古典への招待

作品の時代背景から学会における位置づけなど、個々の作品についてさまざまな角度から校注・訳者が詳しく解説しています。

後悔のちくい大将だいしよう狭衣の君

第30巻 狭衣物語(2)より
後期物語の豊饒な作品世界
『源氏物語』は、作り物語に対する通念を一変させ、物語はどのようなものであるかというよりも、物語はいかにあるべきかということの手本を提供した。『源氏物語』は、主題、構想、筋立、人物造型、場面設定、話型、準拠、語り、表現、引用など、物語を執筆するための方法を具体的に実践してみせたのである。こうして、平安後期物語は、『源氏物語』をいかに継承し、いかに発展させるかということから出発することになる。だからと言って、後期物語は単に『源氏物語』を模倣した亜流の物語というわけではない。『源氏物語』を手本にし、物語の方法を熟知した作者によって執筆された後期物語が、面白くないはずはない。
 一方、『源氏物語』を規範とすることは、また別な形で豊饒な成果を後期物語にもたらすことになる。つまり、『源氏物語』そのものを効果的に取り入れて、物語を形成する方法として活用するのである。これは、いわゆる物語取り、すなわち引用の問題である。また、事は創作の次元から享受の次元にまで広がっていくが、読者の側からすれば、後期物語を、『源氏物語』の作品世界に対する共通理解を基盤として、その特定の場面や記述に対する印象や感動と重ね合せて味わうことになる。後期物語の引用表現は、当然『源氏物語』に限らず、他の物語や詩歌に及んでいる。後期物語の作品世界では、我々は暗示的、示唆的な言葉でまとめられた重層的で奥深い表現を辿たどることによって、引用という豪華な織物を楽しむことができる。
後期物語の作品世界の特徴
後期物語の特徴としては、整然とした構想のもとに筋が複雑になっていること、物語の舞台の設定に趣向がこらされていること、冒頭部分が単なる時代や家系の説明ではなくて、起筆に工夫されていること、作中人物の造型が深化し、相互の対応が錯綜さくそうしていること、作中人物は想念の世界に沈潜するというような内向的な性格が顕著で、心情表現や心内語が多用されていること、表現が精緻で、効果的な引用や引歌ひきうたが見られることなどが挙げられる。
 後期物語は、苛烈な現実の状況の中で生きぬいている人間を直視し、生きることの意味を真っ向から問いかけるというような、深遠な人間探求の面では、『源氏物語』が開拓し到達した境地には及ばないところがあるかもしれないが、一方、筋立や表現では、『源氏物語』よりむしろ進展しているような側面もある。現実に対する深刻な絶望から導き出された、唯美性に富んだ諦観的ていかんてきな作品世界は、屈折した精神の産物として、むしろ今日的な問題に見合うべく、おのずから人生の真実を語ってもいるのである。
狭衣をめぐる物語の展開
狭衣は、時の関白堀川の大臣おとどの子である。大臣は、一条院や嵯峨院さがのいんの兄弟で、母も皇女である。大臣には、前斎宮で狭衣の母・堀川の上、太政大臣の娘・洞院の上、式部卿宮の娘で嵯峨院中宮の母・坊門の上の三人の妻がいて、二条堀川の大きな邸宅に住まわせていた。大臣邸内には、故先帝の皇女で、堀川の上の姪に当る源氏の宮が、養女として引き取られていた。狭衣は、この兄妹のように扱われていた源氏の宮を、いつしか思慕するようになって、源氏の宮に求愛するが、にべもなく拒絶される。狭衣は、この源氏の宮への満たされぬ思いを心中に秘めたまま、さほど愛情を持たずに他の女性たちと関わり合って、次々と不幸に陥れてゆくが、それらの女性との関係が断絶したり終焉したりする段階に至ると、かえってその美質を見出みいだして後悔することになる。
 飛鳥あすかの女君は、故そちの中納言ちゆうなごんの姫君で、乳母めのとのもとで育てられていたが、後見人の仁和寺にんなじの法師に誘拐ゆうかいされそうになったところを、狭衣に助けられた。女君は、狭衣と愛情を交すうちに狭衣の子を身籠みごもったが、狭衣の大弐だいにの乳母の子・式部大夫道成しきぶのたいふみちなりが女君を見初め、謀計により筑紫つくしへ連れて行かれそうになり、入水じゅすいして行方不明になる。その後、狭衣は女君が兄の法師の手で救われたことを知るが、時すでに遅く、女君は病没してしまった。
