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「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
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傾城買四十八手(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代後期の洒落本。山東京伝作。寛政二年(一七九〇)刊。一冊。さまざまのタイプの遊客遊女との会話を四つの場面に描き分け、遊興・恋愛における男女の手くだ・技巧・感情を細かく鋭い観察と巧妙な写実手法によって、辛辣にまたユーモラスに描き、のちの諸作品への
通言総籬(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
山東京伝作の洒落本(しゃれぼん)。一冊。天明七年(一七八七)刊。京伝の当り作の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明五年)中の人物、艶二郎・喜之介・志庵をそのまま流用し、其一に喜之介宅、其二に吉原遊里と、二つの場面
遊子方言(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
洒落本。一冊。田舎老人多田爺(ただのじじい)作。明和七年(一七七〇)刊と推定される。通人ぶった中年の男が若い息子ふうの男を連れて、柳橋から吉原仲の町の茶屋を経て遊女屋に遊び、盛んに高慢をいい知ったかぶりを見せるが、結局は遊女に冷遇され、おとなしい息子
小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫、美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによると
弁慶(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて一一八九年(文治五)とされる。『吾妻鏡』や『平家物語』にその名が見えるので、実在の人物と考えられているが、詳しくは不明。その説話や伝承は、『義経記』をはじめ室町時代の
鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い
一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋
水戸黄門(日本架空伝承人名事典)
徳川光圀。江戸中期の大名。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男として水戸に生まれる。母は頼房の側室谷久子。家臣の屋敷で養われた。幼名は長丸、のち千代松、九歳で元服のとき三代将軍徳川家光の一字を与えられて光国と名のる。のち五〇歳代に国を圀に改めた。字ははじめ
唐詩選国字解 1(東洋文庫)
江戸時代を代表する詩人服部南郭が,弟子を相手に『唐詩選』の詩を一首ずつ分かりやすく講釈した当時のベストセラー。口述なので語り口の妙が楽しい。本書はこれに現代の研究にもとづく訳解を補った。第1巻は,五言古詩,七言古詩,五言律詩。解説を付す。1982年
歴代名画記 1(東洋文庫)
唐代にいたるまでの画論・画史を集大成した画期的な書物とされる中国絵画論の古典。訳者の正確な読み下し,平易な口語訳,周到精緻な論説は,読者の中国絵画理解をふかめてくれる。第1巻は,総論というべき巻一から巻三,歴代画家評伝のうち巻四,巻五の晋まで
書状(国史大辞典)
書状とは手紙のことであって、用件・意志・感情などを書き記して相手方に伝える私的な文書のことである。書簡・書翰・書札・尺牘(せきとく)・消息(しょうそく・しょうそこ)・消息文などと呼ばれる。これらのうち漢文体のものを尺牘といい、仮名書きのものを消息とい
高温障害(日本大百科全書)
高温度下の労働や運動によって体温調節や循環器系の機能が損なわれたり、水分や塩分などの代謝のバランスを失ったりしておこる障害をいい、熱中症ともよばれる。発生機構の相違から次の三つの病型に大別される。[重田定義]▲熱けいれん症ボイラーなどの火を扱う作業者
熱中症(世界大百科事典)
高温下での労働といった職業的原因で起こる熱射病をいう。日本でも,かなり昔から〈よろけ〉という名称で,鉱山等の高温多湿の環境で働く作業者によく起こった熱中症が記載されている。ごく最近まで高熱のもとでの作業は,鉱山,製鉄,紡績工場,ボイラー室等においてよ
メッセンジャーRNA(岩波 生物学辞典)
