NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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申楽談儀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
能楽伝書、一冊。正しくは『世子六十以後申楽談儀』。世子とは世阿弥の敬称。世阿弥六十歳、応永二十九年(一四二二)観世大夫を長男元雅に譲って出家したころ、次男元能が、父の芸談を筆記し整理して、この年十一月、元能も芸道を捨て出家する時に、この聞書をまとめて、
正徹物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌論書。二巻。正徹著。二巻のうち上巻を「徹書記物語」、下巻を「清巌茶話」と称するものもある。下巻は智蘊の聞書と見る説もあるが未詳。成立年時は文安五年(一四四八)とする説と宝徳二年(一四五〇)とする説がある。上・下別々に成立したものか否かもまだはっきりわからない
ささめごと(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
室町時代の連歌論。1冊または2冊。心敬著。1463年(寛正4)、心敬が郷里の紀伊国田井荘(現在和歌山市の一部)に下ったとき、土地の人々の求めに応じて書き与えたものを原型とし、のち何度か増補・改編されている。問答体で構成され、連歌の学び方、作風論、付合論などを中心とするが
応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話にまとめられ
狂雲集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一休宗純の詩集。書名は一休が狂雲子と号したことに由来する。その生涯の言行は不羈奔放、洒脱自在なものがあったが、この詩集はそれを如実に伝える。一休は天性詩文の才に秀でたが、広く古典を学ぶことによってさらにすぐれた。『一休年譜』によれば、一休没年八十八歳の時に
水無瀬三吟百韻(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
長享二年(一四八八)正月二十二日、後鳥羽院の二百五十年の忌日に水無瀬宮法楽として同御影堂に奉納した何人連歌。一冊。正しくは「水無瀬三吟何人百韻」という。何人が賦物で、発句の一字「山」と熟して山人と賦す。発句「雪ながら山もと霞む夕哉
新撰菟玖波集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
准勅撰連歌集。宗祇・兼載ら編。和文序一巻と二十巻。集句は永享前後から明応三年(一四九四)末、四季六巻・賀(含哀傷)・恋三巻・羈旅二巻・雑五巻(含聯句)・神祇一巻(含釈教)・発句二巻。他に作者部類一巻。総句数二千五十三句(うち発句
梅花無尽蔵(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
五山文学作品。著者は万里集九、万里の居所庵名をもって書名とした。七巻八冊。巻一から巻三までは七言絶句の作品を編年順に配列する。巻一は応仁の乱前から文明十七年(一四八五)九月まで、巻二は太田道灌の招請に応じて、江戸下向から始めて長享二年(一四八八)九月まで
石清水臨時祭(国史大辞典)
京都府綴喜郡八幡町の石清水八幡宮で毎年旧三月午の日(三午には中の午の日、二午には下の午の日)に行う祭。臨時とは放生会の恒例に対する臨時。天慶五年(九四二)平将門・藤原純友の乱平定の報賽に臨時に勅使を立て神封歌舞を奉ったのが始まりで、天禄二年(九七一)には
浪花節(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
大衆芸能の一種目。浪曲ともいう。一つの物語を旋律(フシ)と科白(せりふ、タンカ)で語る芸能。三味線を伴奏楽器とする。調子の高い関東節と低音に特色のある関西節に分けることができる。浪花節は江戸時代末期に流行した山伏や願人坊主の門付芸(祭文・ちょぼくれなど)に
ファッションの社会学 ――流行のメカニズムとイメージ(文庫クセジュ ベストセレクション)
ファッションの社会学――流行のメカニズムとイメージ 文庫クセジュ933 F・モネイロン著/北浦 春香訳 社会科学 はじめに 「ファッション」という言葉は、捉え方もさまざまで、定義も一つではない。そして、多くの定義があるという事実そのものが
ナポレオン [改訳](文庫クセジュ ベストセレクション)
ナポレオン[改訳] 文庫クセジュ79 アンリ・カルヴェ著/井上 幸治訳 歴史・地理・民族(俗)学 第一章 ナポレオンの出身、青年時代 ボナパルト家 いま知られるところで、ナポレオンのもっとも古い祖先は、十五世紀末にあらわれたフランソワ・ボナパルトである。
ニーチェ(文庫クセジュ ベストセレクション)
第一部 ニーチェの生涯と著作 第一章 生涯 ニーチェは好んでポーランド貴族の末裔を称した。しかし実際には、詳細な研究が十八世紀の初頭まで遡って明らかにしたところによれば、ニーチェの家系は完全にドイツ系である。ニーチェの祖先のうちには、数多くの聖職
夢中問答集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
