古典への招待
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紫の上と寝覚の上成長する女主人公について
第28巻 夜の寝覚より
物語における女性側の主題
平安時代の物語文学は、女性が書き手になって大きく変ったと言われる。事実、『源氏物語』以前の物語と『源氏物語』との間には質的な差が大きいが、なかでも作中女性の描き方 ――女性造型―― の差は際立っていると思われる。『源氏物語』に描かれているのは、自分の意思と責任で生きようとする女性たちであり、恋に陶酔できない女性であり、成長する女主人公であり、結婚拒否の考え方に立つ女性たちである。『源氏物語』の女性側の主題を概括して言えば、女性の生き方の追求 ――女が、この住みにくい世(男女の仲)をいかに
紫の上 ― 成長する女主人公
若紫巻における紫の上の初登場はきわめて印象的である。だが、光源氏が惹きつけられたのは、この若草の少女の美しさを純粋に認めたばかりではなかった。彼にとって思慕してやまない藤壺の中宮の美貌が、この少女に重ねられていたのである。紫の人、藤壺に向けられた思慕の埋め合せ、肩代りの女としての登場、これが若草の少女に与えられた最初の役割であった。
光源氏の藤壺思慕の物語を「紫の物語」と呼ぶとすれば、これは「紫のゆかりの物語」と呼べるであろう。そして、若草の少女の登場がいかに新鮮であり印象的であろうとも、「紫のゆかりの君」である間は、『源氏物語』の女主人公の座は占め得ない。女主人公の位置は光源氏の永遠の女性藤壺によって占められている。
物語は事件中心である。光源氏の物語は、彼の二条院における日常をではなく、外の出来事を語るところに中心がある。藤壺との密事、六条御息所との恋、空蝉のこと、夕顔の死、そして末摘花、すべて外の出来事である。若草の少女 ――若紫の君は二条院の人となった。外で心を労し、疲れ、悩む光源氏の心をやわらげる慰め役である。光源氏の家庭の日常、憩いの場。そこには事件がない。とすれば、彼女はまだ物語の女主人公とは言い得ない。若紫の君の「紫のゆかりの君」としての立場と、家庭日常に置かれていることとは重なり合っている。
『源氏物語』の女性たちのなかで、紫の上ほど息長くその成長をみつめられている人はない。若紫の君から新妻紫の君へ、紫の君から名実ともに女主人公としての紫の上へ。正妻葵の上は亡くなり、光源氏ははじめて紫の上と新枕を交した。紫の人藤壺中宮は出家し、六条御息所は伊勢に下向した。光源氏をめぐる主な女性が姿を消して、紫の上の座が開けてゆく。
物語はようやく、光源氏の ――須磨、明石の
朝顔巻あたりから、紫の上の人間像が変貌し、女主人公として改めて据え直されたとする考え方がある。それほどに紫の上の人間的成長はめざましい。「変貌」ととるか、「成長」と考えるか、むずかしいところであるが、私は、物語における「成長」を、巻ごとに異なる「めざましい」飛躍をも含めて考える。一つの巻における姿と、次の巻における印象との、飛躍的な違い、段差のある人間像の造型そのものにも「成長」を認めてよいと思う。
その意味をもこめて、紫の上はみごとな成長、成熟を遂げた女性であった。夫の新しい女性への苦慮、妻の座の揺らぐ不安、光源氏その人への不信、いくたびの試練、危機のなかで、おのれを押えて夫の愛をいよいよ深め、自らの気品を失うことなく、かえって相手の女性をも心柔らかく包みこんでいった。そして、さらには、夫源氏の理解のとどかぬ心の深さにまで達し、夫不要の世界をも希求しているのである。
「去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に
女性の創る女性の理想像は、まず第一に「成長する女性像」であった。あの無邪気な、あどけない若草の君が、晩年、女性の生き方のむずかしさをしみじみと述懐している。
「女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、折をかしきことをも見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、生 ほしたてけむ親も、いと口惜 しかるべきものにはあらずや。心にのみ籠めて、…(中略)…埋 もれなむも、言ふかひなし。わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ」(夕霧)
女の身であっても、もっと主体的に生きたいもの、と嘆くのである。人生の辛酸を寝覚の上 ― 意志強き女主人公
『源氏物語』の後の物語のなかで、「主体的に生きたい」と願う紫の上の心を引き継いだのは『夜の寝覚』の女主人公寝覚の上である。その面影も紫の上に近いが、人柄もまた「成長する女性」の姿を強く示している。寝覚の上ははじめから女主人公である。物語はこの人の生涯をただ一筋に息長く追おうとする。母代りの対の君の世話に任せた少女時代はともかくも、故老関白の若き未亡人として再登場してから(巻三以降)のこの人は、何事も自らの責任で処してゆこうとする「心強き」女に成長している。
彼女の人生もまた思うに任せない。あやにくな運命は、腹を痛めたわが子を彼女から引き離し、代りに姉君の子や老関白の三人の連れ子の世話を余儀なくさせる。しかも、自らの悩みは悩みとして、寝覚の上は自らの役回りを心柔らかく果そうと努める。紫の上とほとんど似通った心掛けである。
