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尊卑分脈(国史大辞典・世界大百科事典)
諸氏の系図を集成・編集した書物。洞院公定原撰。現行の本には欠逸した部分があり、また後人の追補・改訂も多いとみられる。伝本によって収載する系図に出入・異同があり、その配列も区々で、原形を復原推定することは困難である。江戸時代の刊本『諸家大系図』は十四冊
系図纂要(国史大辞典)
皇室および諸氏・諸家の系図を集成した書物。飯田忠彦が編集したものとみられる。内閣文庫本は百三冊。ただしもとこれと一具をなしたと思われる一冊が東大史料編纂所に蔵せられ、現伝の形で完具するか否か一考の余地がある。成立年代は本文に安政四年(一八五七)までの記事を含むことや
寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
「しょか」は「しょけ」と読む人もある。寛永年間(一六二四―四四)に江戸幕府が編修した系譜の書。仮名本・真名本各百八十六冊。松平氏・清和源氏・平氏・藤原氏・諸氏の五種、および医者・同朋・茶道の三類に分類して収めてある
寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸幕府が編修した系譜の書。千五百二十巻目九巻序・条例一冊(千五百三十冊)。文化九年(一八一二)完成。『寛永諸家系図伝』編集の後、『譜牒余録』を経て、系譜の補筆改訂の動きが寛政の初年におこった
ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世末から近世初頭にかけて行われた、ややこ(幼女)による踊りの芸能。『御湯殿上日記』天正九年(一五八一)九月九日条に、宮中に参内して踊ったと記録されたのが、文献上の初見である。歌舞伎舞踊という名称が現われる以前の同じ芸能の総称だった。その意味で歌舞伎舞踊の直接的な
出雲のお国(新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女と称していたが、出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じて
かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞音曲の演奏家や歌舞伎役者をさすとともに、放蕩無頼・異端・異装の封建体制からはみ出してしまった、溢れ者をさす語である。中世の一つの美意識である〈ばさら〉が、集団としての反抗精神をもっていたのに対し、〈かぶき〉は個人の美的な反抗にすぎなかった。かぶき者の最初の典型
猿若(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で、扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき、手拭ようの布で頬被りの下人風で現れ、〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち、床几運びをすることもあり、そこには、猿若の芸能と風流踊との関連が示されている
女歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊で評判をとるとすぐに、歌舞伎を称する女芸人の座が多く生まれ、諸国へも下った。中で、遊女屋が経営する歌舞伎の座
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が
炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
床に炉を設け、上にやぐらを置き、ふとんを掛けて暖をとるもの。掘りごたつ。また、簡便にやぐらの底に板を張ってこれに火入れをおく置きごたつもある。室町時代に禅宗から広まり、古くは、やぐらそのものをこたつと呼んだ。今日では熱源に電気を用いる
イエス・キリスト(世界大百科事典・世界人名大辞典・日本国語大辞典)
一般にキリストはイエスの別名のように考えられている。実際,新約聖書の中でもパウロの手紙などではキリストとイエスとが区別されていない場合もあるし,古代ローマの歴史家たち(タキトゥスやスエトニウスなど)は,多くの場合キリストを固有名詞と思っていた。しかし
プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて
愚管抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉初期の私家集。二巻。建礼門院右京大夫の歌を収める。自撰。貞永元年(一二三二)頃の成立。承安四年(一一七四)からの歌約三六〇首をほぼ年代順に収めたもの。建礼門院への宮仕え、平資盛との恋愛、平家没落、大原の建礼門院訪問、後鳥羽院への
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
小倉百人一首(国史大辞典・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった
正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が門下に示した示誡を孤雲懐奘が聞くに随って記録し、これをその門下が編集したもの。六巻。道元が宋から帰朝してのち、初開の道場である京都深草の興聖寺において、嘉禎年間(一二三五―三八)その門下の僧衆に示した示誡の集録である。明和七年
今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
倉時代の説話集。一巻。『本朝書籍目録』に「信実朝臣抄」とし、藤原信実の編著と伝えられる。延応元年(一二三九)以後遠からぬ時期の成立か。平忠度・徳大寺実定などと女房たちとの情話をはじめ、和歌・連歌に関する芸能談を中心に、僧侶の滑稽談に及ぶ短篇五十三を収める
八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり
東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの
撰集抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって
井戸茶碗(国史大辞典・日本国語大辞典)