夢窓疎石が足利直義の問に答えた法話集。『夢中問答』ともいう。三巻三冊。全編九十三章の問答を仮名交り文にて記し、在家の女性や道に志す者に見せたいという直義の意を受けて、大高重成が刊行した書で、重成は等持寺の古先印元を介して、康永元年
梅松論(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語、軍記物語。二巻二冊。作者未詳。貞和五年(正平四、一三四九)成立が通説(菅政友)であるが、一方、上限を正平七年(一三五二)とし下限を嘉慶年間(一三八七―八九)とする説もある。後者の説は、『梅松論』を典拠としている『源威集』の推定成立年代を念頭に置き
神道集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
説話集。「安居院作」と記してあるが、具体的な編者は不明。14世紀後半(文和・延文年間)の成立か。10巻50条。天台宗および伊勢神道色の濃い本地垂迹の教義と、有名諸神社の本地仏を記してある。とくに赤城・伊香保・児持山大明神など上野国(群馬県)の利根川西側の神社を中心にして
菟玖波集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
南北朝時代の准勅撰の連歌の撰集。連歌師救済の協力のもとに二条良基が編集。二十巻。延文元年(一三五六)の冬から翌年の春の間に完成。延文二年閏七月十一日に勅撰に准ぜられているが、これは佐々木導誉の働きによる。冒頭に漢文序と仮名序を置き、以下、四季(一―六)
空華集(国史大辞典)
五山詩文集。義堂周信(空華道人)著。二十巻十冊。南北朝時代成立。すでに貞治六年(一三六七)十二月には草稿の一部ができていた。しかし、五山版八冊は巻首に延文四年(一三五九)の中巌円月の序、洪武九年(永和二、一三七六)の
曽我物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
曾我十郎祐成(幼名一万)・五郎時致(幼名箱王)の兄弟が、十八年間の苦難に耐え、建久四年(一一九三)五月、富士野の狩場に父祐通(一説に祐重・祐泰)のかたき工藤祐経を討つまでを語る、軍記物語風の伝記物語。仇討ちは果たしながら、横さまの死をとげねばならなかった兄弟の霊魂が
河海抄(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『源氏物語』の注釈書。四辻善成著。貞治年間(1362~1368)ころに、室町幕府2代将軍足利義詮の命によって成った。前代までの諸注釈を批判的に統合しつつ、豊富な引用書を駆使した考証により成った本書は、『源氏物語』研究初期の集大成的注釈書といえる。『源氏物語』古注釈史において
増鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。作者未詳。十七巻。十四世紀後半の成立。『益鏡』『真寸鏡』とも書き、『源起記』と題した写本もある。治承四年(一一八〇)後鳥羽天皇の誕生から筆を起し、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が配所の隠岐から帰京するまでの歴史を、貴族社会を中心にして仮名書き雅文体で
風姿花伝(花伝書)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
世阿弥の能楽論書。七巻。『花伝』ともいう。俗に『花伝書』と称されたのは、はじめて本文を紹介した吉田東伍『世阿弥十六部集』における命名の影響が大きい。それについては、室町時代後期には能の伝書を意味する普通名詞的用法があり
鳥羽僧正(新版 日本架空伝承人名事典)
覚猷。密教図像の収集、書写に貢献し、後に天台座主にもなった平安時代の高僧。大納言源隆国の子。覚円に師事、四天王寺別当となり同寺復興に功をたてたあと、三井寺(園城寺)に法輪院を建立して籠居すること二十数年、密教事相の研究に努め、収集の図像は「法輪院本」として重きをなし
御製(日本国語大辞典)
(1)天皇や皇族が、文書や作品を書いたり、ことばを賜わったりすること。また、その文書。*正倉院文書‐天平勝宝八年〔756〕六月二一日・東大寺献物帳(寧楽遺文)「太上天皇、捨国家珍宝等、入東大寺願文。皇太后御製」*続日本紀‐神護景雲三年〔769〕一〇月癸亥「長岡避
拝謁(日本国語大辞典)
身分の高い人や目上の人に面会することをへりくだっていう語。つつしんでお目にかかること。おめどおり。*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一一月八日「相搆伺拝謁之次、有可申事故也」*色葉字類抄〔1177〜81〕「拝謁 ハイエツ 対面詞 同分」*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕拾遺
行幸(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
〔名〕(1)(─する)(「ぎょうごう」とも)天皇が皇居を出て、よそへ行くこと。なお、行く先が二か所以上にわたるときには巡幸という。みゆき。いでまし*令義解〔718〕儀制・天子条「車駕。〈行幸所
還幸(日本国語大辞典)