mRNAと略記.《同》伝令RNA.遺伝子の情報が蛋白質として発現される過程で,情報の担体として合成されるRNA.ゲノム上の遺伝情報は一定の単位でRNAに転写される.その際,DNA依存性RNAポリメラーゼはDNA上のプロモーター部位を認識してこれと結合
アナゴ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱ウナギ目アナゴ科Congridaeに属する海水魚の総称。日本近海では北海道以南の各地に産する。体はほぼ円柱状で、尾部は多少側扁(そくへん)する。目はよく発達し、ときには非常に大きい。鱗(うろこ)はないが、側線はある。腹びれはなく、胸びれを欠く
キュウリ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年生つる草。インドのヒマラヤ山麓(さんろく)原産で、インドでは3000年以前から栽培された。中国へは漢の時代に張騫(ちょうけん)(?―前114)によって西域(せいいき)から導入されたと伝えられ、このことから胡(こ)(西
ポツダム宣言(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項
フランス革命(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
フランス革命とは1789年7月14日から1799年11月9日(共和暦8年ブリュメール18日)にかけてフランスに起きた革命をいう。▲革命の意義この革命は、思想、法律、政治、社会全領域に及ぶもので、自然権思想を武器とし、絶対王制の法構造を打ち破り、私的所
中元(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
本来は、1月15日の上元、10月15日の下元と並ぶ中国の道教の三元信仰の一つで、陰暦7月15日をいう。善悪を判別し人間の罪を許す神(地宮)を祭る贖罪(しょくざい)の日とされたが、これが仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と結び付いて祖先崇拝行事になった。日本
タコ(日本大百科全書・世界大百科事典・新選漢和辞典)
軟体動物門頭足綱八腕形目に属する動物の総称。[奥谷喬司]▲形態この目Octopodaの仲間の体は柔らかく、一見頭のようにみえる丸い外套(がいとう)膜の袋は胴で、この中に心臓、肝臓、消化管、生殖巣などの内臓が収まっている。本来の頭部は目のあるところで、
鳥羽・伏見の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発、攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼
江戸開城(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1868年(慶応4)4月に行われた新政府軍への江戸城明渡し。同年正月3日の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いにおいて幕府軍は敗北し、大坂にいた徳川慶喜(よしのぶ)は海路江戸に帰った。2月、維新政府は東征軍を結成して東海、東山、北陸の三道から進軍を開始
小栗忠順(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通
山内豊信(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期の土佐藩主。文政(ぶんせい)10年10月9日生まれ。分家山内豊著(とよあきら)の長男、宗家豊惇(とよあつ)の養子。1848年(嘉永1)15代目の藩主となり、隠居後、容堂(ようどう)と号す。分家出身のため苦労したが、ペリー来航後の対外的危機の緊迫
戊辰戦争(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
明治元年(一八六八)正月三日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに翌二年五月に終る箱館戦争までの戦争の総称。明治元年が干支で戊辰の年にあたるので、この呼称がつけられている。〔鳥羽・伏見戦争・上野
定額給付金(日本大百科全書)
消費を刺激するため、国や地方自治体が消費者に一定額を補助する給付金。不況期や景気低迷期に、家計の負担を軽減し、地域経済を活性化する目的で支給される。広く国民に支給するケースと、低所得者など対象を絞るケースがあるが、いずれも形をかえた減税である。一般に
新型コロナウイルス感染症(日本大百科全書)
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2(サーズコブツー))がヒトに感染することによって発症する呼吸器感染症。2019年(令和1)に初めて発生が確認された新興感染症であり、当初、日本においては感染症法上の「指定感染症」に指定された。指定感染症に指定さ