 次は嵯峨帝の娘・二の宮で、狭衣が宮中で横笛を吹いたところ、その音色に魅せられて天稚御子あめわかみこが降臨して狭衣を連れ去ろうとしたので、みかどが狭衣をこの世に引き止めておくために、女二の宮と結婚させようとした。ところが、狭衣は源氏の宮を思慕していたので、結婚の勧めにはかばかしく応じなかった。しだいに女二の宮との結婚話が進んだが、気乗りがしない狭衣は、女二の宮の母后のもとに親しく出入りしていた大弐の乳母の妹と相談しようと訪問したところ、あいにく留守で、折から居合せた女二の宮と偶然契りを結び、宮は身籠り、男子を出産する。ところが、狭衣が素姓を知らせなかったので、世間体を繕って母后の皇子と扱う。その後、狭衣の子とわかって母后は憤死し、女二の宮は悲観して出家する。女二の宮の生んだ若君は、やがて堀川の上のもとに引き取られることになる。
 次に、一条院の皇女一品いつぽんの宮は、飛鳥井の女君の遺児を養育しており、それと知った狭衣が忍んで見に行ったところ、周囲から狭衣が宮に好意を抱いていると誤解され、やむなく結婚することになる。狭衣はもとより、一品の宮も自分が十歳近くも年上であることから容貌の衰えを恥じて、両者の仲は最初から冷えたままである。一品の宮は、姫君に異常な関心を寄せる狭衣の言動から、その真意を知って絶望し、ますます疎遠となる。
 嵯峨院から後一条帝への譲位に伴い、源氏の宮は神託によって斎院となった。女二の宮の代りに、嵯峨院の皇女を狭衣の妻にという話が何度か起ったが、女三の宮は斎宮となり、女一の宮は帝のもとに入内し、結局、いずれも狭衣と無縁になる。
 狭衣は源氏の宮への愛情のかなわないのを悲観して、いよいよ出家しようとして、それとなく別れをするために斎院に参上する。狭衣が決別の琴の演奏をすると、突然風が荒々しく吹き始め、雨が激しく降り出し、神殿が鳴動し、辺りに芳香が漂う。狭衣の父・堀川の大臣の夢枕に賀茂かもの明神が立ち、狭衣が出家しようとしているから早く止めるように託宣がある。大臣はあわてて帰宅し、まさに修行のために出立しようとする狭衣を引き止める。以後監視が厳しくなって、狭衣は二度と出家もできない身となる。
 さらに、宰相中将の妹の式部卿宮の姫君は、源氏の宮に容貌が似ていることから、狭衣が魅せられて結婚する。その後、都に疫病が流行し、天照大神のあまてらすおおみかみ神託があり、それによって、狭衣は帝位にき、狭衣の父母も、太上天皇、皇太后宮となった。一品の宮は入内を拒否し、間もなく没したので、皇子を出産した宮の姫君が立后して、藤壺中宮ふじつぼのちゆうぐうとなった。中宮は一見幸福そうであるが、所詮しょせんは源氏の宮に容貌が似ているということから寵愛ちようあいされる形代かたしろに過ぎない。飛鳥井の女君腹の娘君は一品の宮となり、女二の宮腹の皇子は兵部卿宮となる。折から、狭衣は重態となった嵯峨院を見舞に行幸するが、そのついでに入道した女二の宮と対面する。狭衣の宮に対する愛着の念は尽きることないまま物語は終る。
狭衣の人物造型
『栄花物語』に「後悔のちくいの大将」と呼ばれる巻がある。藤原教通のりみちがちょっとした油断から、出産で衰弱した北の方の藤原公任きんとうの娘を物のに取り殺されて、「げにこのごろぞ、後悔しき大将とも聞えつべき」とある。事情は異なるが、『狭衣物語』の主人公、狭衣大将も、まさに「後悔の大将」であった。
 狭衣は、飛鳥井の女君と死別し、女二の宮を入道に追いやり、一品の宮と不毛の結婚をし、式部卿宮の姫君は源氏の宮の単なる形代に過ぎず、当の源氏の宮は斎院となって手の届かない存在となった。狭衣の源氏の宮と女二の宮に対する愛着だけは、一貫して払拭されることはなく、特に女二の宮を失った悔恨に懊悩おうのうし続けた。
 散逸さんいつしているが、この時期に、この後悔に関連する題名の作品が幾つかある。『狭衣物語』巻一には、『みづからくゆる』物語が、やや異なった文脈で引かれている(六四ページ)。また、「先立たぬ悔いの八千度やちたび悲しきは流るる水の帰り来ぬなり」(古今集・哀傷 閑院)を踏まえた、『八千度の悔い』が、巻三に二箇所見られ、このような呼称の散逸物語もあったらしい。一つは、女二の宮の冷淡な対応を嘆きながら、かわいらしく成長した若宮を見遣って、「八千度の悔いにぞなりたまふ」と嘆いている場面である(三三ページ)。ここは、「八千度の悔いの大将とも言はれぬべし」(校本・大島本。未刊国文資料・九条家旧蔵本)という本文もある。もう一つは、御禊みそぎの日に、唐車に乗ろうとする源氏の宮の優雅な姿を見て、狭衣が結婚することもなく、斎院になるまで手をこまぬいていた、自分のうかつさを無念に思って後悔する場面に、「なほなほ、かくまで見たてまつりなしつる悔しさは、『八千度の悔い』とか、名につきたりし大将には、やや優りたるを」とある(一五〇ページ)。さらに、『風葉和歌集』には「後悔ゆる」という散逸物語に関する歌が八首あり、その中に「後悔ゆる大将の女御」の作者名が幾つか記されている。