(1)天皇が行幸からお帰りになること。還御。*平家物語〔13C前〕一〇・請文「還幸なからんにおいては、三種の神器いかでか玉躰をはなちたてまつるべきや」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「つゐに朝敵を追落す。やがて其夜還幸し給」*太平記〔14C後〕七・船上合戦事
海江田信義(有村俊斎)(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
鹿児島藩出身の維新政府官僚。天保三年(一八三二)二月十一日生まれる。鹿児島藩士有村仁左衛門とその妻連の長男。同藩の日下部伊三次の嗣子となり、その旧姓海江田に改姓。武次または通称俊斎といった。嘉永五年(一八五二)、江戸に出仕して水戸藩士藤田東湖らと交わり、その後
お由良騒動(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸時代末期、鹿児島(薩摩)藩のお家騒動。嘉永朋党事件、近藤崩れ、高崎崩れともいう。藩主就任をめぐる島津斉彬派と久光派の抗争。 藩財政立て直しのため、10代藩主、斉興と斉興を後見していた元藩主重豪(8代)は1828年(文政11)、調所広郷を財政改革主任(後に家老)に抜擢
島津久光(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末・明治初期の政治家。文化14年10月24日、薩摩島津氏27代当主斉興の三男に生まれた。母は側室お由良。山城、周防、和泉、三郎などと称した。一門重富島津家を嗣ぐ。1858年(安政5)長男茂久(のち忠義と改名)が29代当主となったので、久光が藩政の実権を握った。1861年(文久1)
島津斉彬(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸末期の薩摩藩主。斉興の長男。文化6年9月28日江戸に生まれる。異母弟久光を推す一派との家督争い(お由良騒動)を経て1851年(嘉永4)43歳で藩主となった。その間曽祖父重豪の感化もあって洋学に傾倒し、蘭医シーボルトに会見、川本幸民、箕作阮甫、高野長英、杉田成卿
皇室喪儀令(国史大辞典)
天皇および皇族の喪儀について規定したもので、大正十五年(一九二六)十月二十一日皇室令の一つとして公布された。内容は、第一章大喪儀(第一条より第一一条まで)、第二章皇族喪儀(第一二条より第二一条まで)および附式から成り、第一章には第一条の、天皇が崩御した時は宮内大臣
皇室祭祀(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
皇室で執り行われる祭祀で、おもに神道的儀式を基本としている。皇室祭祀には、新嘗祭など古代からの祭祀を継承したものや、元始祭などのように明治維新後の神道国教化政策、神仏分離政策の影響を受けて新たに定められた神道祭祀など多数ある。現行の皇室祭祀は、明治維新後新たに制度化
大嘗祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
天皇が即位したのち、最初に挙行する大規模な新嘗祭のこと。「おおにえのまつり」、また単に大嘗ともいい、即位儀とともに即位儀礼を構成する。近世以前には大嘗会ともよばれたが、これは節会に重きをおいた呼称である。律令時代における毎年秋の新嘗祭との相違は、新嘗祭が十一月下
十訓抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の説話集。古くは「じっくんしょう」か。三巻十篇。いわゆる妙覚寺本の奥書に、「或人云、六波羅二臈左衛門入道作云々、長時時茂等奉公」とあり、著者は六波羅庁の北条長時・時茂に仕えた人物らしく、奥書と序によれば出家後の晩年、東山の庵で念仏のひまに本書を著わしたという
古今著聞集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の説話集。橘成季著。二十巻。建長六年(一二五四)成立。巻頭に漢文の序、巻末に和文の跋および成立年時と自署がある。本文は、神祇・釈教・政道忠臣・公事・和歌・管絃歌舞・博奕・偸盗・恠異・変化・魚虫禽獣ほか、所収説話の話柄によって三十篇に分類
釈日本紀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代中期に著わされた『日本書紀』の注釈書。卜部兼方(懐賢)著。二十八巻。略して『釈紀』ともいう。成立年は未詳であるが、兼方の父兼文が文永十一年(一二七四)―建治元年(一二七五)に前関白一条実経の『日本書紀』神代巻に関する質問に答えたことが文中にみえ、正安三年
万葉集註釈(国史大辞典・日本国語大辞典)
鎌倉時代の注釈書。仙覚著。十巻。文永六年(一二六九)四月二日の成立。『仙覚抄』『万葉集抄』とも呼ばれる。はじめに『万葉集』の成立事情、『万葉集』の名義、撰者などの考証があり、次に巻一以下順番に難解歌をあげて注を加えている。とりあげた歌を歌体別にみると短歌六百九十首
弁内侍日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の女房日記。弁内侍著。二巻。成立年は未詳であるが、おそらく正元元年(一二五九)十一月二十六日の後深草天皇の譲位後さほど隔たらないころにまとめられたか。現存本は寛元四年(一二四六)正月二十九日後嵯峨天皇の譲りを受けて
十六夜日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
