧衆に示した示誡の集録である。明和七年
今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
倉時代の説話集。一巻。『本朝書籍目録』に「信実朝臣抄」とし、藤原信実の編著と伝えられる。延応元年(一二三九)以後遠からぬ時期の成立か。平忠度・徳大寺実定などと女房たちとの情話をはじめ、和歌・連歌に関する芸能談を中心に、僧侶の滑稽談に及ぶ短篇五十三を収める
八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり
東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの
撰集抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって
井戸茶碗(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
朝鮮茶碗の一種。李朝前期に焼かれた陶器。古来朝鮮茶碗のうち最も有名なもので、茶人の間で、大名物・名物と称して特に珍重されている。その特色、見所としては、形はのびのびとした椀形で、素地は砂まじりの荒い土である。全面には枇杷色と呼んでいる淡い褐色の釉薬が厚くかかり
高麗茶碗(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮半島で焼かれた茶の湯茶碗の総称。高麗の名は時代の意ではなく、室町・桃山時代には朝鮮を俗に高麗と称していたことによる。実際には高麗時代の作例はまれで、多くは李朝初・中期(15、16世紀)に焼かれている。わが国では室町時代後期(16世紀)に、それまでの書院茶にかわって
天目茶碗(日本大百科全書(ニッポニカ))
抹茶茶碗の一種。この呼称は、鎌倉時代に中国浙江省の禅寺天目山に学んだ僧侶が帰国に際して持ち帰った黒釉のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形)のものを天目茶碗とよぶようになった。天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台をもち
卯花墻(卯花垣)(国史大辞典・日本国語大辞典)
中興名物の志野茶碗。安土桃山時代から天正・文禄ごろにかけての作品で、古来志野茶碗中の名碗として名高い。素地は卵殻色で、これに志野釉が厚くかかり、口縁など施釉の薄い部分には、赤い焦膚ができている。全面には荒い貫入がある。一見手造りのように見えるが、轆轤により成形し
元禄文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
元禄(1688~1704)前後の上方中心の町人文化。広義には、17世紀後半から18世紀前半の長い時代文化を含むので、町人文化だけにはとどまらない。しかし幕藩制社会の確立の時代にあたるため、小市民社会の形成と封建的武家支配との間に緊張関係があって、封建的な武家文化との対抗のなかで
寛永文化(国史大辞典)
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文のころまでを含めて考えられる。江戸幕府の封建的体制の強化される時にあたって、京都の宮廷と上層町衆を中心として
化政文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
文化・文政(1804~1830)ころの江戸中心の町人文化。大江戸文化ともいう。しかし広義には、18世紀後半から19世紀前半の長い時代文化のことをさすので、その様式も広範囲にわたり、その内容も複雑多岐になる。その中心は小市民的な合理主義や美的情緒であるが、幕藩制社会の弛緩の時代に
竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで
貝塚(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
貝類の繁殖に適した海岸・湖岸近くに居住した人々が、食料として貝を多量に捕食し、食したあとの貝殻を、他の不用品とともに一定の場所に投棄したため、貝殻が層をなして堆積して今日まで残存したものを一般に貝塚と呼んでいる。縄文時代の貝塚を発掘すると貝層中から埋葬人骨
縄文土器(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
縄文文化の土器の総称。縄や蓆でつけたような文様があるので、はじめ縄蓆文土器とも称されたが、昭和初期にこの名称に統一された。明治一〇年(一八七七)、大森貝塚を発掘したE=S=モースが、その土器をCord marked pottery と呼んだのが起源
三内丸山遺跡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
鳥浜貝塚(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
福井県三方上中郡若狭町鳥浜にある縄文時代前期から草創期にかけての貝層を伴う低湿地遺跡。1962年(昭和37)から10年間にわたり、若狭考古学研究会のメンバーを中心に発掘が行われ、多大の成果を収めた。また、自然科学の各分野の研究者が参加協力し、共同研究の実をあげた。
はく‐ろ【白露】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)白く見える露。しらつゆ。(2)二十四節気の一つ。太陽の黄経が一六五度の時。秋分前の一五日で、陰暦では八月の上旬、陽暦では九月七日ごろ。《季・秋》(3)靄(もや)、霧のこと。
長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
新古今和歌集(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
新古今和歌集序(仮名序)〔一〕和歌は、昔、天地が開け始めて、人の営みがまだ定らなかった時、日本の歌として、稲田姫の住んでいた素鵞の里から伝わっているということである。そうした時以来、和歌の道が盛んに興り、その流れは今日まで絶えることがなくて、恋愛に熱中したり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために
はつ‐お[‥ほ] 【初穂・早穂・最花】(日本国語大辞典)
その年になって初めて実った稲の穂。*江帥集〔1111頃〕「きみがよのよろづのあきのはつほなるよしだのさとのいねをこそつけ」*色葉字類抄〔1177〜81〕「粃 ハツオ 早初 ハツオ 最花 同」*為家集〔1271〜75頃〕秋「風わたる野田のはつほの打なびきそよぐにつけて秋ぞ知る
ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
環内にエステル基-COO-をもつ複素環式化合物の総称。環の大きさにより、4員環のβ(ベータ)-ラクトン、5員環のγ(ガンマ)-ラクトン、6員環のδ(デルタ)-ラクトン、……に分類される。β-、γ-ラクトン、……は、それぞれβ-、γ-ヒドロキシカルボン酸の環状エステルの構造をもつ
ま‐がな 【真仮名・真仮字】(日本国語大辞典)
漢字を、そのままの字形で国語の音を示すために用いたもの。万葉がな。片仮名。*俚言集覧〔1797頃〕「真仮字とは今いふ万葉仮字にて、真字にて書たるをいふなり。片仮字、平仮字に対へて真仮字といふなり。此真仮字といふ名目は後に出来たる名目にて、古へは但仮字といひし也」
吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣
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