 このように、『狭衣物語』の前後には、後悔する主人公が登場する散逸物語がかなりあったようであり、その原型としては俗世と仏道の間をさ迷い、宇治八の宮の女君たちと悔恨に満ちた恋愛をした、『源氏物語』の薫が浮び上がってくる。事実、「宰相中将」(巻一・二〇ページ)はともかくとして、源氏の宮に関連して「薫大将」(巻一・五八ページ)という名が見える。また、巻四巻末に、こちらは女二の宮に関連して、内閣文庫本に、やはり「薫大将」とある。つまり、後期物語では、作り物語の男主人公として、多分に光源氏型よりも薫型の人物が歓迎されたのだということになる。
 このことは、一一世紀後半の時代相も、その思潮や美意識の背景として考慮すべきであろう。朱雀すざく後冷泉ごれいぜい朝以降、藤原頼通の時代に至って、藤原道長の時代に黄金期を謳歌おうかした摂関体制は衰退的な徴候を示し始める。また、永承六年(一〇五一)から仏教の衰微期に入ったとされる末法思想が瀰漫びまんして、世相はしだいに世紀末的な終末感、閉塞感を呈するようになる。こうした政治や宗教の面での頽落たいらく意識は、文学の面にも反映し、しだいに爛熟的らんじゆくてき頽廃的たいはいてきな傾向の作品、浪漫性ろうまんせい耽美性たんびせいを漂わせた作品を生み出し、また、そのような内容の作品が好まれることにもなったのであろう。後期物語にはそうした風潮が端的に見られ、現実の深刻な葛藤かっとう桎梏しつこくを描き出す一方で、そこから逃避するような思弁的、内省的な人物が主人公となる傾向が顕著となる。『狭衣物語』の主人公、狭衣が薫的な性格を共通するものが多分にあることが、容易に納得できる所以ゆえんである。
『狭衣物語』の達成
このように、『狭衣物語』は、狭衣と源氏の宮との不毛の愛を軸に据えて、狭衣の消極的な態度がもたらした、飛鳥井の女君、女二の宮、一品の宮、式部卿宮の姫君などとのさまざまな愛の悲劇を語ったものであり、狭衣は両親に手厚く庇護ひごされ、無類の美貌と才能に恵まれ、官位の昇進もめざましく、神意によって出家することもなく、最後は帝位にくという、外見は何の不足もない境遇にありながら、本意の恋人、源氏の宮は得られず、心ひかれる女二の宮とは行き違いとなってしまい、常に不如意の身の上を嘆き、憂愁の思いを抱いている。狭衣は、まさに『源氏物語』宇治十帖の薫を想起させるような性格づけがなされ、『狭衣物語』の主題はあたかも人間不信に彩られた不幸と悲哀の形象の感がある。
 狭衣が憧憬すしようけいる永遠の女性の源氏の宮はむしろ狂言回し的な存在に過ぎず、それよりも、結婚する相手であることを知らずにかりそめの愛情を交し、中途半端な狭衣の態度に絶望して出家してから、かえって狭衣の熱烈な思慕の対象となる、女二の宮のほうが『狭衣物語』の主題性を担う深刻な宿命を引きずった女主人公的な存在と言ってよく、物語の中でもっとも生彩ある人物造型となっているのである。また、物語の流れから外れるが、洞院の上の養女となった今姫君と呼ばれる道化的な女君が、俗悪の権化のような母代ははしろとともに登場する。『源氏物語』の近江おうみの君をもっと戯画化した、王朝の雅をみやび相対化するような人物である。
『狭衣物語』は、緊密な構成によって変動めぐるましい物語を展開させ、二百首を超す歌を配し、引歌や歌語を駆使し、仏典の引用も目立ち、秀抜な技巧で、典雅で抒情性豊かな作品世界を形成している。その伝奇性も取り入れた波乱に富んだ物語の筋立、作中人物が直面する深刻な現実、王朝趣味濃厚な洒落しゃれた表現は、後世の読者の好尚にこうしようもかない、また、和歌の素材としても重視され、藤原定家は『源氏物語』『狭衣物語』の歌を選んで『百番歌合』を編纂している。(小町谷照彦)
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