太閤記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
豊臣秀吉の事蹟を書きとめた記録。小瀬甫庵著、寛永二年(一六二五)自序、二十二巻。別称『豊臣記』。巻一―十六は秀吉出生から晩年まで。秀吉の素生として父を筑阿弥、幼名を日吉丸とし、晩年は最も華やかであった慶長三年(一五九八)の醍醐の花見で終っている。巻十
鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし
塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しか
山荘太夫(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
長者の没落伝説で、説経浄瑠璃(じょうるり)などの語物文芸として近世以前から語られていた安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)の物語。奥州五十四郡の大守岩城判官正氏(いわきのはんがんまさうじ)が、他人の虚言による無実の罪で筑紫(つくし)に流され、その子の
なやむ(全文全訳古語辞典・日本国語大辞典)
〔自動詞マ行四段〕{ま・み・む・む・め・め}[類義語]なやまし現代語の「なやむ」は主として精神的な苦痛を表すが、古語では、病気で苦しむ、わずらうなど、肉体的な苦痛をも表す。❶心を痛める。苦労する。難儀する。例「漕(こ)ぎのぼるに、川の水干て、悩み煩ふ
国際連盟(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
国際平和の維持を目的として第1次世界大戦後設立された国際機構。第2次大戦の勃発によって形骸化し,戦後国際連合にその任務をゆずって消滅した。成立平和維持のための国際機構という構想は古代ギリシア以来繰り返し提唱されてきた。さまざまな分野の国際協力は国際関
憲政擁護運動(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
1912~13年(大正1~2)と、24年(大正13)の二度にわたって展開された藩閥専制政府打倒を目ざす政党、民衆の運動。護憲運動と略称する。[阿部恒久]▲第一次護憲運動行財政整理により財源を確保し、日露戦後経営の完遂を期す第二次西園寺公望(さいおんじ
満蒙独立運動(国史大辞典・世界大百科事典)
満蒙(中国東北および内モンゴル)地方の中国から分離独立を企てた二度にわたる日本の一部軍人・大陸浪人の謀略工作。(一)第一次満蒙独立運動辛亥革命直後の明治四十五年(一九一二)初め、大陸浪人川島浪速は清朝の崩壊に乗じ、皇族粛親王善耆を擁立して満洲を独立さ
大正時代(世界大百科事典・国史大辞典)
一般的には大正天皇の在位期間(1912-26)をいうが,歴史学的にいえば,藩閥官僚政治を批判する日露戦争講和反対の全国的民衆運動の発生した1905年から,第2次護憲運動の結果成立した加藤高明内閣の政治諸改革が行われ,政党政治体制の確立した1925年ま
大正デモクラシー(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日露戦争後から大正末年にかけ、政治の世界を中心に、社会・文化の分野にまで顕著に現われた民主主義的、自由主義的傾向。〔研究状況〕信夫(しのぶ)清三郎『大正デモクラシー史』(昭和二十九年(一九五四)―三十四年)以来、「大正デモクラシー」の用語がひろく使わ
シロギス(日本大百科全書)
硬骨魚綱スズキ目キス科に属する海水魚。単にキスともよばれる。北海道以南の日本各地、西太平洋からインド洋にかけて広く分布し、内湾や沿岸の砂泥底に生息する。体は延長し、前方で丸みを帯びる。吻(ふん)は長く、口は小さい。体色は背側は淡黄褐色で、腹側は銀白色
沖縄戦(日本大百科全書・世界大百科事典)
太平洋戦争の最終段階で沖縄諸島を舞台に戦われた日米両軍による地上戦。「日米最後の戦闘」「沖縄決戦」と称されるときもある。[高良倉吉]▲戦闘前夜戦局も押し詰まった1944年(昭和19)3月、本土決戦の防備ラインとして南西諸島を守備すべく第三二軍
夏越(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
旧暦6月30日の祓(はら)いの行事。名越とも書く。水無月(みなつき)つごもりの大祓いといい、宮中をはじめ民間においても忌(い)み日として祓いの行事が行われた。この日、輪くぐりといって氏神の社前に設けた大きな茅(ち)の輪(わ)をくぐり災厄を祓う。宮廷に
