ニッポン書物遺産
ジャパンナレッジに収録された、数々の名事典、辞書、叢書……。 それぞれにいまに息づく歴史があり、さまざまな物語がある。 世界に誇るあの本を、もっと近くに感じてほしいから、作り手たちのことばをおくります。
ジャパンナレッジに収録された、数々の名事典、辞書、叢書……。 それぞれにいまに息づく歴史があり、さまざまな物語がある。 世界に誇るあの本を、もっと近くに感じてほしいから、作り手たちのことばをおくります。
――編纂の経緯を教えてください。
石井 “新”とあることからおわかりのように、前身の辞典が存在します。1940年に刊行が開始された『カトリック大辞典』(全5巻、富山房)です。これほどの大辞典が戦前に企画・編集されたのは驚異的なことでした。1960年に完結したのですが、その後すぐ、世界のカトリック教会では大きな出来事がありました。
画像1:1940年に刊行が開始された『カトリック大辞典』(全5巻)。(石井氏提供)
サリ
1962年から65年にかけて開催された「第2バチカン公会議」のことですね。これまでのカトリック教会のあり方を見直すもので、教会の刷新、全キリスト教徒一致の促進、現代世界との対話を目指すことが決まりました。
中でも特筆すべきは、「他宗教との対話」を謳ったことです。そのためには、他の宗教に対する理解を深めなければなりませんし、カトリック教会自体も外に向けて発信していく必要があります。『新カトリック大事典』が企画された裏側には、そうした状況もあったのではないでしょうか。
石井
もうひとつは、この変革の結果、『カトリック大辞典』の内容が一気に古びてしまったんですね。そこで、同辞典も再編集されることになりました。1983年に上智大学が創立70周年を迎えるということも大きかったでしょう。上智大学はカトリック修道会のイエズス会が設立した大学ですから。
1977年に、その創立70周年記念企画として編纂準備委員会が発足。1979年には、上智大学神学部神学科ペトロ・ネメシェギ教授が編纂委員長になり、正式に「新カトリック大事典編纂委員会」が立ち上がりました。
1991年には、同文学部の高柳俊一教授を新たな編纂委員長に迎え、早期刊行を目指しますが、第1巻が刊行されたのは1996年ですから、足かけ18年もかかっています。
――たいへん苦労されたのですね。
石井
私が編纂委員会に加わったのは、1993年のことです。第1巻、第2巻の編集最終版に、助っ人のような形で入りました。初代編纂委員長のペトロ・ネメシェギ教授は哲学に強く、初期の頃は、哲学系の人材が多く関わりました。2代目編纂委員長の高柳教授は英文学科の教授で、英文科出身のスタッフが多くなりました。高柳教授の下で編纂主任の役割を引き受けた私は、神学部の所属でしたので、しだいに神学部関係のスタッフも増え、結果的に哲学、文学、神学とバランスのよい布陣となっていきました。
私が編纂作業に集中していた1990年代当時は、ワープロがようやく世間に出始めた頃で、当然、届く原稿はすべて手書きでした。原稿を整理する意図もあって、これをいったんワープロで打ち直し、それを印刷所に入れていました。いま考えると、たいへんな労力ですね。
結局、最終刊の第4巻が刊行されたのは2009年のことです。別巻の刊行は、その翌年の2010年。編纂準備委員会が発足してから、実に30年以上経ってしまいました。
佐久間 時間がかかったのは、キリスト教の事典として国内最高峰のものにしよう、最高の知を結集しようという、当初の目的がブレないこともあったのでしょう。
(1960.8.30 旧『カトリック大辞典』第5巻発行、完結(1940 第1巻発行))
(1962.10 - 1965.12 第2バチカン公会議 開催)
――完成の喜びはひとしおだったのではないですか。
佐久間 『新カトリック大事典』は、バチカン図書館にも納入されましたね。教皇に献呈したときなど、事典関係者にとっては、誇らしい瞬間だったことでしょう。
石井 大事典編纂は、バチカンも認める事業でした。書籍を見ていただくとわかるのですが、各巻の口絵に、教皇の写真とともに、お祝いの言葉が記されています。第1巻から第3巻まではヨハネ・パウロ2世、第4巻はベネディクト16世に祝辞をいただきました。最終巻の第4巻のときは、私も付き添いでバチカンに行き、ベネディクト16世に高柳教授がそれを奉呈するところを間近に見ておりました。
画像3:バチカンにて『新カトリック大事典』第1巻を当時の教皇ヨハネ・パウロ2世へ献呈する高柳教授(1996年)。