朝鮮茶碗の一種。李朝前期に焼かれた陶器。古来朝鮮茶碗のうち最も有名なもので、茶人の間で、大名物・名物と称して特に珍重されている。その特色、見所としては、形はのびのびとした椀形で、素地は砂まじりの荒い土である。全面には枇杷色と呼んでいる淡い褐色の釉薬が厚くかかり
高麗茶碗(世界大百科事典)
朝鮮半島で焼かれた茶の湯の茶碗の総称。高麗茶碗とはいうが,そのほとんどは李朝時代に焼かれたもので,高麗時代までさかのぼるものはわずかである。室町時代末に侘茶が流行するようになって賞玩され,桃山時代には茶の湯茶碗の主流となった。高麗茶碗は大別すると,一
天目茶碗(日本大百科全書(ニッポニカ))
抹茶茶碗の一種。この呼称は、鎌倉時代に中国浙江省の禅寺天目山に学んだ僧侶が帰国に際して持ち帰った黒釉のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形)のものを天目茶碗とよぶようになった。天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台をもち
寛永文化(国史大辞典)
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文のころまでを含めて考えられる。江戸幕府の封建的体制の強化される時にあたって、京都の宮廷と上層町衆を中心として
竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで
貝塚(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
貝類の繁殖に適した海岸・湖岸近くに居住した人々が、食料として貝を多量に捕食し、食したあとの貝殻を、他の不用品とともに一定の場所に投棄したため、貝殻が層をなして堆積して今日まで残存したものを一般に貝塚と呼んでいる。縄文時代の貝塚を発掘すると貝層中から埋葬人骨
縄文土器(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
縄文文化の土器の総称。縄や蓆でつけたような文様があるので、はじめ縄蓆文土器とも称されたが、昭和初期にこの名称に統一された。明治一〇年(一八七七)、大森貝塚を発掘したE=S=モースが、その土器をCord marked pottery と呼んだのが起源
三内丸山遺跡(国史大辞典・世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
新古今和歌集(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本国語大辞典)
新古今和歌集序(仮名序)〔一〕和歌は、昔、天地が開け始めて、人の営みがまだ定らなかった時、日本の歌として、稲田姫の住んでいた素鵞の里から伝わっているということである。そうした時以来、和歌の道が盛んに興り、その流れは今日まで絶えることがなくて、恋愛に熱中したり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
はつ‐お[‥ほ] 【初穂・早穂・最花】(日本国語大辞典)
その年になって初めて実った稲の穂。*江帥集〔1111頃〕「きみがよのよろづのあきのはつほなるよしだのさとのいねをこそつけ」*色葉字類抄〔1177〜81〕「粃 ハツオ 早初 ハツオ 最花 同」*為家集〔1271〜75頃〕秋「風わたる野田のはつほの打なびきそよぐにつけて秋ぞ知る
ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
環内にエステル基-COO-をもつ複素環式化合物の総称。環の大きさにより、4員環のβ(ベータ)-ラクトン、5員環のγ(ガンマ)-ラクトン、6員環のδ(デルタ)-ラクトン、……に分類される。β-、γ-ラクトン、……は、それぞれβ-、γ-ヒドロキシカルボン酸の環状エステルの構造をもつ
ま‐がな 【真仮名・真仮字】(日本国語大辞典)
漢字を、そのままの字形で国語の音を示すために用いたもの。万葉がな。片仮名。*俚言集覧〔1797頃〕「真仮字とは今いふ万葉仮字にて、真字にて書たるをいふなり。片仮字、平仮字に対へて真仮字といふなり。此真仮字といふ名目は後に出来たる名目にて、古へは但仮字といひし也」
吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣
上代特殊仮名遣い(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
7、8世紀の日本語文献には、後世にない仮名の使い分けがあり、それは発音の違いに基づくというもの。キケコソトノヒヘミメモヨロおよびその濁音ギゲゴゾドビベの万葉仮名は、それぞれ二つのグループ(橋本進吉の命名により甲類、乙類とよんでいる)に分類でき、グループ間で
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫
久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
宮廷儀式に用いる国風歌舞の一つ。その起源は、早く王権に服属した古代の久米一族の風俗歌舞にあるといわれる。のちにこの久米集団は大伴連のもとで来目部(久米部)を形成し、主として戦闘に携わったが、その勇猛さは『日本書紀』と『古事記』神武天皇の条にみえる一連の来目歌
謡物(国史大辞典・日本大百科全書)
歌謡のうち、語りを主とする語り物に対し、特に旋律の豊かな韻文的なものをさす。歌うという根源的な行為によって成立するものとして和歌以降の詩歌の源泉をなすとともに、時代・環境を問わず存在し、内容上も田舎歌・都会歌、労作歌・遊宴歌、宗教歌・世俗歌、民謡・芸謡と多彩で
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国で酒宴の席で奏せられた音楽。儀式の際に奏せられる雅楽に対して、俗楽と称せられ、雅楽が古法を守るのに対して、新しい流行や西域からはいった胡楽(こがく)も取り入れて行なった。*周礼‐春官・鐘師「凡祭祀饗食、奏
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
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