1960年代の百科事典ブーム

高度経済成長とも重なり、百科事典は一家に1セットの時代になっていく。その流れの中で、小学館は相次いで百科事典を刊行する。
・1965年、日本初のカラー百科事典『世界 原色百科事典』全8巻
・1967年、400万セットを売り上げたという『大日本百科事典』全18巻+別巻1
・1970年、図版主体の『原色図解大事典』全11巻
・1973年、分野別に新規立項した『万有百科大事典』全20巻+別巻1
・1984年、最大の項目数、図版数を誇る『日本大百科全書』全25巻
『ニッポニカ』は小学館の事典の集大成ともいえるものだった。
立ち上げ時から参加していたのが、現在、『ニッポニカ』の図版や写真などのメディア素材を一手に請け負う中村英俊さんだ。
「当時、本社ビルのワンフロアのほとんどが百科事典編集部で、外部スタッフを入れると常時70人以上が事典づくりに関わっていました。分野ごとに7つの班に分かれて編集作業にあたりました。私は編集プロダクションの新人でしたが、この仕事は働くことでさまざまな知識が得られる。『こんな恵まれた仕事はない』と思いましたね」(中村さん)
小学館社長だった相賀徹夫氏は「発刊のことば」で、読者にこう語りかけた。
《いまこそ人間がもつ英知という力が渇望されています。(中略)積極的に問題解決に挑むための知性や、役に立つ情報と知識を選びうる能力が、すべての人たちに問われています》
『ニッポニカ』の編集は88年に完結する。
「完結から約30年。当時編集にあたった社員のみなさんも次々に定年を迎えられました。数年前、百科OBのある方から言われた『百科事典はひとつの文化。これからも大切に守っていってほしい』という言葉が心に残っています」(中村さん)
刊行後も続けられた改訂作業

「実は、改訂版が出されたあとも、来るべき時に備え、細々と改訂作業だけは続けられていたんです」
こう語るのは、現在『ニッポニカ』の編集の進行や校正を担当する桑島修一さんだ。
「現在は原稿もデータ化されていますので、検索も簡単です。しかし当時は、紙しかありません。たとえば、アメリカ大統領が替わったとなると、それに関する項目を経験と勘で探し出して、手作業で改訂していきました。職人作業ですね(笑)」(桑島さん)
コツコツと続けられていた改訂作業は、無駄ではなかった。やがてこれが、電子版で実を結ぶのである。1996年に、ソニーの電子ブックプレーヤーと一体化した電子ブック版が発売されたのだ。
「当時の編集長の話を聞くと、最後は力技で『エイヤッ』と一気に作ったようです。しかしここで、一気にデータ化を実現させたことで、のちのCD-ROM版、DVD-ROM版、そしてジャパンナレッジでの公開に繋がっていったのです」(吉田さん)
「書籍版には5万点の図版・写真が掲載されています。電子ブックでは、電子化できる画像は新たに電子データとして本体に搭載し、それ以外のおもな画像8500点については図版集を付けて対応したそうです。実際に私が作業にあたったCD-ROM版では、1万5000点は入ると。ところが、やってみたら容量の関係で入りきらない。そこからさらに1万2000点に絞り込み、それでもだめ。どの画像を残してどの画像をあきらめるか。見直しを繰り返し、最終的に8000点にまで泣く泣く絞り込みました」(中村さん)