JapanKnowledgePresents ニッポン書物遺産

ジャパンナレッジに収録された、数々の名事典、辞書、叢書……。それぞれにいまに息づく歴史があり、さまざまな物語がある。世界に誇るあの本を、もっと近くに感じてほしいから、作り手たちのことばをおくります。

日本歴史地名大系  episode.1

『日本歴史地名大系』タイトルが
意味するものとは

──そもそもの誕生のきっかけを教えてください。
もともとは、民俗学者谷川健一さんの発案で、1974年頃に話が持ち上がりました。当時、私たちの中で、ふたつの共通認識があったんですね。
ひとつは、近代に入って編纂され、公刊された全国地誌といえば、1907(明治40)年に吉田東伍(注1)が独力で完成させた『大日本地名辞書』(注2)だけ。70年近くたった今、吉田東伍の現代版をやろうじゃないか、という機運。1979年、シリーズ第1回配本として〈京都市の地名〉を刊行するのですが、その前年、角川書店の『角川日本地名大辞典』の刊行がスタートしていますから、時代の機運だったのかもしれません(笑)。
もうひとつは、歴史を「地方・地域の視点」からもう一度見直したい、という思いでした。
──地方・地域の視点から見直す、とは?
これまでの"歴史"はどうしても、中央、国家の歴史でした。私たちは、朝廷や幕府の動きを"日本の歴史"として教わってきたわけです。しかし、人の生活は、中央だけにあるのではありません。その周辺、地方にも人の営みはある。彼らの歴史はどうだったのか。それがそもそもの出発点です。
──それまでは、地方史・地域史がなかったのですか?
県郡・市町村単位の史誌等の編纂はかなり行なわれていましたが、どんなに地域に目配りしても、国史・中央史の写しになる。あるいは県郡・市町村の中央史になる。具体的な手がかりなしに歴史を描くと、どうしても抽象的になってしまうんですね。たとえば東京ですら、奈良・平安時代に歴史に登場するのは、浅草寺(せんそうじ)と深大寺(じんだいじ)ぐらいなのです。国史・中央史を追っていく限り、この時代の東京のことはさっぱりわからない。
ところが地名は木簡(注3)や古代の史資料に登場することがままあり、地域に根ざした歴史を掘り下げようとする場合、唯一の手がかりになることが多いのです。『日本歴史地名大系』のタイトルが、『日本地名大系』ではなく、またあえて「地名」よりも「歴史」が先に来ているのは、そういう理由からなんです。

同時期に刊行された
『角川日本地名大辞典』との違い

──『角川日本地名大辞典』に「歴史」の文字はありませんね。
両者を比べてもらえばよくわかりますが、配列からしてまったく考え方が異なっているんです。角川書店のほうは、利便性を重視して五十音順で地名を配列しています。あくまで地誌という考え方です。『歴史地名』では、例えば東京都ならば「武蔵国(注4)」、古代から続いていた郡、現在の市区町村、その中の地名、という並びです。律令制(注5)の国名を最初に持ってきているのは、まさにそこから地域の歴史が始まるから。地域の歴史的なつながりこそが大事だと考え、五十音順ではなく、地域性を考えた配列にあえてしたのです。
──とはいえ、同類の本が刊行されていることに、焦りがあったのでは?
たとえば、私たちがA県の準備を進めていたとしましょう。そのタイミングで角川書店がA県を出してしまった。じゃあ、A県は後まわしにして、先にB県から出そう、というようなことはありました。でも正直、中身については意識することも、焦ることもありませんでした。社会的に意義あるもの、かつ比類なきものを出している、そういった自負が、私たちスタッフには強くあったのです。ただその作業はいろいろな面で困難を伴うものでしたが。


  • 注1 吉田東伍
    元治元(1864)年~大正7(1918)年。明治・大正期の歴史地理学者。早稲田大学教授。独学で歴史を学び、『大日本地名辞書』を編纂。
  • 注2 大日本地名辞書
    冨山房刊の日本地名の最初で最大の辞書。日本各地の地名を旧国郡の区分により配列し、その由来・史跡・地形などを解説したもの。
  • 注3 木簡
    文字を墨書した短冊状の木片。古代中国で発生し、日本でも飛鳥時代以降、近世に至るまで紙と併用された。内容は役所間の連絡文書や記録、荷札などさまざま。
  • 注4 武蔵国
    律令制により設けられた国。その範囲は、江戸時代には現在の東京都(島を除く)、神奈川県川崎市、横浜市(一部)および埼玉県の大部分を含んだ。武州(ぶしゅう)ともいう。
  • 注5 律令制
    中国を中心とする東アジア世界で行われた政治制度。律は刑法、令はそれ以外の行政上必要な諸法規の集成。日本では7世紀後半から10世紀ごろまでをとくに律令制の時代、もしくは律令時代と呼んでいる。



『日本歴史地名大系』は平凡社から、1979年9月から2005年1月の間に刊行。47都道府県(兵庫は2冊)に京都市と索引2冊を加えた計51冊から成る。約20万の項目は五十音順ではなく地域順に並んでおり、現在の行政区分の市郡から、区町村、そしてその中にある地名と読み進めていくことができる。特別付録として明治中期の代表的な地図「輯製(しゅうせい)二十万分一図」が収められている。

吉田東伍が13年かけて独力で作り上げた、日本の歴史地理学の先駆書であり名著といわれている『大日本地名辞書』は、1900年~07年冨山房より刊行。「上方」「中国」「四国」「西国」「北国」「東国」「坂東」「奥羽」の8地域に区分され、「汎論・索引」が付される。地名は、道、国、郡の順に配列されている。1909年には特別編として「北海道・樺太・琉球・台湾」編が出版された。

『歴史地名』と時を同じくして出版された『角川日本地名大辞典』。1978年~90年に別巻2巻を加えた49巻を出版。地名を五十音順に配列し、その歴史を紹介した「地名編」と、現況や沿革などを市区町村ごとに記した「地誌編」で構成されている。


森田東郎(もりた・はるお) 森田東郎(もりた・はるお)

1940年生まれ。1963年、三一書房に入社。毎日出版文化賞特別賞を受賞した『日本庶民生活史料集成』を担当。その後、企画・編集プロダクション文彩社設立に参加、『日本都市生活史料集成』(学習研究社、現・学研)を担当。1975年に『日本歴史地名大系』の立ち上げに参画。その後、編集長に就任し、『歴史地名』を完成まで見届けた。




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