画像4:第4巻の献呈時には、ピタウ大司教(上智大学名誉教授、元理事長・元学長)(写真右から二番目)も同行(2009年)。
画像5:インタビュー中、『新カトリック大事典』内の口絵に掲載されている教皇の写真とお祝いの言葉を紹介する石井代表(写真左)
――「執筆者名」にこだわりがあると伺いました。
石井
旧版の『カトリック大辞典』の場合は、ドイツの大辞典との契約もあり、ドイツのキリスト教事典を翻訳したものが多かったのですが、『新カトリック大事典』はとことんオリジナルにこだわりました。初期段階から編集方針として一貫していたのは、「どんな短い項目でも執筆者の名前を入れる」ということです。書いた人の名前と顔が見える知識提供でありたいという思いからです。
例えば、編集者が執筆した場合は名前を出さないという事典も多々ありますが、『新カトリック大事典』は、どの立場であれ、書いた人の名前を必ず入れています。新たに書き加えた場合でも、最初の執筆者名を残し「増補」と断って、増補部分を執筆した人の名前も載せています。
執筆者は、上智大学の関係者にとどまらず、神学関係だけでも、名古屋の南山大学や全国の神学院の専門の先生方にお願いしました。当時の神学関係の先生方は、総動員だったように思います。まだ院生だった若い世代の方にも短い項目を執筆していただきましたが、その先生方が、今、各大学の教授になっています。
AIが教えてくれる「知識」は、いったい誰がいつ書いたものなのかがわかりませんが、『新カトリック大事典』にはそれが明示されています。これはAIには決して真似できない、私たちの強みだと思っています。
サリ 情報爆発の時代にこのような事典があるというのは、とても意義があると思います。SNSで誰でも自分の意見を発信できる時代だからこそ、このように学問の第一線にいる人間が責任をもって執筆し、他専門家の度重なる確認と校閲を受けて発信されている情報は、「偏らないナレッジ」としてぜひ活用していただきたいと思います。
石井 若い世代の方にも「知識の誠実さ」が伝わるとうれしいですね。
画像6:項目「世界人権宣言」の入稿原稿や校正ゲラ。日本人初の国連難民高等弁務官である緒方貞子氏が執筆している。
画像7:編纂時に使用していた用語リスト。15,000を超える項目を1,400人以上の執筆者に依頼し、原稿を取りまとめるため、カードや用語リストで管理していた。
画像8:実際の執筆原稿。編纂室がフォーマット化した原稿用紙を配布し、執筆者がそれに合わせて手書きで記入していた。度重なる推敲の跡が見られる。
画像9:項目「イエス・キリスト」の元原稿が校正ゲラになっていくまでの例。執筆過程では、他項目との整合性や表記の統一などの校正を繰り返し、第4校で記述内容が確定した。
画像10:『新カトリック大事典』刊行当時の新聞。日本最大級のキリスト教関係事典ということで、多くの注目が集まった。当時の書評で紹介された活用方法も興味深い。
アガスティン サリ
上智学院理事長、総合グローバル学部総合グローバル学科教授。カリカット大学(ケララ、インド)で政治学およびJDV大学(プネー、インド)で哲学の学士号を取得後、上智大学神学部神学科を卒業。その後上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻博士前期・後期課程修了。博士(地域研究・政治学)。2009年神学部准教授、2016年総合グローバル学部総合グローバル学科教授、2017年学生総務担当副学長、2018年上智学院総務担当理事を経て2023年5月に上智学院理事長に就任。
佐久間勤(さくま・つとむ)
イエズス会日本管区管区長、元上智大学神学部神学科教授、イエズス会司祭。京都大学理学部卒業後イエズス会入会。上智大学大学院哲学研究科を経て、ドイツの聖ゲオルク哲学神学大学神学部で学び、1984年に司祭叙階。その後、ローマの教皇立聖書研究所聖書学部、教皇立グレゴリアン大学神学部を1995年に修了(神学博士)。2016年上智学院総務担当理事を経て2018年4月〜2023年4月まで上智学院理事長を務めた。
石井祥裕(いしい・よしひろ)
『新カトリック大事典』編纂室代表、日本カトリック神学院教授、『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所発行)編集長。上智大学大学院神学研究科博士前期課程修了。インスブルック大学(オーストリア)神学部博士課程修了。Dr. der Theol. 典礼学、実践神学専攻。1995~2024年上智大学神学部非常勤講師。