阿仏尼の日記紀行文学。伝本により『いさよひの記』『阿仏の道の記』『阿仏房紀行』などとも題する。藤原為家がはじめ長男為氏に譲った播磨の細川荘を、のちに悔返して為相に譲ったが、為家の没後為氏が手放さなかったため、為相の母阿仏尼が
沙石集(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の仏教説話集。「させきしゅう」とも読む。10巻。無住の著。1283年(弘安6)成立。説話を方便として読者を正しい仏教理解へ導こうとするもの。初稿本成立後も数次にわたって添削を加えているため、諸本により内容に若干の差があるが、おおむね、本地垂迹説話、諸仏霊験説話
一言芳談(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の念仏行者らの信仰をめぐる法語類を集録した書。もと一巻。編者は不詳。頓阿が編集したとの説もあるが信じ難い。『徒然草』に本書からの引用があるので、『徒然草』成立時を最下限としてそれ以前半世紀ぐらいの間(一二八〇―一三三〇)に成ったと思われる。法然をはじめ浄土信仰者
とはずがたり(全文全訳古語辞典・日本歴史地名大系・日本古典文学全集)
鎌倉後期の日記。後深草上皇に愛された二条(=源雅忠(マサタダ)ノ娘)の著。十四歳で上皇の寵愛を受けて以来の恋の遍歴と、三十二歳で出家した後、西行(さいぎょう)の跡を慕って諸国を旅するさまを描く。深い自照性があり、作者の魂の歩みが浮き彫りにされている。
玉葉和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第14番目の勅撰和歌集。20巻。京極為兼撰。第92代伏見天皇は為兼の革新的歌風を好み、在位中の1293年(永仁1)為兼、二条為世、飛鳥井雅有、九条隆博の4名に勅撰集撰進を命じたが、98年為兼佐渡配流、天皇退位、続いて隆博、雅有も没して事業は中絶した。1308年(延慶1)花園天皇が
元亨釈書(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代末期に虎関師錬が著わした仏教史書。三十巻。仏教の伝来から元亨二年(一三二二)までの約七百余年間にわたる諸宗僧侶の伝記や評論、および仏教関係の諸事蹟などを漢文体で記した日本仏教の略史である。『史記』『漢書』、または『仏祖統記』などの体裁にならって、全体の構成を
神皇正統記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に
尊卑分脈(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
諸氏の系図を集成・編集した書物。洞院公定原撰。現行の本には欠逸した部分があり、また後人の追補・改訂も多いとみられる。伝本によって収載する系図に出入・異同があり、その配列も区々で、原形を復原推定することは困難である。江戸時代の刊本『諸家大系図』は十四冊
系図纂要(国史大辞典)
皇室および諸氏・諸家の系図を集成した書物。飯田忠彦が編集したものとみられる。内閣文庫本は百三冊。ただしもとこれと一具をなしたと思われる一冊が東大史料編纂所に蔵せられ、現伝の形で完具するか否か一考の余地がある。成立年代は本文に安政四年(一八五七)までの記事を含むことや
寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
「しょか」は「しょけ」と読む人もある。寛永年間(一六二四―四四)に江戸幕府が編修した系譜の書。仮名本・真名本各百八十六冊。松平氏・清和源氏・平氏・藤原氏・諸氏の五種、および医者・同朋・茶道の三類に分類して収めてある
寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸幕府が編修した系譜の書。千五百二十巻目九巻序・条例一冊(千五百三十冊)。文化九年(一八一二)完成。『寛永諸家系図伝』編集の後、『譜牒余録』を経て、系譜の補筆改訂の動きが寛政の初年におこった
ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世末から近世初頭にかけて行われた、ややこ(幼女)による踊りの芸能。『御湯殿上日記』天正九年(一五八一)九月九日条に、宮中に参内して踊ったと記録されたのが、文献上の初見である。歌舞伎舞踊という名称が現われる以前の同じ芸能の総称だった。その意味で歌舞伎舞踊の直接的な
出雲のお国(新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女と称していたが、出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じて
かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞音曲の演奏家や歌舞伎役者をさすとともに、放蕩無頼・異端・異装の封建体制からはみ出してしまった、溢れ者をさす語である。中世の一つの美意識である〈ばさら〉が、集団としての反抗精神をもっていたのに対し、〈かぶき〉は個人の美的な反抗にすぎなかった。かぶき者の最初の典型
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