時の記念日(日本大百科全書・平成ニッポン生活便利帳)
時間を尊重、厳守し、生活の改善、合理化を進めることを目的とする日。毎年6月10日。1920年(大正9)生活改善同盟会が主催、実施した。6月10日を記念日とした根拠は、『日本書紀』天智(てんじ)天皇10年(671)4月25日の項に「漏剋(ろこく)
アユ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱ニシン目アユ科に属する魚。アイともよばれる。鮎の漢字は中国ではナマズをさす。北海道の石狩(いしかり)川および勇払(ゆうふつ)川以南の日本列島と朝鮮半島、中国の中・南部に分布する。台湾の河川にも生息していたが、現在では認められない。アユは、サケ
ウニ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
棘皮(きょくひ)動物門ウニ綱の海産動物の総称。半球形の硬い殻の上に針のような棘(とげ)がたくさん生え、全体が「いがぐり」のような外観をした動物。世界の海から約870種、日本近海からは180余種が知られている。[重井陸夫]▲形態体に前後の方向性はなく
ホヤ(日本大百科全書・世界大百科事典)
原索動物門尾索(びさく)綱海鞘(かいしょう)亜綱に属する海産動物の総称。汽水域にも生息する。成体は他物に固着して生活し、単独でいる単体ボヤと、小さな個虫が集合する群体ボヤとがあるが、虫体の構造に根本的な差はない。単体ボヤには直径20センチメートルに
イサキ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱スズキ目イサキ科に属する海水魚。宮城県以南の太平洋沿岸と新潟県以南の日本海沿岸、屋久島(やくしま)、東シナ海、台湾、中国広東(カントン)省・福建省の沿岸などに分布するが、南西諸島にはいない。体は長楕円(ちょうだえん)形で、やや扁平(へんぺい)
クロダイ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱スズキ目タイ科ヘダイ亜科の海水魚。東京地方では幼魚をチンチン、やや大きいものをカイズ、成魚をクロダイとよぶ。また、関西、四国、九州地方ではチヌとよんでいる。北海道から九州南岸までの日本海と太平洋の両沿岸の各地、朝鮮半島、中国沿岸、台湾、香港
鱚(世界大百科事典)
スズキ目キス科の海産魚。別名シロギス。北海道の一部を除く日本のほぼ全沿岸,朝鮮半島,中国,台湾,フィリピンなどに分布している。さらに以南の太平洋,インド洋にも分布しているともいわれるが,分類学上の混乱もあり明らかではない。日本の沿岸にふつうに見られ
アジサイ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ユキノシタ科(APG分類:アジサイ科)の落葉低木。高さ1~1.5メートルの株立ちになり、若枝は緑色で太い。葉は対生し、広楕円(こうだえん)形または倒卵形で長さ8~15センチメートル、先はとがり、縁(へり)に三角状の鋭い鋸歯(きょし)がある。葉質は
渋沢喜作(国史大辞典・日本人名大辞典)
一八三八-一九一二明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年
五代友厚(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
実業家、政商。薩摩(さつま)藩士で儒者兼町奉行(まちぶぎょう)の五代直左衛門秀堯(ひでたか)の次男として生まれる。幼名を徳助、才助といい、松蔭と号す。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争(1863)に参加し捕虜となるが脱出した
荊楚歳時記(東洋文庫・日本大百科全書)
荊楚,つまり長江中流域の湖南・湖北地方の年中行事とその由来を記した民俗資料の古典。6世紀の梁の人宗懍の著に,隋の杜公瞻(とこうせん)が注を付けたもの。訳注者の初版本への補注をもとに,より詳細な補訂を加えた
中国講談選(東洋文庫)
中国の大衆に愛され,親しまれ生きつづけてきた講釈を,口演そのままに記録したもの。『三国志』『水滸伝』『西遊記』『説岳』『包公案』から,人びとに喜ばれた名場面を集めて編集。1969年05月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)〓統の名裁判武松の虎退治
ミリンダ王の問い 1 インドとギリシアの対決(東洋文庫)
仏教は,ギリシア的論理をとり入れることによって,世界宗教としての普遍性を獲得した。紀元前2世紀のインドで,支配者たるギリシア人王と仏教長老の対話のかたちで語られる聖典。第1巻は,第2編第1章第2まで。中村元の解説を