家事の切り盛りも抜群である。家族ひとりひとりの心をとらえ、家族に信頼され、心服されている。家政的手腕にも抜きんでた女主人公、 ――みごとな成熟と言うほかはない。
「心強く」事を処するといっても、あらわに自らの意志を表に立てるわけではない。意志の強さは「あえか」「なつかしさ」に包まれ、少女時代そのままの天真爛漫の奥に秘められている。いわば、天真爛漫と成熟の共存、「なつかしさ」と「心強さ」の兼ね合いにこの人の魅力があるようである。
あくまで「あえか」で「なつかしく」、あでやかな美貌を持ち、清純無垢のうえに、
両者にはもとより多くの違いもある。紫の上は高貴な父方を持ちながら、孤児同然の祖母育ち、継子虐め譚の下地を思わせる不幸な生い立ちである。寝覚の上は片親ながら太政大臣の愛娘として育ち、対の君のような親身な母代りが共にある。
紫の上は光源氏に拾われ、その愛と
紫の上の試練は、光源氏その人の須磨流寓の別離を別にすれば、ほとんど彼をめぐる女性関係にかかわっていた。彼女の「心用意」は、夫光源氏に向けてばかりでなく、多く対女性に遺憾なく発揮されている。これに対して、寝覚の上の「心用意」は多く相手男性に向けられている。男主人公とのあやにくな縁への対処といい、心にそまぬ老関白との結婚といい、帝(冷泉院)の執心への対応といい、その「心強さ」と柔らかさとの兼ね合いが、いよいよ男たちの心を
紫の上には養女として明石の姫君があるが、光源氏との間に子の生れなかったことも、寝覚の上との大きい相違と言える。寝覚の上は、石山の姫君、まさこ君など幾人もの子を男主人公との間にもうけ、そのうえに、姉君の忘れ形見の小姫君や、婚期にある継娘三人の世話に明け暮れている。
それでは寝覚の上の対男性への「心用意」とはどのようなものであろうか。彼女の周囲には当然多くの賛美者がいる。その筆頭が男主人公(中納言。巻五で右大臣。巻末欠巻部分では関白)である。寝覚の上にとってはじめての男であり、姉君の夫であり、彼女が老関白に嫁いでからもついに交渉を絶ち得なかった恋人である。彼は全巻を通じて終始一貫、寝覚の上を求めてやむときがない。
老関白の溺愛ぶりもまことに尋常ではなかった。帝(冷泉院)の彼女への執着も並一通りではない。主人公の弟である三位の中将も思いを寄せている。寝覚の上が苦心して二番目の継娘との間を整えて結婚させた宮の中将も、はじめからこの人への気持が深い。
しかし、寝覚の上の心は、亡き夫老関白の生前の寛大な愛情に応えて、意志強く操を立て通そうとする。気の進まぬ結婚を強いられ、嫌悪しぬいていた老関白であったが、彼との結婚後、徐々に彼女の心は定まっていったかのようである。中間欠巻部分のことではあり、定かではないが、少女時代の、ひたすら受身の、消極的な女主人公が、巻三以降では、いかなる困難にも自らの意志と責任を持って行動しようとする「心強き」女性に成長しているのである。
若き未亡人はひたすら家庭を守り、三人の継娘たちの幸福を願って奔走する。男たちには見向きもしない。ただし、「あえか」「なつかしさ」と「心強さ」が共存し調和している彼女のことである。意志の強さをむき出しにして頭からはねつける態度に出るはずがない。深い縁の糸に結ばれている男主人公に対しても、おのれの心を決して曲げないが、といってはじめから玄関払いを食わすそっけなさも見せていない。
率直に男に恨み
とは言え、なんと言っても女と男のことである。一歩誤まれば女の危機を招くことになる。寝覚の上は、自ら気付かずして、危地に赴くことがないではないのである。巻三における
紫の上がそうであったように、寝覚の上もまた苦の人生を生きる。歩めば歩むほど苦は深くなりまさるかのようである。しかし、寝覚の上はうちひしがれたままではいない。危機を危機として必死に受けとめ、素直に苦しみを刈り取ろうとする。自分の気付かぬ深部に女の危機をつねに潜ませる魅惑の女性が、自己回復の努力を重ねて、いよいよその魅力を磨いていく、 ―― ここに、意志強く「成長する女主人公」としての真姿がある。
生き方追求の大切な指標
光源氏の心に焼きつく紫の人、藤壺は、いわば「天上の女」である。藤壺の「ゆかり」として登場させられた紫の上は「地上の女」である。現実の生身の人間として、多くの試練の積み重ねのなかで、みごとな成長を遂げてゆく。紫の上の心とその成熟には、作者の「内なる理想」―内なる願い―がこめられていると言えるであろう。紫の上における「成長する女主人公」像を踏襲し、さらに対男性の試練を積み重ねて独自領域を開いたのが寝覚の上の場合である。こよなくおのれを知ってくれる光源氏に添い、夫を心の底まで理解しながら、にもかかわらず、いかんともしがたい夫との溝に苦しむ紫の上と、何一つ障害のなくなる最後までどうしても男の心とすれ違う寝覚の上とでは、女の運命が異なるのだが、物語の女主人公として、着実に「地上の女」としての理想をめざしている点では共通する。
物語の女主人公の成熟は、物語文学の成熟である。物語の成長は、作者と読者の成長である。物語の女主人公が、意志強く、「成長する女」をめざしていることは、女性が書き手になったとき物語の最も変った点である「女性の生き方の追求」の、大切な指標としてもっと注目されなければならない。

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